パースの実用主義の記号論とロラン・バルトの『意味作用の体系』:ネットと現実を変化させる記号の力

フェルディナン・ド・ソシュールは、言語の普遍的な構造を考察する中で『恣意的な差異の体系』の構造として、シニフィエ(記号内容)とシニフィアン(記号表現)の構造を抽出した。

構造主義の先駆けとなったソシュール言語学では、言語体系の『二項対立的な図式化(形式化)』を通して、世界の言語に共通する『ラング(言語規則)とパロール(音声)』『シニフィエとシニフィアン』『ラング(言語規則)とランガージュ(言語機能)』といった普遍的図式の構造を形式化して取り出した。

シニフィエとシニフィアンの間に相互的に働く作用を『意味作用』と呼ぶが、ソシュールやパースによって構築された記号論とは、詰まるところ『記号が生み出す意味の学問』であると言える。

ソシュールは、音や文字の組み合わせの差異から語彙が生起し、意味の差異が生まれるという『差異の体系』という構造から言語を捉えたが、ラングの究極的な根拠は存在せず、その起源を問うことに意味はないと考えた。
即ち、ラング(言語規則)とは、『社会的・歴史的な所与の共通規約』のようなものであり、社会的な価値関係(価値の差異)を生み出す原因となるものとして認識されるようになる。

ソシュールの同時代人であり言語学の確立に大きな影響を与えたチャールズ・サンダース・パース(1839-1914)は、一般的に、『実践・行為の結果』と『観念・仮説の一致』を重視するプラグマティズム(実用主義)の哲学者として知られている。

『行動を抜きにした信念や観念は存在しない』という強固なプラグマティズムの信念を持っていたパースも、記号論(semiotics)の分野においては『人間は記号によってしか思考することが出来ない』と考えた。

パースは、真理記述の道具である言語を実用論の文脈で解釈して、『記号を用いた思考』は実践的行動に移れる段階である『信念の段階』に達してこそ実用的な意味を持つと考えた。

パースの仮想する真理とは、真偽判定の方法を持たない宗教的な普遍の真理ではなく、実験によって検証可能な科学的根拠のある観念のことであり、『万人に観察可能な形で提示される観念』の内容を『プラグマティズムの信念』だと定義したのである。

パースの『われわれの観念を明晰にする方法』の論文で提起されるプラグマティズムの流れでは、『観念という記号=シニフィアン』の意味作用が、そのまま『プラグマティズムの内容=シニフィエ』を意味することになっている。

プラグマティズムの思想では、観念の真理性の判定基準を『有用性・実用性』に求めるので、伝統的なイデアとしての真理の内容とはかなり異なっている。

観念と行動がプラグマティックにいつも連合するとは限らないが、記号・言語は一般に事象を指示して内容を表す『意味作用』を持っていて、無秩序で曖昧な輪郭を持つこの世界に整然とした秩序を与える重要な働きをしている。

ソシュールが言語を『差異の体系』の構造で理解したとするならば、『神話作用』という著書を書いたロラン・バルトは言語を『意味作用の体系』の構造で把握したといえるだろう。

ロラン・バルトは、文字言語・音声言語・音楽・身体動作・事物などあらゆるものを記号として、その意味作用を解析することで意味の体系として現代社会の構造を理解しようとした。

かつて、テレビや新聞、ラジオといったマスメディアは、社会的な価値観や世間的な善悪判断を定義するような圧倒的な社会全体に対する影響力を持っていたが、それは映像・音声・文字の意味作用を集権的に統御できていたからである。

インターネットやモバイルが普及した現代社会では、複数の人間に対して意味作用を及ぼすことの出来る媒体が分権的な配置を取るようになっているので、新聞の社説やテレビの評論が社会問題の是非判定を一方的に行うことが困難になってきた。

映像・音声・文字といった記号の意味作用は、発信者と受信者の相互作用によって起こるのだから、記号を駆使する意味作用の発信者の数が多くなればなるほど『中心的世論の形成』は不可能になる。

封建的な専制国家の情報統制は、情報技術のアーキテクチャにパッケージングされる圧倒的な物量の意味作用によっていずれ打倒されるように、自由主義国家の世間(抽象的な集合体)が持っている『常識観念・一般的な善悪観』も少しずつ多様化の流れを見せていて、記号の意味作用が輻輳するコミュニティも細分化されていっている。

SNSのmixiやMySpaceには膨大無数のコミュニティが存在していて、各コミュニティ間で共通理解やコンセンサスを形成するような働きかけをすることは殆どない。
現実社会では、企業間や家族間、世代間で共通理解やコンセンサスを探るようなコミュニケーションが複雑に取り交わされてはいるが、世代間の断裂や企業風土の差異、家族内のルールなど、他のコミュニティが意味作用を及ぼせない私秘的領域(プライベート・プライバシー)が増えていく流れは変わりそうもない。

少しバルトによる意味作用の説明から離れて、意味作用を対人的な影響力に置き換えてインターネットと現実社会の情報発信(記号発信)とその影響を考えてみたいと思う。

インターネットでは、PV(ページビュー)やUU(ユニークユーザ)、滞在時間の数量、あるいは自己記事に関する言及数やSBMの数などによって、そのウェブサイトやウェブページ、ブログのPermalinkが持つ意味作用の強度を定量的に計測することが出来る。

インターネットでは、簡略化した意味作用の大きさを可視化できるところが面白い部分ではあるが、意味作用の実際的な手応えとしての『生の反応=相手の気持ちや行動の変化』を掴むことが難しい。

現実社会における記号の意味作用は、情緒的な部分や人間関係の側面が大きいので、その作用の大きさを数量化して計測することは殆ど不可能であるが、意味作用の実際的な手応えとして『生の反応=相手や状況の変化』がダイレクトに跳ね返ってくることが少なくないという特徴がある。

直接的に異性をデートに誘うとか、ビジネスで大きな契約を成立させるとかいった行動の意味作用は、その場における音声や交渉の記号だけで結果が決せられるわけではなく、最終的な結果を得る前の、人間関係に基づく『無数の記号の取り交わし=話し方,話題選定,動作,表情,服装など』が重要な影響を及ぼしている。

特に、ロラン・バルト(Roland Barthes, 1915-1985)の仮定した『記号の神話作用』では、私たちが他者に向けて発するメッセージは、デノテーション(明示的な意味)とコノテーション(潜在的な意味)という意味作用の二重構造を持っているという。

お気に入りの相手と外出する時に、下ろしたてのセンスの良い洋服を着て出掛けると、『綺麗な清潔感のある身なりをしている』という外見上のデノテーションと、『好きな相手の為に出来るだけのお洒落をして外出した』という心理上のコノテーションの意味作用を同時に与えることになる。

そういった対人関係のコミュニケーションが持つ『意味の二重構造』だけでなく、現代社会では、優劣や美醜、善悪、正否といった価値判断の序列構造と無意識的に絡めつけられた『意味の体系』が存在している。
マスメディアやインターネット、社会生活、対人関係の場から私たちは日々無数の記号・言語を受け取っていて、記号からの瞬間的連想で心の内面に膨大なイメージと観念を思い浮かべている。

音声や文字、映像、シンボルといった記号は、常に何らかの価値判断と結合していて、私たちの行動や感情の変化に影響を与え、社会的価値観や世論の動静を無意識的に規定していく。

個々人の持っている『記号の差異・意味の体系』とは、個別的な社会認識の源泉であり、世界観や善悪観の拠って立つ根拠でもあるが、基本的には、生物学的利益(生存と繁殖)を肯定する形で記号の意味作用の体系は自律的に調整されているところは興味深い。

しかし、 『他者との差異の快楽』を目指して循環する記号論的な消費経済の記事で述べたように、生物学的利益を実現する社会体制(経済原理)と普遍性の高い倫理規範(生命尊重)が矛盾するケースもあり、マスメディアや政治活動、経済理念が提示してくる記号(メッセージ)を丁寧に読み解くリテラシーを鍛える必要性も高まっているように思える。

特に、無数の情報が洪水を起こして、個々の情報の真偽や価値を判断することが難しいインターネットでは、特定のサイトやブログだけに情報源を頼っていると偏向した意味作用によって価値観が形成されていきやすいという問題があるかもしれないが、こういった問題意識はキャス・サンスティーン『インターネットは民主主義の敵か』サイバー・カスケード(インターネット上の世論が一つの価値観や主張に雪崩れ込みやすい現象)への懸念につながるものでもあるだろう。

ロラン・バルトの、デノテーションとコノテーションが生み出す記号の神話作用や意味の二重構造などについては、以下のウェブサイトの記事を参照してみて下さい。



ロラン・バルトの記号論と意味作用

ソシュールの構造主義的な記号学の方法論を拡張して、社会環境の文化的諸関係を『意味作用の体系』としてセマンティクス(semantics,意味論)を中心に分析しようとしたのが、ポストモダンの思想家ロラン・バルト(Roland Barthes, 1915-1985)である。

音声言語や文字言語だけでなく、絵画、シンボル(象徴的事物)、ジェスチャー、音楽(メロディ)、信号などあらゆる記号の意味作用をバルトは研究対象とした。それら多種多様な記号が、複雑に組み合わせられることによって、人間社会の意味ある事象(行動・儀式・演劇・娯楽・宗教・儀礼)が生み出されると考えたのである。

即ち、無限個の組み合わせを想定することのできる『記号の体系』は、人間社会の『意味の体系』の必要不可欠な原資となっているのである。現代社会において、記号(言語・映像・デザイン・音声・歌・象徴・イメージ)の生成・伝達・普及は、様々なメディアを介して行われる場合が多い。

ロラン・バルトの意味作用を中心とした記号論は、テレビや新聞、インターネット、ラジオ、雑誌といったメディアが民衆行動や社会現象、世論形成にどのような影響を与えることになるのかというメディア論を射程の範囲に捕えているのである。

ロラン・バルトは、邦訳書の『神話作用』の中で、一般応用されることの多い記号論の概念『デノテーション(明示的な意味)・コノテーション(潜在的な意味)』に触れている。これは、人間が多様な記号世界の中で受け取るメッセージには、絶えず意味の二重構造の作用(デノテーションとコノテーションの作用)が働いていることを示している。

流行のファッション・スタイルをマスメディアで宣伝していれば認知度が上がる。『流行のファッションの外見』のデノテーションは、単純に『今、多くの人が購入している衣服』という意味に過ぎない。しかし、明示的な意味と同時に『(流行のファッションをいち早く取り入れている)お洒落に敏感な人だ』『私も最新のファッションを取り入れないと、イケていないと思われるかもしれない』というコノテーションの意味作用が生まれてくる。



■書籍紹介
インターネットは民主主義の敵か

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い

この記事へのトラックバック