『他者との差異の快楽』を目指して循環する記号論的な消費経済:景気回復の中に埋没する格差問題

『構造主義の始点となったソシュール言語学』では、世界記述と意志疎通(コミュニケーション)、社会構築を行うホモ・サピエンスのツールとしての言語に焦点を当てました。

情報化社会の知的技術や資本主義の経済制度の根幹には、『言語(記号)の生成・伝達・共通認識』がありますが、人間が他者と協働して作り上げる社会性の発達過程にも、言語(記号)の操作・理解に関する能力が密接に関係しています。

所属社会に共通する基本的なルールや倫理観念を理解して行動規範にする為には、親や教師などの他者が伝達してくる『善悪を分けるメッセージ(広義の記号)』を受け取って理解しなければなりません。

そのメッセージは、言語による叱責や説諭として伝えられることもあれば、体罰(その是非は別として)による痛みや規制として伝えられることもあります。あるいは、周囲からの不快な反応や他者の軽蔑の態度など非言語的なコミュニケーションによって、ある行為がその社会(他者)から否定的な悪い評価を受けている事を理解します。

私たちは、言語・知覚・観念・映像・音楽・象徴といった“記号(sign)”“意味(meaning)”と無意識的に結びつけるような認知特性を生来的に持っていて、後天的な社会経験や学習行動によって『記号と意味の結合の指数関数的な増殖』が起こります。

極めて原始的な感情体験には、記号化以前の本能も関与していますが、『ぞくぞくと震える背筋の感覚』や『頭に血が上って心臓がドキドキする感覚』にしても、それを他者に伝えようとした瞬間に記号化の影響を受けます。厳密には、行動や状況を観察する他者さえいれば、怒りや恐怖の表情が観察者に対する記号(知覚刺激)の作用を果たします。

消費社会においては、『貨幣(記号)』と交換可能な『あらゆる商品・サービス』もまた記号であり、記号と結びついた意味、記号の差異と連携する価値の差異によって私たちは消費の欲望を掻き立てられます。

マーケティングの効果的な宣伝戦略や魅惑的な差異化戦略、商品購入にまつわる他者とのコミュニケーション(口コミのバイラル・マーケティング)によって、人間の消費欲求は『他者との差異』を目標にして加速させられます。

記号(貨幣・商品・属性・階層・サービス)と意味(価値)の結びつきによって運転(交換)を続ける現代の資本主義経済システムには、マルクスやヘーゲルが説いたような意味での『必然的な歴史の終焉』は来ないかもしれません。

人間の消費欲求が衣食住などの基本的な生存維持に必要なモノと結びついていた時代には、定期的な大恐慌による資本主義システムの崩壊や需要低下(モノ余り)によるデフレ・スパイラルの閉塞の懸念がありました。
生きるか死ぬか、明日の食料を確保できるか否かという極限の貧困状況の中で労働している人たちの数が相当に大きなものでなければ、市場経済の経済システム自体の変革の必要性は大衆層に意識されることはありません。

何より、経済発展によって全体的な生活水準が向上した先進国では、資本家と労働者の階級対立の図式の説得力は急速に弱まり、生活を逼迫する経済格差の問題が労働者(被雇用者)全体に共有される問題ではなくなっています。

更には、労働者間の『雇用形態(正規雇用・非正規雇用・無業者・公と民)の差異による給与格差・待遇格差』『職業内容の差異による意欲格差』といった問題のほうが前面に出てきていて、市場経済の競争原理は所与の最適解のシステムとして国際社会に屹立しています。

『食物連鎖の生態系』『競争原理の市場経済』のアナロジー(類似性)からダーウィニズム的な連想をして、所与の環境により良く適応したものがより多くの利益と高い生存率を得るというルールが普遍的なものなのかどうかは分かりませんが、日本やアメリカの構造改革(行財政・税制・経済制度の改革)や政治活動(政権与党の所信)の流れは市場経済により大きな分配の役割と裁量を与える方向に向かっているように思えます。

『社会的な強者』と『社会的な弱者』というのは、流行語としての『勝ち組・負け組』と同様に、他者との差異化の快楽や自負を生み出す『記号』に過ぎませんが、強者と弱者の記号と結びつく意味には『能力・人脈・資産・努力・意欲・機会・教育水準・適応・精神の健康度・心身の障害などの差異』があります。

4月末のニュースだったと記憶していますが、北九州市門司区の市営団地で3人家族のうち2人が餓死するという悲惨極まりないニュースがありました。



団地に女性2人の遺体、餓死か

21日午前7時ごろ、北九州市門司区の市営大里団地から「隣室の女性が気分が悪いと言っている」と119番があった。救急隊が駆け付けると、405号室で女性2人の遺体が見つかった。部屋にいた女性1人がやせて衰弱しており、病院に搬送された。

門司署の調べでは、搬送されたのはこの部屋に住む小林真由美さん(47)で、救急隊員に「2カ月ぐらい前から何も食べていない」と話した。命に別条はないという。

2人の遺体には外傷がないことから、同署は病死か餓死の可能性もあるとみて司法解剖して死因を調べる。

死亡したのは同居している真由美さんの母寿子さん(78)と姉千代子さん(49)とみられる。寿子さんとみられる遺体は死後1年以上経過しているらしく、ベッドの上で見つかった。

千代子さんとみられる遺体も数カ月は経過している様子で、別の部屋で毛布を掛けられていた。
冷蔵庫に何も食べ物がなかったという。

北九州市によると、小林さん一家は生活保護は受けていなかったという。



豊かな先進文明社会においても労働する能力と意欲、社会参加する努力を完全喪失すればホームレスに転落したり、衣食住に困窮して餓死することは珍しいことではなく、景気回復が取り沙汰されている最近の日本においても度々こういった事件が報じられています。

労働意欲の減退や社会参加からの離脱、対人関係からの孤立といったNEETやひきこもりの非社会的問題で考えなければいけないのは、経済活動に関する自己責任を厳しく問われる新自由主義社会の中では、基本的に、自分が働いて収入を得なければ時間の経過と共に貧困化のループに嵌り込んでそこから抜け出すことが難しくなっていくという事です。

貯蓄が枯渇して収入源が断たれてしまったいざという時に、国や地方自治体からの生活保護が簡単に認可されるかといえば、そう簡単に認可されるものでもなく、煩瑣な法律の条件を満たさないという理由で事務的対応で拒否されることが少なくないようです。
自分の家族や親族、親密な知人以外に、経済的な支援や生活の補助をしてくれる人は殆どいないという現実認識を持つ事と、それ以上に、経済的自立が可能な仕事と収入を確保しようとする意識を常に持って日常生活に臨むことが必要なのかもしれません。

とはいえ、社会学分野で、職業種別や所得格差の世代間継承の問題が指摘されているように、文明社会の周縁で起きる餓死や孤独死の悲劇には、『所得階層の親族集積性』『経済活動と人間関係の相関』が影響しているのかもしれません。

所得階層の親族集積性というのは、医師や教員、公務員を多く出している家系などでは経済的に安定している親族が集積しやすくなっているという現象であり、反対に、失業者やフリーター、NEETといった家族構成員が集積する現象が長期的に起こると様々な深刻な事態へとつながっていきやすくなります。
経済面で頼りになる血脈のセーフティ・ネットがあれば非常事態を乗り切りやすくなり、経済的な悩みを相談できる相手が誰もいないという社会的孤立を回避しやすくなるので、心機一転して心身両面の立ち直りを図りやすくなるという事は言えるかもしれません。

同じNEETやひきこもりの個人を抱えている家庭であっても、その家庭の経済基盤の大小によってその問題の深刻度は大きく変わってきます。
例えば、ある程度の費用を必要とする外部の専門機関へ相談・支援を求める場合や今現在、就職していない子どもに就業に向けた教育・職業技術の投資をする場合にも格差が出てきます。

『経済活動と人間関係の相関』というのは、一般的に、活発な経済活動や積極的な社会参加をすればするほど、人間関係の範囲が拡大していくという事です。
意欲的に経済活動を行って、相互に利益を与え合うような信頼できる人間関係を多く築いていけば、持ちつ持たれつの人的なセーフティ・ネットが自然発生的に張り巡らされることにつながります。

多くの人たちと親密な人間関係を取り結んでいくことで社会的信用も大きくなっていき、仕事の営業取引や失業時の再就職などでも有利になることが少なくありません。
反対に、社会活動から離脱して経済活動を行わない期間が長くなればなるほど、新たな人間関係を築く機会を喪失し続け、社会的孤立状況を自ずから作り上げていってしまう事になります。

上述したような貧窮による餓死に限らず深刻な児童虐待やDV(ドメスティック・バイオレンス)など家族問題の多くのケースが、身近な家族以外に誰ともつながっていない社会的孤立状況の中で起きています。また、外部社会と完全に没交渉になってしまうと、外部からの支援・保護や状況の客観的判断を全く期待できなくなるため、死亡や重傷の傷害など重大な結果を招来しやすくなることにも注意が必要です。

家族の外部にある社会的関係を保持し続けることの重要性とは、『外部の視点や意見を取り入れることによる客観的な状況認識』にあり『人間関係のセーフティネットによる相互扶助』を適切に機能させることにあります。

反対に、ひきこもりやNEET、不登校といった非社会的問題行動を長期に遷延させることの最大のリスクとは、『家族内部に苦悩や絶望を鬱積させて、客観的な状況把握が不可能になること』であり、『外部社会の人間関係が断絶することによる社会的孤立(人脈とセーフティネットの喪失)の不利益』です。

『社会的な強者・社会的な弱者』の記号と意味という記号論の話題から、社会福祉行政や非社会的問題の家族病理の話へと脱線しましたが、現代社会の経済状況を記号論で解釈するならば、『モノ(生存の資源)としての商品を消費する層とイメージ(記号)としての商品を消費する層との決定的な断絶』だと思います。

そして、日本のような先進国では、前者の『モノとしての商品を消費する層』が人口に占める割合は低くなっていて、直接的な生活に必要な衣食住の致命的な欠乏への共感は起こりにくくなっています。

何故ならば、それほど必死の努力をしなくても致命的な衣食住の欠乏を感じない層にとっては、そういった衣食住に困る層が何故、そういった困窮に陥るまで経済的努力をしなかったか共感できないからです。

特に、社会保障財源が減額される小さな政府が主導する社会では、『労働・納税の義務を果たさず、怠惰な生活をしているからそういう貧窮に陥るのだ』という正論めいた自己責任論理によって、『社会的な弱者の記号』に欺瞞性や偽善性のラベリングをしようとする心理機制が働くことが多くなってきます。

しかし、『社会的な弱者の記号(シニフィアン)』が、『実際的な人間の死の内容(シニフィエ)』へと意味作用を及ぼすのであれば、新自由主義的な思想が刻印しようとする『欺瞞性・偽善性・依存性』のラベリングを貼る前に、社会や政府が為すべきことが数多くあるように思えます。

現代社会の片隅で生起し続ける悲劇を回避する為には、社会保障制度の充実や労働環境のセーフティネット整備として問題を認識し、心身両面の再生による社会参加を支援していく多面的なシステム作りが欠かせません。
また、非社会的問題行動には、精神保健福祉やメンタルヘルスの改善という文脈で解決を模索すべきケースも多くあり、単純な労働意欲の減少ややる気の欠如、協調性の低下に対する懲罰的な対処では問題は解決しないでしょう。

社会的弱者の記号に欺瞞性を認めて、個人や家族の経済的困窮を自己責任の次元へ還元してしまうと、一旦、自力で再起不能な状態に追い込まれた個人は、完全に社会(他者)から孤立し、自殺や餓死(孤独死)、犯罪行為といった破滅的な結果へと短絡してしまいます。

大都市の壮大な摩天楼に囲まれた経済社会や膨大な情報やイメージが交錯するインターネットで、無限の欲望がイメージや記号としてコーディングされていき、豊かさや美しさの差異を競い合う個人が際限なく記号(イメージ)の消費を繰り返していきます。

現代の高度資本主義社会では、物質(商品)も貨幣(金銭)も有り余っていて、コンビニやファミレス、弁当チェーンなどでは、膨大な人口を養えるだけの食料が廃棄され捨てられ続けています。
しかし、現代社会では、差異を生み出す為の余剰の消費であっても、生きる為の最低限の消費であっても本質的な区別はないですから、交換する記号(貨幣)がない食料(モノ)はマニュアル的に廃棄され、交換機会を期待できる新たな食料が、再び、店舗や商品棚に運び込まれて交換か廃棄の時を待ち続けます。

経済社会の効率性や文明社会の合理主義、適者生存による人類の継続可能性を説く社会ダーウィニズムの言説や優生学の思想が、19世紀から20世紀にかけて数多く発表されましたが、現代社会ではそういった弱肉強食を正当化する擬似科学的な理論過程は必要されていないように思います。
個人の能力・意欲・健康状態で死生が分かたれる適者生存の優生主義思想が、現前に呈示される自己責任の結果としてただ受容されていく感覚は、余り心地よいものではありません。

今後の日本は、『経済格差・精神福祉・家族の孤立化』と結びついた非社会的問題や自殺の増加とどう向き合っていけば良いのでしょうか。
地域社会の復興や世代間の相互扶助などが望み難い現状を踏まえると非常に難しい問題であり、来るべき高齢化社会において誰もが無関心ではいられない問題だと思います。

政府や行政が抜本的な制度的ソリューションの方向性を提示することが勿論大切ですが、直接の当事者となる可能性がある国民個々人も真剣に考えていかなければならない問題でしょうね。

『象徴交換と死』や『消費社会の神話と構造』の作者として知られるジャン・ボードリヤールは、『市場経済システムは、個人の安定した生活や社会の適正な分配といったものを実現するのではなく、生産と消費のシステムそのものの循環的な存続を目指す』といった内容のことを言っていたと思いますが、様々な社会的な意味連関における消費活動、他者の欲望を欲望して承認欲求を満たせる消費行動によって現代社会の経済は支えられています。

記号論によって経済社会の読み解きを行う消費社会論について、ボードリヤールやロラン・バルトなどを読みながらまた考えてみたくなりました。


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