構造主義の始点となったソシュール言語学:『恣意的な差異の体系』による世界秩序の確立

ホモ・サピエンス(知恵のある人)である人間の知性を本質的に規定する言語は、他者とのコミュニケーションや世界事象の記述と記録を可能にします。

本能的な危険を察知した動物が、鳴き声や超音波によって仲間に警戒信号を送ったり、縄張りや異性を巡る対立で威嚇や示威の叫び声を上げることはありますが、人間のように事物や事象を指し示す言語や言語に基づく複雑なコミュニケーションを行っている動物は人間以外に存在しません。

その意味で、言語(ラング)とその言語を習得する生得的な能力(ランガージュ)は、人間の知能と動物の知能を識別する指標の一つと言えるでしょう。
近代言語学の祖フェルディナン・ド・ソシュール(Ferdinand de Saussure, 1857-1913)『言語能力の有無が、人間と動物の差異である』と考え、自らの言語学体系をラングの学であると考えていました。

言語機能が、人類の進化過程のどの時点で発達したのかという進化論的な話も興味深いのですが、今回は言語そのものの構造と規則についてソシュールの言語学をもとに考えてみたいと思います。

複雑な言語体系を獲得した人類史の年代は、現在の人類学でも正確には特定されていないと思いますが、脳の容量や頭蓋骨・咽頭部(声帯)の解剖学的構造から旧人と言われるホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)の歴史段階(20万年~数万年前)では、ホモ属はまだ現在のような複雑な言語体系を獲得していなかったと考えられています。

その事から、世界のあらゆる事物・現象を細分化して分節する精緻な言語体系と言語による正確な相互的コミュニケーションは、ホモ・サピエンスの歴史と共に始まったと言えるでしょう。

人類の発祥地については、全ての人類の共通祖先はアフリカで誕生してそこから他地域に分化して進化していったとする『アフリカ単一起源説』と初めから世界の複数の地域で人類の祖先が誕生してそれぞれの地域で個別的に進化したとする『多地域起源説』とがあるが、いずれの説をとっても現在生きているホモ・サピエンスが言語を使って文化的な生活をしている歴史は10万年以上の昔には遡らないと予測されています。

人類の歴史や起源については、文化人類学や進化生物学などで化石資料や遺伝子解析をもとにした多くの魅力的な仮説が提起されていますが、人類史やヒトの進化についてはまた改めて掘り下げてみたいと思います。

言語学の話に戻りますが、ソシュールの構造主義的な言語学について説明する前に、ソシュール以前の代表的な言語観について言及しておきたいと思います。

ソシュールが構造主義の言語学によって反駁した言語観とは、客観的な世界の秩序や事象が先にあってその事物・現象に対して名前(名辞・記号)が与えられるとする『言語名称目録観(ノマンクラチュール)』でした。

この言語名称目録観は、ソシュールのシーニュ(記号)の恣意性の論証によって反駁されますが、私たち現代人にとってもそれほど違和感のある言語観ではありません。
まず、ハムスターという動物を見てから、その動物に対して『ハムスター』という名前(名辞)をつけようというのが言語名称目録観からの言語理解であり、これは客観的な事物(ハムスター)に対して必然的な名前(それ以外の名前を考えられない唯一の名前)を付けるという考え方の現れです。

もう少し踏み込んで言えば、ソシュールの関係論による言語観が提示される前までは、客観的な自然界の秩序が、言語による名指しや分節化と無関係に不変のものとして存在するという世界認識が一般的だったのです。
即ち、言語を用いて事象を名指すようになる以前から、事物の区別と自然界の秩序が普遍的に存在していたとする世界観が支配的だったわけです。

『事物と名辞の一対一の対応』が必然的な根拠のあるものだと考えるのが言語名称目録観であり、『事物と名辞の対は恣意的な関係』であるとして必然的な根拠などはないと考えるのがソシュールの言語観なのです。

言語とは何であるのか?という事を包括的に論理的に考究するには、記号理論や分析哲学(言語哲学)の歴史的展開を細かく振り返る必要がありますが、言語哲学の泰斗であるウィトゲンシュタインやラッセルなどが言語の規則と構造に執拗にこだわった理由の背景にもソシュールが提起したような『言語中心の世界観』があると言えます。

つまり、『言語が存在(実在)によって規定されるのではなく、存在が言語の分節化作用(名指しの作用)によって規定されるとする世界観』を持つ哲学者や言語学者は、言語の規則や構造、起源を研究することによってこの世界の秩序や法則の根本原理を解明できると考えたのです。

これは、西欧哲学の伝統的な認識方法である『実在論』を根底から否定する世界観であり、私たちの日常感覚や常識的な言語観からも乖離している考え方です。
実在論と関連する幾つかの哲学的な認識論については、過去の記事で説明したので以下のリンクを参照して下さい。


唯一の客観的真理を前提とする“論理実証主義”と現実の多様性の生成を前提とする“社会構成主義”
『我思う、故に我あり(コギト・エルゴ・スム)』……ルネ・デカルトの近代的自我の発見は、即ち、“観察する視点としての主観”と“観察される対象としての客観”であり、機械論的自然観を前提として一般法則を探究する科学研究の始まりであった。

合理主義と経験主義が未だ統合されていない近代科学の黎明期に、理性的思考力を持つ人間は科学的主体となって、客体としての自然世界を観察して分類整理し、あるいは、実験的に分析操作して『自然の摂理を理論的に把握して、その一般理論を人間の利益になるように応用する営為=自然科学的探究』を行うようになった。

ソシュールは、ルネ・デカルトから始まる『近代的自我による客観世界の観察』や『主体と客体の分離』に対して否定的な構造主義の関係論(言語の差異の体系と事物の秩序の関係)を呈示しました。


ソシュールの言語観に依拠すると、『言語・イメージ(観念)・事物(実在)の普遍的な一致』は原理的に不可能となり、言語と観念(思惟)、言語と事物(実在)との結びつきは恣意的で相対的なものになってしまいます。
自然界の事物や人間世界の現象に内在している秩序のようなものが言語以前から整然としてあるのではなく、言語によって世界秩序や事物の関係が形成され共有されていくことになります。

私たちは、『言葉では伝えられない気持ちがある』とか『言葉だけなら何とでも言える』とか『社会や人生の本当の理解は、言葉では掴めず経験が大切だ』とかいう価値観を無意識的にせよ誰もが多かれ少なかれ持っています。

そこには、『言葉は表層的な事象のラベリングに過ぎず、事象の本当の姿(実在)や真の価値は別のところにある』という考え方が含まれていて、言葉とは別の次元で、世界の秩序や社会の価値、人間の本質が存在しているという信念があります。

これは、仮象の現象世界の背後に、実在のイデア世界があるとするプラトンのイデアリスムの焼き直しの世界観でもあります。

私たちは、知覚できる事物の背後に、真の理想的なイデアがあると思い込みたい心理特性を持っていて、目に見えるモノ(知覚対象)が全てだとはなかなか割り切れないものなのです。

言語による認識の場合にも、言語表現の奥底にもっと素晴らしい真のイデア的な価値があるはずだという考えの誘惑に絶えず駆られていて、言語の枠外にある価値を大切にすることが良くあります。

しかし、言語のない世界には、そもそも、事物相互の関係性や観念(概念)の差異を明瞭に認識する方法自体が存在しません。
そのため、『言葉による世界の分節化』の機能こそが、私たちが現在持っている秩序だった世界認識を生み出していると考えることが出来ます。
言語が生み出す分節化された世界像こそが、価値判断の源泉であるというソシュール的な言語中心の世界観にも論理的な説得力を感じることが出来ます。

とはいえ、言語の分節機能に基づく世界秩序を認めるとしても、その秩序を基盤とした『非言語的コミュニケーションの効果や価値』は依然として残ります。
非言語的な対人スキルの有効性を考えると、『言葉を超越した感情・感動の共有』や『経験知の蓄積による深度のある認識』という生活感覚に根ざした価値観もまた正しいといえると思います。

言語にはラング(言語規則)による規制とパロール(音声言語)による生産があり、ラングは絶えずパロールによって影響を受け、時代の流れと共に言語規則は少しずつ変化していくという特徴を持ちます。
言語規則の可変性・柔軟性を踏まえると、客観的で普遍的な言語が『実在としての世界』をありのままに写像していくという言語認識は間違っているといえます。

ソシュールの語る言語の恣意性には、シニフィアン(言語記号)とシニフィエ(言語内容)の結びつきの恣意性もありますが、パロールによって変化していくラングの恣意性の意味もあります。

言語を記号の差異体系として把握したソシュールは構造主義の先駆者としても知られますが、その基本的な思考方法のエッセンスは以下のようなものでした。


1.共時論的研究……過去の歴史的経緯や時間的変遷を問うのではなく、現在の研究対象の体系や仕組みを分析する研究。

2.構造論研究……客観的に観察可能な構造ではなく、ラング(言語規則)のような無意識的に形成される構造を対象とする研究。
人類の歴史・社会・制度・精神の現れには、この無意識の構造が関係していると考える。
『永遠不変の実体・実在』の要素を研究するのではなく、『差異の体系』や『差異の関係性』として形成されるダイナミックな共時的構造を研究対象とする。

3.関係論研究……物事をそれ単独で存在する客観的な『実在』として認識するのではなく、事物と言語のように関係性として認識する研究。
歴史・言語・社会・文化なども、それぞれに含まれる『要素の差異の関係』を分析することで構造論的な理解を深めることが出来る。
物事は単独で意味を持つのではなく、何かとの相互的関係(相互参照)によって意味を帯びてくる。

また、ソシュール言語学では、言語体系を考察するにあたって『二項対立的な図式化(形式化)』を行い、『ラングとパロール』『シニフィエとシニフィアン』『ラングとランガージュ』といった対立図式で言語を体系的に把握している。

二項対立的な形式化によるソシュール言語学については、サイトの記事を読んでみて下さい。


ソシュールの言語論(シニフィエ・シニフィアン)と構造主義

スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュール(Ferdinand de Saussure, 1857-1913)は、言語の歴史的起源や時間変化を探究する『通時的な研究』ではなく、同時代の言語の構造や一般規則を考察する『共時的な研究』を精力的に行い、近代言語学の礎を築くことに成功した。

ラング(文字言語)の構造を徹底的に分析したソシュールの言語哲学は、『差異の体系』や『言語記号の恣意性』という基本的なアイデアを持っている。

このソシュールの言語哲学の基本的なアイデアは、マルクス主義的な史的唯物論や直線的な発達史観の対極にあるアイデアである。つまり、今ある言語がその言語であるべき必然的な理由などは存在せず、『恣意的な社会的規則(社会的取り決め)である言語』をマルクス主義のような発展・進歩の視点から研究することはナンセンスであるという事である。

言語が何故そのようなルールや語彙を持っているのかに関して歴史的必然性はなく、ただ、機能的なパロール(声)の意志伝達を可能とする『ラング(言語規則)の社会的取り決め』とそれに従う『シニフィエ・シニフィアンの恣意的な言語構造』があるだけなのである。



■書籍紹介
ソシュールのすべて―言語学でいちばん大切なこと

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 8

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い 面白い 面白い

この記事へのトラックバック