村上春樹『海辺のカフカ』の書評:2

本来、小説の情景を理論的に解釈すべきではないのだろうが、結局、ジョニー・ウォーカーの猫殺しというのは戦争の無情性とユダヤ人大虐殺であるホロコーストのメタファーになっているのだろう。ジョニー・ウォーカーは、ナチスの官僚や将校がユダヤ人を機械的に虐殺した理由を国家の一員としての職務だと語ったように、アドルフ・アイヒマンが何の罪悪感も感じずに自分の使命としてユダヤ人の大量虐殺を指揮したように、観念的な目的のために無感情に猫を殺していく。

無力で善良な市民であり、生活保護を受けている穏和で優しいナカタさんに、『力なき正義の真偽』を実践的に問いかけるような場面が作られているのは、現代の日本社会に忍び寄る戦争の影を暗示していると見るのは穿ち過ぎだろうか?
この冷酷で殺伐とした情景を読み進めている時に、私たちの心はナカタさんの心と投影的な同一化を起こすだろう。

村上春樹は、ナカタさんに対してジョニー・ウォーカーの口から次の台詞を語らせている。そして、こういった思考の筋道こそが、戦時下において人が人を殺せる精神的な力動なのであろう。しかし、『海辺のカフカ』の中では、単純に平和主義の礼賛がなされているわけではなく、一人一人が自分の理性と感情で考えるべき命題として、倫理的な問いが与えられるような形になっている。



ナカタさんは質問した。「知事さんがナカタを兵隊にとって、人を殺せと命令するのでしょうか?」
「そうだ知事さんがそれを命令するのだ。人を殺せと」
ナカタさんはそれについて考えてみたが、うまく考えをまとめることができなかった。どうして知事さんが自分に人殺しを命令しなくてはならないのだろう。
「というわけでつまり、君はこう考えなくちゃならない。これは戦争なんだとね。それで君は兵隊さんなんだ。今ここで君は決断を下さなくてはならない。私が猫たちを殺すか、それとも君が私を殺すか、そのどちらかだ。君は今ここで、その選択を迫られている。もちろんそれは君の目から見れば実に理不尽な選択だろう。しかし、考えても見てごらん、この世の中のたいていの選択は理不尽なものじゃないか」

(中略)

ナカタさんは、額の髪の生え際あたりに浮かんだ汗の玉を、手で拭った。「しかしナカタにはとてもそんなことはできません。殺せと言われても、どうやればいいのかもわからないのです」
「なるほど」とジョニー・ウォーカーは感心したように言った。
「なるほど。それもまあ一理あるな。どうやればいいかがわからない。なにせ人を殺すなんて初めてのことだものね……。たしかにそのとおりだ。言い分はよくわかった。よろしい。私がひとつやり方を教えてあげよう。人を殺すときのコツはだね、ナカタさん、躊躇しないことだ。巨大なる偏見を持って、速やかに断行する――それが人を殺すコツだ。」

(中略)

「目を閉じちゃいけない」とジョニー・ウォーカーはきっぱりとした声で言った。「それも決まりなんだ。目を閉じちゃいけない。目を閉じてもものごとはちっとも良くならない。目を閉じて何かが消えるわけじゃないんだ。それどころか、次に目を開けたときにはものごとはもっと悪くなっている。私たちはそういう世界に住んでいるんだよ、ナカタさん。しっかりと目を開けるんだ。目を閉じるのは弱虫のやることだ。現実から目をそらすのは卑怯もののやることだ。君が目を閉じ、耳をふさいでいるあいだにも時は刻まれているんだ。コツコツコツと」



逃避が許されない極限状況下における殺害に対する倫理的な判断、自衛・偏見・差別・恐怖により正当化される攻撃的な残虐性、個人の選択の自由を奪う圧倒的な社会の空気と政治的権力……私たちは平和時であるからこそ、そういった、もしかしたら遠い未来にいつか訪れるかもしれない「人が人でなくなる極限状況下」での己の倫理的判断を何度も確認しておかなければならないのかもしれない……。

そして、星野青年の前に突如現れるケンタッキー・フライドチキンのカーネル・サンダース。彼は女衒をしていて、哲学的思索を語る絶世の美女の娼婦を押し付けるかのように強引に紹介してくる……金銭と性の交換という人類が背負うもう一つの不条理としての売買春の変奏的なメタファー。

その女性を抱いた後の星野青年に、カーネル・サンダースは佐伯さんの『海辺のカフカ』の歌に出てくる「入り口の石」、ナカタ老人が使命として探している「入り口の石」の在り処を教えてくれる。
哲学を語る娼婦は『自己と客体との投射と交換』というヘーゲルの自己意識の言説で性的行為を表象させるのだが、結局はカフカの幻想的なエディプス・コンプレックスへの束縛もリビドーの投射と交換によって解釈できるのかもしれない。

最後に、田村カフカのアイデンティティの物語とナカタ老人の過去の克服の物語の軌跡は同一平面上の時間軸において交わることになり、ナカタさんは旅立ち、カフカ少年は日常の生活世界へと舞い戻っていく。
少なくとも田村カフカは、永遠に時の制止した世界、安定した反復的な幸福の森の中に留まることを拒否し、幻想的な約束された安らぎを超えて現実的な世界の中で生きることを自らの意志で決断した。
初めに会った性的な他者であるサクラやエディプス的な愛着を感じた佐伯さんとの別離を受容して、カフカは「対等な他者との出会い」の待つ現実社会のコンテクストの中に戻っていく。

そして、現代版の『オイディプス王』の悲劇は、「対象喪失からの再生」「運命に対する自由意志の可能性」を確認しながら静かにその幕を閉じていく。

■関連URL
村上春樹『海辺のカフカ』の書評:1

■書籍紹介
海辺のカフカ (下)

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