孤独なる独我論的世界からの解放と社会的な責任意識の萌芽:自己愛を超えて対象愛へ

シグムンド・フロイトは、恋愛関係に伴う複雑な心理過程や異性に対する特異な感情を、生物学的な本能であるリビドー(性衝動)に還元し、『恋愛とは延長された性衝動の充足であり、恋愛による精神的な興奮と苦悩はリビドーが抑圧された葛藤状況を意味している』と考えた。
しかし、多様性と個別性に満ちた人間のプラトニックなエロスの関係を、『性的衝動の充足が延期された葛藤状況』と解釈し、全てを生殖の成功と遺伝子の複製という生物学的目的で説明してしまうのは、恋愛の現象学的記述として正しくても、心理学的考察や文学的堪能としてはやや深みに欠け面白味に乏しい。

自己愛を超えた対象愛としての恋愛感情の最も顕著な特徴は、『主観的世界の拡大と独我論的世界認識の内破』である。
少し難解な言い回しになってしまったが、簡単に言えば『他者と理解し合えない閉じた世界の私が、閉じた世界の外部へと突き抜け、自分の世界を魅力的に拡大された世界にする』ことであり、『世界の中で生きる事の孤独や無力を、恋愛の歓喜や感動で忘却する』ことである。

多くの人間は恋愛の絶頂にある時、“不完全で不条理な世界”という認識を暫し忘れ、“確率論的な偶然による別離や不幸”を直視する必要を認識できなくなる。
性愛のオルガスムスによる快楽刺激にしても、行動療法では不安や恐怖の拮抗刺激とされていて、性的な快楽と同時に病的な不安や恐怖を感じる事は通常人間には出来ず、好きな異性と共にいる時間は基本的に精神を安定させ、気分を高揚させる効果を持つ。

恋愛の幸福や感動の大きさをあまりに意識し過ぎる人や失恋による虚無的な喪失感を経験する事を極端に回避しようとする人の場合には、恋愛という関係性そのものが苦悩と不安の源泉となっていることもある。
しかし、恋愛を中核とする親密な人間関係の問題が、自傷行為や希死念慮といった深刻な症状として前面にでてくるのは、“大幅な認知の歪みと強迫思考としての見捨てられ不安”が見られるボーダーライン(境界例)の性格構造を持つ人である可能性が高いと考えられるので『対人関係の病理』については機会を改めて詳述したい。

また、『相手を喪失する不安や恐怖』というものは、多かれ少なかれ恋愛や結婚にはつきものであり、そういった不安や恐怖、臆病さが病的なものと判断されるには、日常生活が明確に障害されていて、耐え難い苦痛や絶望が伴っていなければならない。
病理水準にある日常生活の障害としては、本来やるべき学業・職業・家庭生活が全くできない無気力な状況や情緒不安定な状態、自己批判や自己嫌悪が強まって自傷行為やひきこもりなどの不適応行動が前面に出てきている場合、相手に対する憎悪や怒りの衝動を抑制できないような逼迫した状況などを考えることが出来る。

精神的な陶酔や興奮をもたらす恋愛感情の喜びと苦しみの心的過程のメカニズムは、一般的に以下のような特徴をもっている。


1.思考の強迫的な侵入

『好きな相手の恒常的なイメージ・表象・思考』が精神内界に形成されて、絶えず『相手を愛しく好ましく思う思考』が強迫的に侵入してくるようになる。
強迫性とは、自分の主体的な意志によって考えたり思ったりする事をコントロールすることが出来ない心理状態を意味するもので、自分が考えたくないと思っても考える事を止められない状態である。
強迫性の程度が正常性を逸脱して過剰なものになり、強迫思考や強迫行動の内容が『自分にとって無意味なバカバカしいもの』である時には、不安障害の一つである強迫性障害(OCD)の疑いがでてくるが、恋愛の強迫的な思考の侵入は『明らかに自分にとって価値がある異性にまつわる思考・行動』なので精神疾患としての強迫性ではないと言える。

強迫的に心に侵入してくる思考は、過去に相手と過ごした経験や時間に大きく影響される事となる。具体的には、相手が何気なくつぶやいたロマンティックな台詞や言い回し、メールの文章が耳について離れなくなったり、相手の持っている基本的な価値観や思想に深く共鳴して同じ視線で世界を眺めたいという思いが強くなったりする。

『過去に経験した相手の言葉・表情・仕種・態度』を、内面で陶酔的にうっとりと何度も繰り返し味わうという事が恋愛感情が生起した場合の一つの特徴であり、あるいは、プラグマ(実利的な愛)やセックスのみの交際と真のエロスとの分岐線を描くものでもある。
また、相手に対する愛着が弱まり、惰性や倦怠に二人の関係が流されるようになると、相手の素晴らしかった特性や相手を魅力的に思えた場面を想起する回数が減少する傾向がある。

認知的な視点を採用すれば、恋人達は反復的な強迫的な思考、ただし心地良さや陶酔感を感じる思考に不規則に捉われ、『相手の長所と短所を総合的に好意的・肯定的に捉える認知』を段階的に形成していくこととなる。


2.陶酔感と恐怖感の“両価的(アンビヴァレント)な感情”の葛藤状況

恋愛感情の通奏低音は、歓喜のみでもなければ苦悩ばかりでもなく、愛憎の感情が併存する『両価性(ambivalence)』である。
何故、好きな相手に対して肯定的な感情である愛情・好意だけでなく、否定的な感情である嫉妬・憎悪を抱いてしまう事があるのか、あるいは、心の深奥に相手に対する不信や違和感を感じてもどかしく満たされない思いをすることがあるのだろうか?
この質問に対する答えは、端的に言えば排他的な独占欲求が最終的には挫折するしかない宿命を背負っているからであり、相手を自分とは異なる独立した個人として尊重し受容することは自らの利己的な独占欲求をある程度抑制することを意味するからである。

人間は『完全無欠の永遠に消えない対象』を手に入れることは、どのような方法を用いても出来ない。その世界の基本原理である“対象喪失の必然性”に抗する為に、人間は大脳新皮質を巨大化させて言語機能と記憶機能を獲得したとも言えるのである。
母親との分離による対象喪失と言語世界即ち象徴界の獲得についての哲学的な論考は、構造主義の考え方を精神分析に持ち込んだジャック・ラカンの諸作を参考にして欲しい。

人間は言語と表象(イメージ)によって対象喪失の不安や悲哀を克服しようとしたのだが、生物学的な基盤と生殖戦略を駆動する本能的欲求が恋愛には関与している為に、知的・言語的な方略によって対象喪失の悲哀や抑うつを完全に克服しきることは出来ない。
即ち、マクリーンがいう初期の哺乳類脳である大脳辺縁系が生み出す激しい情動によって恋愛の歓喜と興奮は生み出され、同時に恋愛の苦悩と落胆も生み出されるのである。

人間の大脳新皮質が生み出す高度な知的情報処理能力及び学習能力・計算能力は、人間の最高の武器であり、理性的な思考と創造的な活動の源泉なのだが、快・不快を規定する大脳辺縁系の扁桃体の情動的評価を覆すことは出来ない。
知的な思考や推測、学習、言語活動によって、人間関係から生起する感情や気分を自由自在にコントロールできないところに人間関係の困難と葛藤がある。
感情を知性で超克できるとする理性至上主義を全否定することは出来ないが、世俗的な生活環境に生き、多種多様な人間関係を楽しもうとする意志のある個人の場合には、感情を知性で押さえ込み達観する事は至難であるし、自然な感情表現を無理に抑圧するのは極めて不健全なことでもある。


人間は確かに生物学的な観点からは、遺伝子の複製機械と解釈することもできるが、心理学的な観点からは、対人関係やコミュニケーションを媒介として精神的な充足と主観的な幸福を求める社会的な動物と解釈することもできる。
哲学的な観点からは、自我意識に内閉した自己の独我論的世界を外部へと開き、他者と出会う事によって実存的な孤独感や無力感の暗雲を打ち払い、客観的な現実感覚を獲得しようとする存在であるといえる。
大人になるということの一端は、『自分と同じ権利と尊厳を持った他者と同じ世界に生きていること』を承認することにあり、独我論的な自己中心性を脱却していくことにある。
他者との利害関係や協調関係の中で生きるコミュニケーション能力と生活技能、職業知識、一般教養を身に付けていく過程において、社会には自分の思い通りにならない数多くの問題や障害があることを知ることは、幼児的な万能感を諦めて客観的な現実感覚を手に入れることを意味するのである。

また、人は、アイデンティティ確立の為に必要な帰属意識と自己の生存欲求を高める自尊意識に葛藤する存在でもあり、家族・配偶者・恋人・友人・知人・上司・部下・教師・生徒・子どもといった複雑な人間関係の中で自分の存在意義や役割行動を探究する本性を持っている。
そういったアイデンティティの基盤の一翼を担うものとして家族や恋人があり、そのアイデンティティと帰属意識や幸福感が密接に結びついているからこそ、人は強烈な恋愛や家族愛の対象である他者(配偶者・恋人・子ども)を喪失することを恐れるし、喪失によってトラウマや長期的なストレス反応による心身の不調が起こるのである。

また、他者・集団への帰属意識と優越・存在意義と関連する自尊感情が極度に低下した場合、つまり『私は誰も求めないし、私は何もしたいと思わない』という心理状態になった場合には、労働意欲の低下、社会活動への無関心、社会的責任の放棄といった心理的問題や不適応な生活態度の問題が浮かび上がってくる。
ひきこもり、NEET、労働忌避、怠学による放蕩など多くの非社会的問題行動の背景には、アイデンティティの拡散と結びついた『他者への無関心と社会への帰属意識の断絶』がある。

結婚制度というのはその歴史的過程を振り返れば、社会的責任(労働・生殖・育児)を果たす成人になったことのイニシエーションとして働いてきたという経緯があるが、その本質は『孤独なる独我論的世界観の打破による社会的アイデンティティの獲得』にあるのではないだろうか。
現代社会では結婚制度そのものは、社会的自立や社会的責任と完全に同一のものでもないし、成人のイニシエーションとしての位置づけや認識も年々薄まっているが、社会活動や労働行為を忌避する、あるいは、回避して低く評価するという非社会的問題群の考察において『対人コミュニケーションの不全や異性とのコミュニケーションの断絶と孤独な生活様式』は重要なものとなってくる。

何故なら、基本的に物質的欠乏や経済的困窮がなく、日々の生活に大きな不満がなく、両親の経済的庇護を受けて安閑とした生活を送っている人たちが、その生活態度や行動パターンを変容させるためには、内面心理の欲望のベクトルを『自己完結的な快楽から他者共感的な快楽』『社会的環境におけるアイデンティティの確立による自尊心の充足』に向け変えることが最も効果的であると考えられるからだ。
自分の内面に閉じた世界から他者の存在する開いた世界へ移行したいという“モチベーション(自発的な動因)”を高め、その苦労や障害に耐え抜いた成果として自らが納得できる“インセンティブ(外部的な誘因)”が認知できるように導くことが、学習性無力感や自己効力感の問題と合わせて“非社会的問題行動の認知療法の要諦”でもあるのだが、その実践にはクライアントの動機付けと認知の転換の部分で相応の困難と一定以上の時間を必要とすることになる。

現代社会の社会問題や社会病理の根底には、地域社会の崩壊や帰属意識を持てる共同体の衰退の大きな影響があると私は考えているが、その『過去の失われた大きな物語』に代わる『自分固有の生きる喜びにつながる小さな物語』を一人一人が内面に築いていかなければならないし、現在の科学技術水準や経済システムでは『他者の存在しない独我論的な世界』に内閉して生き続けることが不可能であることを認識することも必要だろう。
人間は、究極的には自己愛を超越できないが、必要に応じて自己愛を対象愛へと転換し、他者を愛する歓喜や他者と協力する充実感につなげていくことで、主観的な世界をより柔軟に魅力的に拡大していくことが出来るのである。

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