戦乱と混迷の春秋戦国時代に徳治主義と修己治人の理想を掲げた孔子の漂白遊説の生涯

孔子(Confucius B.C.551-479)は、諸国を封建的に統率していた周王朝の中央集権制度が崩壊し始めた春秋末期に、小国・魯(現在の山東省付近)の昌平郷・陬邑(すうゆう,現在の山東省曲阜県付近)に生を受けた人物である。
孔子は、その名を丘(きゅう)、字(あざな)を仲尼(ちゅうじ)、諡(おくりな)を文宣王と言い、孔子の“子”とは先生・師匠といった意味であり、孔子の言行録である『論語』では、孔子の呼称は全て“子”となっている。
中国史上最大の歴史家とも言われる司馬遷が、紀元前90年頃に書き記した『史記』の世家(諸侯の歴史事績)では孔子の評伝も取り上げられていて、その名前の由来について次のようにある。

『孔子生まれる。生まれて首上圩頂なり。故によって名付けて丘と曰うと云う。字は仲尼、姓は孔子』

丘とは、古代中国において墳墓を意味する語であり、生後間もない孔子の頭頂部が凹んでいた(圩頂)ことから、墓穴を類推して丘と名付けられたようである。
仲尼という言葉にも特別な意味はなく、中国には、長男を孟(伯)、次男を仲、三男を叔、四男(末弟)を季と呼ぶ慣わす習俗伝統があり、仲は次男を意味し、尼は孔子の母親が出産祈願をした尼丘という丘の名前から来ているという。

中国には、本名と字(成人を迎えた時に対外的な名として授けられる名)という二つの名前を持つ伝統的な慣習があるが、これは中国特有の血縁主義に根ざす二元論的世界観の現れであり、名を状況と相手によって使い分ける事により、内部(血縁者との関係)と外部(他者との関係)の境界線を明らかにしているのである。
古代の中国文化圏において、血縁関係の外部の人間が、相手を本名で呼ぶ事は無礼で非常識な行為であり、通常、家の外での社会的な人間関係の中では字(あざな)でお互いを呼び合う事が礼儀とされていた。

孔子の家は、経済的に豊かではなく厳しい貧困の中にあったが、孔子は幼少期より衆に抜きん出た学問的才覚と人格的素質を示して強い政治的野心を抱いていた。
孔子は、学問の才知によって立身出世の仕官を願い、壮年になって故国魯の国政に参与して善政を敷こうとするが、魯内部の有力貴族である三桓との政権闘争に敗れて、官職を辞し追われるように魯を去る事となる。

しかし、孔子の儒教思想や生涯が現在にまで延々脈々と語り伝えられている理由の一つは、孔子が仕官に失敗して、流浪の旅塵に長期間さらされたことにある。
孔子の人生の政治的な不遇が、儒教が説く個人の道徳的修養(人格的陶冶)の基盤を養い、仁徳と学知を兼ね備えた士大夫による徳治主義政治の理想へとつながっていくのである。
私の私見では、儒教あるいは儒学の根本精神は、『真摯かつ誠実な学究精神』にあると考えていて、これは日本の大儒であり国学者である本居宣長の言う『ものまなびの心』と考えても良いのではないだろうか。
孔子ほど志学の精神を奨励し、生涯にわたる学習研鑽を基盤とする人格修養を励行した人間は、歴史上極めて稀有であり、またいずれ『論語』の学而編などを参照しながら学習する事の大切さについて語ることもあると思う。

孔子は、故国魯を追われてから後、自らの理想とする仁徳と礼による政治を実践する為に、弟子の子路や顔回らと共に、14年間(B.C.-B.C.)の長きにわたり諸国を放浪遍歴して諸侯に遊説した。
だが、結局、孔子を師とする儒家が説く仁徳と礼楽の徳治主義による経国済民の政治形態が、諸侯に採用されることはなかった。
それは、厳しい道徳規範の遵守と礼の実践を為政者(君主・諸侯・士大夫)に求める儒教は、理想とする政治形態への道が余りに遠く、多くの野心的で利己的な為政者にとって、道徳や礼儀の遵守を説く儒家の教えは煩わしく窮屈なものであったからである。
更に、諸国が群雄割拠して干戈を交える戦乱混迷の時代に、儒教の倫理的な政治思想は需要が乏しかったとも言える。

中国大陸の覇権を巡って日々極度の興奮と緊張状態にある諸侯には、最高道徳である『仁』に向かって人格的修養や学問的研鑽をゆるゆると押し進めることは迂遠な営みだと捉えられたことであろう。
また、為政者の徳性の修得によって、国家を仁と礼で統治する事は、非現実的な机上の空論と思われた可能性も高い。
諸侯の殆どは、儒家の説く徳治主義や倫理規範による人格陶冶には、食指をそそられなかった。
むしろ、儒家の秩序志向の思想よりも、戦争の勝利をもたらすような実際的な軍略兵法、外交利益を生み出すような交渉技術や国益を増進させる政治戦略のほうを求めていた。

プラグマティックな政治戦略を語る遊説家や短期間の内に実際的な利益や成果を生み出す方略を説く思想家を、諸侯は好んで国政に採用していたことが、孔子が率いる儒家が春秋戦国時代に振るわなかった理由の一つとして挙げられる。





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