ギリシア世界のエロスとキリスト世界のアガペー

オリンポスの神々の最高権力者である主神ゼウス(ジュピター)でさえ抗する事の出来ない特殊能力を持ったエロスは、ヘシオドスのギリシア神話が紡ぎ語る世界草創期に誕生した“愛と嫌悪の情動を支配する神”です。
ギリシア神話は、世界の始原を“象徴的な神々”の出現を用いて滔々と幻想的に語りますが、世界の始まりに生まれた神の多くは、自然崇拝や精霊崇拝の名残を受けた神であり、エロスのような人間的感情を司る神は他にいません。

ギリシアの詩聖とも呼ばれるホメロスは、ヘシオドスよりも古い時代の人物とされていますが、ヘシオドスとは異なったギリシア神話を語り伝えています。
ヘシオドスは、世界の最初期には、何も存在しない空虚な茫漠とした広がりであるカオス(空隙・混沌)があり、そこから、大地の女神ガイア、愛欲の神エロス、冥界の王タルタロスが誕生してきたと説きます。

一方、ホメロスは、大河の神オケアノスと海の女神テテュスによって世界は創造されたと詠っており、世界の起源は河、川、海、湖といった水に関する神に依拠するものとしています。
自然科学的に生命の起源を考えていっても、有機物合成の材料である幾つかの化学元素が溶け込んでいた『原始のスープ(海)』が生命発生の場と考えられますから、ホメロスのみならず哲学者ターレスなどが水が万物の起源であると考えたのは興味深いです。

ホメロスは、叙事詩『イリアス』において、トロイアの若き王子パリスがギリシアから絶世の美女ヘレネをさらったことが原因で起こる“トロイア戦争”の栄光と悲哀を美しい文章で描きました。
複雑な人間関係の中で幾つもの愛憎劇が繰り広げられ、ギリシアの無敵の猛将アキレス(アキレウス)が、愛すべき友の死に激烈に怒り戦意を昂揚させて、トロイアの英雄ヘクトールと壮絶な一騎打ちを演じる場面が物語の佳境です。
ブラッド・ピット主演の映画『トロイ』などでも、アキレスとヘクトールの堂々とした力強い生命力漲る一騎打ちは最大の見せ場となっています。

ホメロスは、トロイア戦争を壮大なスケールで描いた『イリアス』のみならず、『オデュッセイア』でも、“トロイの木馬”戦法を用いたギリシアの英雄オデュッセウスの冒険と流浪の物語を面白く叙情的に語ります。
トロイアを応援していた海神ポセイドンの怨恨を買った為に、地中海を渡って故国のイタカ島へ帰還する事が困難になったオデュッセウスは、魅惑的な歌声で船を難破させるセイレーンや一つ目の凶暴な巨人キュクロプスといった試練難関を潜り抜けていきます。
智謀と勇気に満ちたオデュッセウスは、ポセイドンが仕掛けた幾多の危険な状況を解決し、長い長い漂泊放浪の旅を何とか終えて、ようやく念願の故国イタカへ帰還する事になるのですが、そこでも人間的な感情に基づく対立や問題が持ち上がってきます。

ここまで冗長にギリシア神話の世界とホメロスの叙事詩の解説をしてきたのは、古代ギリシアの基本的価値観が、『愛欲のエロスに根ざした快楽と歓喜』『肉体的な強靭さと美しさの讃美』にある事を示す為です。
私は、『エロスとアガペーの狭間で揺れる情愛と感情 』で、自己充足的な好みの対象を選択する愛欲である“エロス”と利他的な相手を選ばない無償の神の愛である“アガペー”を対照的な愛の形であるとして対置しました。

歴史的な宗教の系譜や支配的な性道徳の推移といったものを考慮に入れて、恋愛(性愛)あるいは純粋なイデアとしての愛を見てみます。
すると、エロスとはギリシア的な情欲優位の利己愛、人間的な快楽と密接に結びついた愛であり、アガペーとはキリスト的な理性優位の利他愛、神聖で倫理的な禁欲と結びついた愛と言えるでしょう。
ここでは、キリスト教の歴史や教義、その道徳観を反駁しようとするニーチェの思想などを詳細に振り返る余裕はありませんが、キリスト教の性道徳、特に、聖書に忠実なプロテスタントの性道徳は非常に厳格であり、近代以前には性行為で快楽を得る事そのものを不埒であるとして罪悪視する風潮さえありました。

男性原理を前提とした一夫一婦制の厳しい遵守、同性愛など生殖につながらない性行為の禁止、売春や性風俗など金銭を介在した性行為の罪悪視などが、キリスト教(その他の一神教も含む)の禁欲的な性道徳の代表的なものと言えるでしょう。
現代社会にも残存するプロテスタント的な性道徳観として、ロマンティック・ラブ・イデオロギー、売買春への抵抗感、性的マイノリティである同性愛者への差別や抑圧などがあります。
禁欲的な羞恥と罪悪を前提とした性道徳の多くは、父性原理(男性原理)に基づくキリスト教やプロテスタンティズムの性道徳の歴史に起源を持つものが多いと考えられます。

古代ギリシアは、未だ母性原理(女性原理)が支配的だった太古の宗教的伝統の名残があった時代であり、男尊女卑的な風潮はなく、性の快楽・喜びを道徳規範(神との契約による)で管理支配することもありませんでした。
性の快楽や喜びを羞恥としたり、生殖と無関係なセックスを罪悪であるとする傾向があるプロテスタンティズムの倫理観は、人間の性愛(エロス)を神への純粋な敬愛や親愛に転換させようとする秩序志向の規範であり、女性の性を男性優位な社会構造の中に囲い込もうとする男性原理の現れでもあります。

中世のキリスト教世界で創作された絵画や彫刻などの芸術作品に描かれる人物達は、皆、きちんと衣服を纏って肌を露わにすることがなく、性的な衝動や情愛を刺激しないような構図とテーマが巧妙に選ばれています。
それと対照的に、古代ギリシア世界の神々や人間を題材にした絵画では、ボッティチェリが異教徒の官能性を意識して描いたとされる『ヴィーナスの誕生』やベルニーニの躍動感溢れる『アポロンとダフネ(アポロンに追われるダフネ)』のように衣服をまとっていない均整の取れた豊かで美しい裸体が描かれ、彫刻でもミケランジェロの彫像のような筋骨隆々とした逞しく強靭な肉体を持った男性の裸像が彫塑されています。

ギリシア世界のエロスとは、人間のありのままの感情や他者を求める欲求の肯定であり、恋愛がもたらす刺激的な興奮や無上の歓喜の承認です。
エロスを承認する立場を取るならば、様々な形態の性愛がもたらす快楽を羞恥として隠蔽することはなく、恋愛が生み出す陶酔を堕落であるとして非難したりすることはありません。

情熱的な恋愛(性愛)を、人間の豊かで輝かしい生の一部として受け入れ、異性(同性)との愛情の交換や心身の親密なふれあいを人生の大いなる価値として讃美するところにギリシア的エロスの本質があると言えるのではないかと思います。

更に、エロスは、肉体的な性愛という狭い領域のみに留まるものではなく、プラトンが“洞窟の影の比喩”で説いた二元論的世界観(不完全な現象界と完全普遍のイデア界)を前提とした“精神的な憧憬”として理解することもできます。

プラトンのイデア論によれば、不完全で有限な現象界の事物にも美しいものはありますが、それらは全て永遠普遍の完全な美のイデア(原型)を分有して模倣しているに過ぎない事になります。
プラトンのエロス、俗に言うプラトニック・ラブとは、不完全な現象界に生きる人間が、自分に欠けているもの不足しているものを求めて、イデア界にあるという完全普遍の美を憧憬すること、永遠不変の価値あるものとの合一融合を憧憬する愛であると言えるでしょう。

プラトニック・ラブとは、現実的な世界には断片的にしか存在しないイデア界にある美の本質原型を精神的に求める事であり、『理想的なイデアとしての美』『永遠普遍のイデアとしての異性(同性)』を形而上学的に想起し、天上のイデア界を上昇的に憧憬する情熱的な愛です。





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