孔子を始祖とする儒教の思想と歴史の考察:倫理・教養・政治・宗教の顔を持つ儒教

20世紀前半まで、東洋思想の根幹として強い影響力を持っていた儒教(Confucianism)は、多くの革新的な学派学閥が次々と湧き起こってくる春秋戦国時代に、孔子(Confucius B.C.551-479)を始祖として誕生しました。
儒教は、中国本国のみならず、朝鮮半島、日本など東アジア全域へと広まっていき、封建主義を支える政治哲学や祖先崇拝の宗教教義としての地位を高めていきました。

多種多様な思想家と学派学閥が続々と出現してきた諸子百家、百家争鳴の時代には、孔子の儒家以外にも、道家、陰陽家、法家、名家。墨家、縦横家、兵家、農家、雑家など無数の思想集団や学問団体がお互いに影響を与え合いながら存在していました。

儒教は、多面的で複層的な思想であり、儒教を学ぶ方法や実践する目的によって色々な容貌を見せてくる事となります。
人間が踏み行うべき正しい道を示す“倫理規範”、社会を鷹揚毅然として優美に生き抜く知恵を得る為の“学問教養”、有徳の君子による国家安泰の政治を行わんとする者にとっての“政治思想”、祖先崇拝の為の祭祀や儀礼式典、天命拝受の思想など“宗教教義”といった多面的な顔を儒教は持っていると言えるでしょう。

特に、論語など『四書五経』を聖典とした学問としての儒学は、時代を重ねるにつれて次第に政治性や権威性を高めていくことになりますが、私は、立身出世の道具として認識される儒教よりも、人間心理の精細な機微と天命に基づく世界のあり方を誠実な眼差しで見つめた孔子の一貫した思想に魅力を感じています。



『四書五経』とは、以下の経典書物を指します。
儒教の日本伝来は、538年の仏教伝来よりも早い5世紀の応神天皇の御世に伝来したとされています。
四書は、南宋(1127~1278)時代の大儒学者で、新しい儒学の流れである朱子学を創始した朱熹(1130~1200)によって儒学の基本的書物として定められたものです。
五経のほうが成立年代は古く、董仲舒の進言によって儒教が前漢の国教となってから後に、儒教の基本的経典として選定されましたが、孔子本人が直接的にそれらの経典を最重要なものと言及したという訳ではないようです。

□四書

『論語』……儒教経典の中で最も著名な書物であり、儒教思想の中心理念や倫理規範を示唆する逸話が記述されている。孔子と弟子の言行録を収めたもので、孔子の弟子により戦国時代初期から作成編纂され、漢代に成立した。全20編より構成される。

『孟子』……武力による威圧的統治である覇道政治を否定し、人間は生来的に善なる性質を持つという性善説に基づく王道政治を提唱した孟子(B.C.372-B.C.289)の言行録で、全7編からなる。

『大学』……儒教の入門的な読みやすい書物で、儒教思想の最も根幹である修身斉家の大切さや修身による徳の実現と天下平定との関係などを説く。

『中庸』……孔子の孫の子思が著述した深遠な世界の摂理(世界のあり方を決定論的に既定する天と自律的に修養を積み天命を知るべき人との関係)を思弁的に解明しようとした哲学書として位置付けられる書物で、元々は五経の『礼記』の一部である。宋代の朱子学の祖・朱熹(朱子)によって四書の一つに加えられ、朱熹は『中庸章句』という注釈書を著している。

□五経

『書経』……中国黄河文明の伝説上の聖王である尭・舜、夏・商(殷)・周の王や家臣の言行録であり、歴史書でもある。全58編よりなる。儒教が教える理想的な政治形態としての古代の聖王による徳治政治が記述されており、元々は『尚書・書』と呼ばれていたが、宋代に至って『書経』と呼ばれるようになる。

『詩経』……孔子が編纂したと伝えられる中国最古の詩集である。西周から春秋時代に及ぶ歌謡305編を集めている。風(民間伝承されている民謡)・雅(儀礼式典などの際に演奏される朝廷の音楽)・頌(しょう:祖先の優れた徳を讃美する詩楽)の三部門に分類して詩文が収録されており、更に、風は15の分野に細分化され、雅は小雅・大雅の2つに分類され、頌は周頌・魯頌・商頌の3つに分けて収載されている。現存している詩経は、漢代の毛亨(もうこう)が記したとも言われ、『毛詩』と呼称されることもある。

『易経』……陰陽説を汲んだ周王朝期の卜占(ぼくせん・占い)に関する書物である。経文と解説書である『十翼』をあわせて12編からなる。二元論的世界観における根本原理としての『陰』と『陽』を6つずつ組み合わせた六四卦(け)によって、自然現象の推移を説明し、人生の過程における運命・変化を一般法則化して占おうとするものである。『十翼』は、儒教的な倫理規範や気に基づく宇宙観を加えて解説したものである。伝説的人物である伏羲(ふつき)氏が『卦』を発案し、周の文王が卦辞を考案し、周公が爻辞(こうじ)を思いつき、孔子が卜占の解説書としての『十翼』を記述したと伝えられるが資料に基づく客観的根拠があるわけではない。

『礼記』……儒教における人間関係の基本であり、社会秩序維持の要諦である『礼』について詳細に解説し理論化したものである。形式的な礼としての儀礼を解説するだけでなく、祭祀儀礼に不可欠な音楽についても説明している。政治を安定させ、学問を社会生活で実践して修身する為の『礼の根本精神』について語られている。唐代に他の礼書を抑えて五経の中に加えられたもので、三礼(さんらい)の一。前漢の戴聖(たいせい)が、孔子が理想的な時代とした西周時代の古い礼の記録を整理したものといわれ、『小戴礼』とも呼称される。全49編よりなる。

『春秋』……孔子が作成編纂したと伝えられる、中国古代・魯国の歴史書で、全11(12)巻よりなる。前480年頃に成立したとされ、孔子の生誕の地である魯国の隠公から哀公に至る242年間(B.C.722-B.C.481)にわたる歴史的事跡を編年体で著述したものである。春秋時代という時代区分の名称は、この年代記からとられたものである。歴史上の事跡の記載項目に関する取捨選択や文章の表現方法など、『春秋の筆法』と一般に呼ばれる記述法が採用され、歴史への厳しい批判的姿勢に基づく書物である。

□『春秋』の注釈書……春秋三伝

『春秋公羊伝』……戦国時代の斉の公羊高の注釈書で、全11巻よりなる。
『春秋穀梁伝』……穀梁赤の注釈書。
『春秋左氏伝』……左丘明の注釈書として伝えられ、春秋三伝の中で最も高く評価されており、収載されている史実の内容が豊富であり、秀逸な文学的表現と洗練された文体が使用されている。


儒学は、楚の項羽垓下の戦い(202年)で破った劉邦が創建した漢王朝(B.C.202-A.D.8)で国教となった事を嚆矢として、政治体制と密接な関係を持つようになります。
自由主義や民主主義という個人の平等を普遍的原理とする素晴らしい政治理念が存在する現代社会に生きる私達は、かつて封建主義の根幹を支えた儒教思想と聞くと、抑圧的支配や身分差別といったマイナスのイメージを反射的に思い浮かべてしまいます。

儒教の思想や言葉には、確かにそういった民主主義や人権思想に背反する部分もあるのですが、孔子が登場した春秋末期という不安定で緊迫した時代背景も合わせて考えると、安定した日常生活を送る為の封建的な社会秩序が重視されたことは致し方ないと考えられます。

孔子が起こした儒教の政治面での功績は、有徳者が国家を統治し政治を行うべきであるという“徳治政治”の推奨でしょう。
それまで、王・諸侯・貴族といった支配者階級の人格性や道徳性は余り問題視されてこなかったのですが、儒家の登場により、為政者(君子・士大夫)は、庶民から敬意や信頼を集める『仁を頂点とする徳性』を兼ね備えていなければならないと考えられるようになっていきました。
儒学は、漢王朝で国教となり、随王朝で科挙の必須科目としての学問的地位を確立し、近代の清王朝に至るまで為政者や知識人が必ず修めなければならない基本的教養となっていきます。

儒教は、仁・義・礼・智・勇を兼ね備えた有徳の君子と士大夫による国家統治というノブレス・オブリジェ(高貴なる者の義務)が徹底された理想政治を説いている事もあり、為政者が修得すべき基本教養となるのですが、中国では、随王朝の文帝がエリート官僚採用試験である“科挙”を始めてからますます儒学の学問的価値は高くなっていくこととなります。

官吏採用試験の問題の殆どが、儒教の四書五経の素養とその応用を問うものとなっていたので、国で重要な職責を担う高い地位に就く為には、必然的に儒学の勉強と基本文献の暗記を懸命に行わなければならなくなったのです。
高級官吏登用試験の科挙が採用されたことは、アジア世界で初めて苛酷な競争を前提とする学歴社会が成立したと言うことも出来ますが、科挙の持つ最大の歴史的意義は『血縁地縁社会から実力社会への移行・官位官職の世襲制度の切り崩しによる公平な選抜方法の提示』ではないかと思います。
つまり、それまで政治や行政に参画する方途がなかった一般庶民が、科挙の誕生により儒学を必死に勉強すれば僅かな確率であっても高級官吏として政治に参加することが出来る様になったという事が、中国史における科挙の持つ最大の意義でしょう。

儒家という学問集団あるいは宗教教団が起こした儒教は、一般庶民の生活習慣やアジア各国の文化伝統にも非常に大きな影響を与えてきた思想です。
儒教には、祖先崇拝の儀礼や冠婚葬祭の作法といった“宗教的側面”があり、西欧世界の文明圏では儒教はアジアを拠点とする宗教教義の体系であるといった認識が一般的にありますが、儒教は、超越的存在者への帰依や形而上学的な教義を持つユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教のような純粋な宗教とは異なります。

仏教は、一神教と違って、全知全能の神(超越的存在者)への帰依を説きませんが、極楽浄土や地獄といった『死後の世界』を想定した教義体系(釈迦本人は、死後の世界や輪廻転生について語っていないと言われますが)をもち、俗世的な欲望を煩悩(苦の源泉)という形で否定的に解釈する『超俗的な世界観』を持っている事からも、現世の苦悩からの救済・解脱といった宗教の性格を備えています。

孔子や老子といった諸子百家の思想家や学問学派が生まれてきた春秋戦国時代とはどのような時代であったのか、時間のある時に中国古代の歴史を見ていきたいと思います。





この記事へのトラックバック