『私が私であるという理由のみによって愛され承認される快楽』と『現代社会の構造的な悲哀と孤独』

カール・ロジャーズは、ありのままの自己を肯定的に受容される事によって、人間は精神的な成長が加速促進され、不登校や就職拒否、家庭内暴力(DV)など環境への不適応の問題は改善し、精神疾患の症状の苦痛も緩和すると考えましたが、ロジャーズに欠けていた視点を批判的に指摘することも出来ます。
まず、ロジャーズの理想的な実現傾向を有する人間像の概略を彼の言葉で見てみましょう。


人間は受容され評価される時に自己自身を大切にする方向で成長するからなのです。共感的に聴いてもらう時、自己の内面で蠢く体験に耳を傾けることが出来るようになるのです。
個人が自己を理解し評価する時にのみ、自己は経験と調和を持つようになるのです。このようにしてより真実な自己となるのです。これらは治療者の態度の反映であり、個人をしてより効果的に成長していく人間に変えるのです。
そこには真の全人となる自由が存在します。

中略

あらゆる生命体は、各水準に於いて内在する可能性を建設的に開花させようとする基本的動向を所有しているという事が出来ます。
人間に於いてもより複雑でより完全な発達に向かう自然の傾向が存在します。これを表現する用語として一番よく使用されるのは『実現傾向』であり、これはあらゆる生命体に存在します。
花であれ樹であれ、虫であれ美しい蝶であれ、猿であれ人間であれ、生きる事は積極的なプロセスであって決して受動的なものではないと認識してよいと私は確信しています。内的な刺激があろうとなかろうと、環境が良くても悪くても、生命体の行動は自己の維持・向上・再生産の方向にあるのです。
これこそ私達が生命と呼ぶ自然の過程です。この傾向は絶えず働いています。
この全体的志向過程が存在するか否かが、ある生命体が生きているか死んでいるかを告げてくれる基であります。


ロジャーズにとって、人間のみならず、自然界に生きる有機的生命体全てが成長する可能性を内在した存在であり、人間であれば現在の自己の精神状態や行動傾向よりも成長することによって種々の問題を解決できると考えます。
クライアントに対するカウンセラーは、クライアントの成長を促進させる言語的アプローチを行い、非言語的な態度や振る舞いによって共感や受容を積極的に示します。

新行動主義のハル(Hull, 1884-1952)やスキナー(Skiner, 1904-1990)は、オペラント条件付け理論を提起して、行動の結果として得られる刺激によって人間の自発的(オペラント)な行動が統御されることを示しました。
つまり、ある行動をとった結果として、正の強化子(快の刺激)が与えられればその行動の頻度は上がり、負の強化子(不快の刺激)が与えられればその行動の頻度は下がるという『飴とムチの理論』が、オペラント条件付け理論です。

行動主義心理学の根底にある人間観は、環境決定論的なものであり、環境からの刺激が変化すれば人間の行動も変化するという確信がそこにはあります。
それと同様に、ロジャーズも相手からの共感的理解や無条件の積極的尊重と肯定的受容といった“一定の環境条件”が整えば、人間は成長促進的な方向へと心理も行動も変化するに違いないといった環境主義に近接した基本的人間観を持っていたと言えます。

また、実現傾向を批判する見解としては、自然界の生物全般の“非意図的な”活動や成長を、社会環境における人間の“意図的な”活動や成長のアナロジーとして用いているという意味で『自然主義の誤謬』を指摘することが出来ます。
自然主義の誤謬というのは、社会問題や政治活動にも強い関心を寄せる自然科学者が犯しやすい誤謬であり、自然法則が示す自然的事実をそのまま人間社会の既定事実や行為規範として当て嵌めてしまうことです。

典型的な自然主義の誤謬としてよく日常生活で聴く言葉としては『私達人間も生物の一員なのだから、自然の摂理や法則に従わなければならない。自然界の法則として、自然淘汰や食物連鎖があるのだから、人間社会も適者生存の原則に従うべきであり、社会福祉政策や社会的弱者の保護支援はする必要がない』といったものがあります。
特に、後者の自然主義の誤謬、人間社会にダーウィニズムのような自然選択(自然淘汰)の原理を持ち込んで、弱肉強食の競争に基づく社会運営こそが正当であると主張する思想を『社会ダーウィニズム』と言い、適正な人口調整政策や国家財政再建策など様々な根拠や理由をつけて流用されやすい思想であり、相互支援的なセーフティネットの張られた安心できる社会構築を否定するという意味で警戒すべきものといえるでしょう。

ロジャーズの自然主義の誤謬は、社会ダーウィニズムのような実際的な危険性はないものですが、植物の自然な発芽・成長や動物の摂食行動や繁殖活動といった『人間的な善悪や良否の価値判断』と本質的に無関係な本能的行動や成長を根拠に実現傾向を説いている辺りに、客観的な説得力の弱さがあるとは言えそうです。

しかし、実現傾向というある意味で哲学的な概念の正当性にこだわらずにロジャーズの来談者中心療法の理論を眺めていくと、他者からありのままの構えていない自己を肯定的に受容して貰い、しっかりと理解して貰う事で精神状態や生活状況が改善するというのは、実証的に確認されているところであり、心理学的にも理解することが出来ます。
つまり、社会内存在である人間にとって必要不可欠な“承認欲求や安心できる環境への帰属欲求”が自然に満たされる事によって不安定だった精神状態が改善してきます。
その結果として、自己否定感や他者否定観を和らげ、生活世界への抵抗感からきていた環境不適応が適応に向かって動き出すと考えることが出来ます。

ロジャーズの理論の脆弱性をもう一点指摘するならば、『人間存在の独自性や固有性』に注目し重視し過ぎた為に、『人間存在の社会性や共同性』に対する配慮がやや不足しているという事が言えるかもしれません。
しかし、ロジャーズが個人という唯一無二の単独的存在性にこだわって、カウンセリング場面に特別な他者との出会いという意味をこめた理由も分からないではありません。

現代社会は、社会学でいうところのゲゼルシャフト(利害共同体)であり、ゲマインシャフト(かつての村落社会のような情的共同体)に典型的に見られる共感的な情緒に根ざした人間関係は極々限られた範囲でしか見られません。
同じ社会に生きる成員であっても、社会的役割を享受してその役割に基づいた行為を行う中で、他者との関係を持つ機会が増えていきます。
その結果、私達の自己肯定感や自己存在に対する意味の実感は、次第に役割意識に根ざした表層的なものとなっていく恐れがあり、真実の深い親密な人間関係を築く事が出来ないという孤独感や空虚な思いへと発展していくこともあります。

現代社会における哀切な虚しさというのは、産業文明社会という巨大な大量生産機械の部品や歯車としての自己を無意識的に想起してしまう可能性があるという事です。
社会的役割関係や社会的役割意識のみにアイデンティティ確立が依存してしまうと、『私は一体何者であるのか?』という究極的な存在意義確認の問いに対して、毅然とした自信に満ちた態度で答えることが困難になることがあります。
社会構造や社会制度の一翼を何らかの職業や機能をもって担うということと人生を生きるということがあまりに接近し過ぎてしまうと、自分が『交換可能な存在』であるという自尊心を低減させる意識が強まります。
仕事や役割に強く固執して、そこに自分だけしか出来ない独自性や固有性を見出そうとしすぎると、そこには自分以外の他者でもその役割を代替する事が出来るという悲観的で絶望的な木霊が響くばかりとなるかもしれません。

システマティックな現代社会において、『独自性と唯一性を持つありのままの私』を見出せる場所として、ロジャーズはカウンセリング的な人間関係を提起したと考える事ができ、これは特別なカウンセリング場面や専門的アプローチでなくても、『自分が自分であるという理由だけで、愛してくれる、認めてくれる他者』がいれば、それだけで精神的に良い効果をもたらすことが出来るという事を示唆しています。

『ありのままの自分の存在』をゲゼルシャフトとしての近代産業社会が無条件に受容してくれることはありませんから、『特別な能力を持つ自分・優れた魅力を持つ自分』をアピールしなければ自分の存在意義が他者や社会から認められないのではないかという不安や焦燥感を現代人は抱えやすくなります。

そして、社会の共同性からの疎外、他者の共感性からの疎外が、資本主義経済環境における『他者との差異化を目的とする消費行動』を誘発し強化していくといった不安や孤独を原資とする循環構造が組み立てられている事にも注意を払うことで、現代社会が一層良く見渡せるようになるかもしれません。
現代社会の苦悩や不幸の多くの原因が、他者との相互的な信頼感の喪失や社会内での自己アイデンティティ確立に関する安定感の瓦解と関係していることを見ても、私達人間の精神は本質的に他者との連帯や共感に基づく快楽を志向していると考えられます。





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