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zoom RSS 福田定一(司馬遼太郎)『ビジネスエリートの新論語』の書評2:恒産なければ恒心なしの解釈

<<   作成日時 : 2017/04/02 21:39   >>

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サラリーマン哲学の原型を徳川家康家訓の『人の一生は重荷を負ふて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思へば不足なく、心に望みおこらば困窮したる時を思ひ出すべし。堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思へ。勝つ事ばかりを知つて負くる事を知らざれば、害その身に至る。おのれを責めて人を責むるな。及ばざるは、過ぎたるより優れり』で示しているのは、後に歴史小説家として大成する司馬遼太郎らしいユーモアが効いている。

福田定一(司馬遼太郎)『ビジネスエリートの新論語』の書評1:サラリーマン的生き方の原点

大学教授かつ大学総長である末川博氏が『何でもいいから月給取り(サラリーマン)になるために大学に入ったのか、頭を使って人にできないことを独立してやってみろ・自分に適した仕事をして社会貢献することが職業の本筋だ』みたいなサラリーマン批判をしているが、これはサラリーマン自体がエリートだった昭和30年代の時代背景を考えても、サラリーマンよりも更にエリートで厚遇されていた大学総長(恐らくはマルクス史観にも影響された知識人)の上から目線の学生批判・社会変動の批判に過ぎないだろう。

理想的な職業人の境地として、エジソンの名言の『私は一生涯、一日の仕事も持ったことがない。すべてが慰みであったから』が上げられているが、一般にサラリーマンが自分の仕事や役割そのものを、エジソンのように自発的に給料が入らなくてもやりたい発明・思索のようなものとして捉えることはほぼ不可能だろう。司馬も義務感・責任感から精一杯に努力を続けられるサラリーマンを、学者・芸術家・発明家よりも評価して、インマヌエル・カントの『人は義務を果たさんがために生きるのである』を上げている。

昭和30年代という戦争が終わって間もない混乱期の日本は、サラリーマンで必死に働いてもなお貧しかったが、特に日本は国家の社会保障(年金も生活保護も健康保険も)というものが殆ど整備されておらず、家族主義の扶養義務、特に長男に課せられていた家族の扶養義務は非常に重たかったことが記されている。

その今と比べても格段に重たい長男の扶養義務について、司馬は『ニッポン国がやるべき仕事を“孝行”とか“兄弟愛”という美名のもとに請け負い、月給2万円未満の中から両親を養い、兄妹を養い、妻子を養い、さらに時と次第ではオジ、オイ、遠類を養うという奇蹟の演じ手なのである』という文章で表している。経済的に非常に貧しかった日本における、サラリーマンの定期的な給与のありがたさ、社会保障がほぼない国における家族・長男の稼ぎに全面依存する生活のあり方の厳しさ(社会保障の家族制度への全面依存が生む子供・嫁の困窮)が記されている。

司馬もやはりその時代を生きた人だから、どちらかといえば『家族制度依存の老親扶養・保護』に同情的な意見を書いているのだが、それと同時に昭和30年代の若者・中年たちが老親の面倒を薄給で苦労しながら見たとしても、自分たちが老いた時にはもう家族に頼ることは難しい時代になっているだろうという未来の予見をしている。

長男サラリーマン自身は老後に家族制度の恩沢を受ける度合いはさらに希薄なものになるとし、『数千年つづいてきたニッポンの家族制度(この辺の歴史解釈には異論も多いが)の最後の末端に右足だけをつっこんでいる人々である』として、今の現役世代(昭和30年代)は大いに団結して社会保障制度の促進に政治家どもを督励せよと結んでいるのだが……この約50年後にはその社会保障予算の肥大と少子化(子供世代に親の扶養・面倒は期待しづらい)によって逆に国家財政が圧迫されてしまう問題が深刻化している。

会社員・公務員として働いている時の問題として、『人生意気に感じる生き方』や『目的達成に情熱を燃やす生き方』がしづらくなってくる、やる気・使命感に燃えている新入社員も数年が経つ頃には日常業務の反復のゆるい感覚に陥りやすくなるということはある。仕事への情熱と勤勉の尊さを語る名言として『人生は活動の中にあり、貧しき休息は死を意味する(ヴォルテール)』や『思索しないで、自分を働かすがよい。これこそ、人生を堪えうるものにさせる唯一の方法だ(ヴォルテール)』などを上げているが、なかなかに勤め人であることを『生涯の目的』に一致させることは難しい。

安定した仕事と給料のあるサラリーマンの特徴を一言で表現したものが、孟子の『恒産無ければ恒心なし』であり、直接の意味は財産を持っている人は精神が安定しているということだが、ここでは恒産の意味が『財産(蓄積された固定のストック)』から『安定収入(サラリーマン的な月給のインカム)』に変わったということが語られている。

今の時代でも、自分の好きなことや昔から夢見ていることを職業にしたいから、一日の自由時間がほぼなくなるサラリーマンとしての就職をしたくないという若者は少なからずいるが、サラリーマンになって就職するかそれ以外の自分のやりたい道で収入を得ようとするか(成功の見込みはかなり低い道を諦めずに行くか)という若者の悩みそのものは、昭和30年代以前にもあったある種普遍的な悩みであり、大人の回答は概ねサラリーマンになったほうが良い(そうでないとまともな収入が得られず生活や結婚などで行き詰まる)というものにはなる。

司馬遼太郎は作家志望で定職に就いていないノマズクワズ氏と、その友人で大学教員として安定した収入を得ている友人を登場させた対話で、女房も貰えない生活困窮の不安で就職しようとかどうか迷っているノマズクワズ氏に、『サラリーマン的な安定収入こそが現代(昭和初期)の恒産である旨』を言葉巧みに語って説く。

社会動乱や経済不安の昭和30年代にあっては、多少の財産(恒産)があったって収入が入らなければすぐに減っていくリスクが高いが、会社に就職して毎月必ず少額ながらも月給を貰えるということは、『ゼロにはならない巨大な米蔵(当時は年功賃金が当たり前の時代だから長くいればいるほど給料も増える)』を持っているのと同じで、一気に大金は引き出せないが飢えないよう困らないように毎月少しずつのお金を給与として引き出すことができるというわけである。

それと同時に、『サラリーマン的な恒産・恒心の弊害』もあると友人は語り(当時は学歴のない農家など自営業者も多く会社に雇われるサラリーマンというだけでかなりのエリート層でもあった背景もある)、『しぜんサラリーマンってやつは恒心ができる。大会社の社員であればあるほど、大バンジャクの恒心だ。サラリーマンが組合活動に不熱心なのも、社会改造に不熱心なのも、自己反省に不熱心なのも、自分の人間的な成長に不熱心なのも、あらゆる事象に真剣に取り組まなくなるのも、書物を読まなくなるのも、すべてこの恒心のなせるワザだよ』というのだが、この部分は当時の歴史的・政治思想的なバイアスがかかっているかもしれない。また『サラリーマンとして生き残る大変さ』が、就職後にも様々な学習や資格取得を続ける必要の多い会社員が増えた今よりかは、低かった可能性もある。

一つ言えるのは、長期的な恒産(安定収入)がまず間違いのない形で保障されている立場にある(その他のハラスメント被害やストレスが小さいケースに限るが)サラリーマンほど、熱くもなく冷たくもない快適なぬるま湯に浸かっているような状態になりやすく、『家庭生活の最低ラインの絶対的保証・中流階級のライフサイクル』に慣れざるを得ず、大きなリスクを取ったり死に物狂いの努力をして何かを生み出そう(変えよう)という気持ちにはなりにくいだろう。

それは悪いことではなく、むしろ大多数の人にとっては平凡だけれど安心できる日常生活・家庭生活につながる良いこと(庶民的な幸せ実感の要素)なのだが、自分のやりたい芸術・学問・創作・スポーツなどに身を削って専心する場合の障壁になることもあるだろう。


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