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zoom RSS 村上春樹『騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編』の感想:3

<<   作成日時 : 2017/04/13 20:42   >>

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免色渉の肖像画を描きあげていくプロセスで、私と免色は次第に個人的にも親しみを感じ合うようになり、それぞれの人生・感性・考え方についての知的なコミュニケーションを繰り返していくのだが、その会話の言葉一つ一つもなかなか示唆的で含蓄がある。

免色渉の肖像画の作成において、私はいつもの調子で淡々と普通の写実的な肖像画を描くことができず、最終的には抽象画のような『免色渉という存在の本質』を形態化したような肖像画(免色渉は傑作として絶賛して破格の高値の報酬に更に上乗せした金額を支払った)して完成させられることになる。それは『私のための絵画』を描けなくなっていた『欲望が枯渇した私』にとっての転機でもあり、免色渉とのイレギュラーな人間関係をより深めていく媒体となるものでもあった。

村上春樹『騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編』の感想:2

ある日、真夜中に“私”の家の敷地にある古い祠の周辺からちりんちりんという鈴の音が聞こえてきて、それから毎晩のようにその鈴の音が聞こえて眠れなくなる。音がどこから聞こえるのかを調べるために外に出ると、古い祠の裏にある方形の大きな石を積み重ねた塚があり、その石塚を作っている大きな石と石の間から不思議な鈴の音が聞こえてくるようだった。

免色にその話をすると興味を持ち、夜中の12時半に一緒に『鈴の音の正体』を確かめに行こうという話になる。免色にも確かにその鈴の音が聞こえたことから、私だけに聞こえる幻聴ではないことが明らかになるのだが、免色は鈴の音の正体を確認することに異常にこだわり、多額の経費をかけて知り合いの土木業者に頼んでまで、巨大な方形の石をどかすのである。

石の下にあったのは分厚い木製の格子の蓋がされた『円形の石室(直径2メートル弱・深さ2.5メートル)』であり、誰もいない状況で石室の底に落ちると自力でよじ登ることが不可能なほどに、密にしっかりと石室の壁の石が組まれていた。

免色は上田秋成(うえだあきなり)『春雨物語』にある『二世の縁(にせのえにし)』という物語に登場する、土の下から聞こえる即身仏になろうとしている僧侶の鉦の音(かねのね)と鈴の音を重ね合わせている。永遠の悟りを開くために、生きたまま棺に入って埋葬された立派な僧侶は、肉を失って骨だけになったやせ細った瀕死の状態で、撞木(しゅもく)で鉦だけを撃ち続けている。

そういった外界・他者と隔絶された絶対的な孤独と静寂の境地、仏教においては涅槃寂静に通ずとされる悟りの道(禅定・入定)に免色渉は興味を惹かれているようでもあり、“私”に『暫く石室の底に一人でいたいから、ハシゴをどかして木製の蓋をしてくれ(真っ暗な状態で自力では脱出できない状態にしておいてくれ)』と言ったりもする。

免色渉という知的・富裕で優雅な一人暮らしをしている中年男性もまた、“私”とは違う形で『女のいない男たちの孤独・虚無』の中を生きているのだった。免色は若い頃から公式な婚姻関係を介して他者(女性)と人生を共有することを否定する『非婚主義者』であったため、30代後半の時に20代後半の美しく聡明な彼女を失っていた。二年半の間、自分と付き合ってくれた彼女だったが、『健全な人生設計』と『普通に近い男性の選択』によって免色渉の元を去ることを決めたのである。

結婚していても妻から捨てられた“私”、結婚しないという信念のために彼女から捨てられた“免色渉”の物語は、『ある種の現代人(中高年男性)の珍しくはない孤独・別離』であり、肖像画家で不安定な収入を得る私もお金はあるが結婚はしない免色渉も、少し前の日本社会の常識からすれば『普通ではない男性』なのである。

しかし現代ではその一昔前の基準で『普通ではない男性(女のいない男たち・正規雇用のサラリーマンではない男たち・結婚しようとしない男たち)』は、ある意味では未婚化・晩婚化・離婚・死別(高齢者の単身化・介護の問題)などの影響において増加を続けている。

職業・収入が安定しないから結婚しない男(できない男)、あるいは妻・彼女から見切りをつけられて一人に戻っていく男は今ではいくらでもいるだろうし、客観的な条件・相手では結婚できるのにさまざまな信念・トラウマ・こだわりによって結婚しないと決めている男も少なからずいるだろう。本作の“私”もユズと結婚するに当たっては、サラリーマン的な定職に就いていないという理由で、銀行員の多いエリート家系であるユズの実家・父親から強い反対を受け、『どうせ長くは持たない。持って4〜5年だろう』という皮肉な予告めいた言葉を送られている。

『普通の男性(女性)かそうでないか』は、『騎士団長殺し』に登場する私や免色渉に共通する類似性(普通ではない)なのだが、この小説を手に取って読むであろう現代人は少なからず昔の同調圧力・常識に強く影響されていた平均的な男女と比べれれば『普通ではない現実・生き方』を抱えているものである。

あるいは、就職・結婚をして子育てをしてと『社会的・体裁的に普通に見える生き方』をしていても、心のどこかに『今の自分の人生・自己のあり方』に対して反発・違和感を抱えているかもしれない。逆に、完全に社会規範や倫理規範の常識にガチガチに固まっていてそれに満足している人、『普通の男性・女性であること』に本心から何の反発も不満も違和感もない人であれば、この『騎士団長殺し』を手に取ることは少ないのではないかと思う。

またそういった人が読んでみても、私にも免色渉にもユズにも不倫している40代女性にもワンナイトラブの岩手県の小さな町の若い女性にも、共感・面白さを覚えるどころか『不真面目でいい加減な人生を生きている変わり者・社会不適応者(関わりたくないタイプの人)』くらいの感想しか持てないかもしれない。

“私”も免色渉も心理学でいう『中年期の危機』に差し掛かっているのだが、私は妻を突然喪失した孤独に無意識下で打ちのめされていて、免色は過去の非婚主義が招いた孤独・自由を達観して受け容れているようでいて、『別れた(その後に結婚して娘を産んで間もなく死んだ)彼女が妊娠していたかもしれない我が娘の存在』にどうしても心を揺さぶられてしまう。

結婚にも血縁にも何の執着もなかったはずの免色は、蜂に刺されたアナフィラキシーショックで亡くなった元彼女から『最後の交わりで自分の娘を身ごもっていた可能性(結婚相手になった自分よりも普通の男の子供ではない)』を手紙で告げられてから、その娘とされる子供がどうしているのかが気になって仕方なくなる。遂にはどうしても直接会ってそれとなく言葉を交わしたい(親子関係などについて告げるつもりなどはない)という誘惑に抵抗できなくなり、娘を絵画教室で教えている“私”に相談して、『娘とされる女の子の肖像画の作成』を依頼してくるのである。

方形の石で組まれた塚を崩して、円形の石室の蓋を開けたことで、その中で古い鈴を鳴らしていたイデアとでもいうべき騎士団長が解放されることにもなった。絵画『騎士団長殺し』に描かれている古代の白装束を着て剣を持っている“騎士団長”が、実際に“私”だけに見える形でこの世界に現れたのである。第1部のタイトルの副題が『顕れるイデア』とされている由縁でもあるのだろうが、“私”は奇妙な言葉遣いをする数千年以上も存在しているという“騎士団長”と言葉を交わしながら、今の自分が置かれている状況や免色などとの関係性の変化について洞察したりもする。

村上春樹の久しぶりの書き下ろし長編である『騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編』は、『現代人の孤独・自由・男女(性)』『女を失って方向感覚が定まらなくなった中高年男の暮らし・孤独な心理』をテーマに据えながら、『現実的な生活』と『幻想的な物語』を自在に往来するような展開でかなり読み応えがあった。

こういった作風、謎解きのミステリーと背徳のスリルに満ちた世界観の小説はあるようでいてない、独特の村上ワールドとでもいうべき半現実的な幻想小説の型を創造している。

村上春樹が常識的な無難な舞台設定で恋愛・家族のストレートな幸福のようなものを描くことはまずないわけだが、本作では離婚・別離・隠棲・死別などで『誰とも深く繋がれない状態に置かれた自由で孤独な人(特に男)のあり方』を炙り出し、『妻・娘・妹(私の妹の小径・こみち)・不倫といった女との接点・記憶・行為から生み出される男の生の意味づけ』のようなものを示唆している。

そして画家の職業と抽象絵画、イデア(騎士団長)のモチーフによって、『絵として描かれ得るその人(存在)の本質の抽出』が実験的に試みられているわけだが、妻の不倫への怒りを第三者の女に転移して殺そうとする夢想の中で『私を絵にするんじゃない』という私の叫びが、『絵として描くことが不可能な自己の本質(無意識)の断片』を捕えているようにも感じられた。

続きとなる『騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編』がここからどのような現実と幻想の交錯を見せてくれるのか、イデアたる騎士団長がどんな役割を果たして画家の“私”に影響を及ぼしてくるのか楽しみである。


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騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編
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