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東日本大震災(東北地方太平洋沖大地震)では約40万人以上の人たちが、物資・食品・暖房(燃料)・医薬品が乏しく衛生環境も厳しい避難所で、不便な避難所生活を余儀なくされている。今、被災者の方たちに最も必要なのは毎日の生活に必要な物資・食品・医療品を十分に準備して上げて、快適かつ衛生的にトイレをしたり入浴できたりする設備を整えて上げることである。物理的な環境面での不快さや不潔さ、不便さを段階的に取り除いていき、生活環境を改善していくプライバシーを保てる仮設住宅の建設を急ぐことが当面の課題であり、『飢え・寒さ・集団生活のストレスや不足感』をフォローしていくことで被災者の物理的境遇を回復していくことができる。 生死の危険を感じたり感覚的な不快感(不足感)が高ぶっていたり、決定的に必要物資が欠乏している時には、ご飯を食べることができて温かい衣服・寝床があれば、概ね人間は一息つくような精神の休息を得ることができる。喉が渇ききって苦しい時の1本のペットボトルのお茶やジュースの価値は、平時の経済価値では推し量ることができないし、寒くてお腹が空いている時に食べられる温かいメニューの食事は、それを口にするだけで生きる気力と実感を高めてくれる効果を持っている。被災者やボランティア、行政職員の方たちが協力して作る『炊き出し』なども、仮に食べられる分量が十分ではないとしても、『みんなで支えあって生きているという安心感・意味の実感』を与えてくれるだろう。 物理的な支援(生活環境改善)が急務であるのと合わせて、大地震・大津波の激甚なる自然災害が、人々から一度に奪い取っていくものは余りに多くて大きいものであり、その不測の驚愕・喪失・絶望による精神的ダメージは、一般に思われている以上に大きいものと考えなければならない。今はすべての被災者が例外なく、『今・この時』を生きていくためにみんなで力を合わせて必死に頑張っていかなければならない状況だが、そういった『緊急避難の必要性・集団的な支え合い・相互扶助の温かさ』が、心理的なショックや圧倒的な喪失体験の影響を一時的に抑圧してくれる部分もある。本当は辛くて耐えがたいような精神状態になってもおかしくはないが、『今この時の避難所生活の助け合い』に集中していることで、精神的な苦悩がある程度まで抑制されているという被災者の方も相当に多くいると推測される。 『目の前にやらなければならないこと・みんなが自分の協力を必要とする状況』があるという厳しい現実は、自分自身の精神状態の苦しみや絶望から意識を逸らせる影響を持つだけではなく、『他の人も家や家族など自分以上に失ったものがあるかもしれない・みんな同じ被災者でここで頑張っているんだ』という同じ避難所にいる他者の被害状況への思いを強める。 そんな過酷な緊急避難生活において、自分だけが落ち込んでうずくまっている場合ではない、少しでも集団生活で自分の果たせる役割を果たさなければならない(みんなで協力してこの難局を何とか乗り越えることだけにまずは集中すべきだ)という責任感が感じられやすくなる。元々そういった適応性や責任感が強い人ほど、暫くの間は『避難生活への貢献・他人との相互扶助(他人を思いやり励ます行為)』によって自分の折れそうな心を無意識的に支えることができる。 だが、心理的問題は『物理的な生活状況』が落ち着いてきたり、集団生活の必要性がなくなった時に前景に出てきやすくなるし、窮屈で不便だったはずの大勢の人との集団生活が終わりを迎えることで、逆に孤立感や空虚感が高まるという精神的リスクを考慮しなければならないと思う。阪神淡路大震災でも、仮設住宅が整備されてそれぞれの個人の暮らしが始まった後に、メンタルヘルスの悪化や自殺リスクの問題が心理臨床的な問題事項として取り上げられることが多くなったが、避難所での集団生活の終わりは家族を失った人などにとっては、『自分自身の内面と向き合わせられる時間の始まり』となる危険性を含まずにいられない。 他人に配慮したり他人と協力して日常生活を送ったりするのは確かに窮屈で不便であり、平時であれば、大多数の人は余り知らない人との集団生活は嫌う傾向が顕著である。家族全員が無事に助かった人などにとっては、家族・個人単位での避難所生活からの離脱は『精神的ストレスの大幅緩和』という良い影響をもたらすが、逆に家族の多くを震災で失った人、大切な人の死をイメージさせる光景を目にした人などにとっては、周囲に人がいなくなって自分ひとり(あるいは残った家族だけ)で生活することは、『過酷な現実・自己の内的混乱との直面』に対処していく時間の始まりと同義でもある。 地震・津波・台風など“自然災害”や鉄道事故・航空機事故・自動車事故など“人為災害”が起こった場合に、その災害と関係した人間がどんな心理状態になりどのような行動選択をしやすく、どういった心理的困難(精神的被害)にぶつかるのかを研究調査する応用心理学に『災害心理学』がある。災害心理学のプラグマティックな研究目的は、一言でいえば『災害状況に直面した人間(その家族・関係者)が、どうすれば身体的あるいは精神的にサバイバルできるか』ということであり、災害そのものの身体的危険から安全に逃げ延びられる判断・行動を解明したり、災害の被害によって受ける精神的ダメージの回復や支援方法を検証したりする。 災害心理学は『各種災害を原因とするトラウマ・被害・喪失・死別・絶望の影響とその対処』を取り扱っていることから、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の病態や支援、心理的ケア(カウンセリング)を取り扱う臨床心理学との近縁性が強い部分もある。大地震・大津波によって受ける精神的脅威と不安・絶望は、あまりに深刻なもので言語では語りつくせないものであるケースが多く、上記したような自我防衛機制や正常性バイアスの影響もあって、震災・避難生活から一定期間が過ぎてからPTSDの症状が出ることが多いとされる。大規模な自然災害によって起こるPTSDの発症率については諸説あるが、概ね過半数の人に何らかのPTSD症状が発症するとされている。 特に感受性が強くてストレス耐性や世界の理解度が低い“子ども”は、PTSDの発症・遷延のリスクが高くなっていて、夜驚(夜泣き)を伴うフラッシュバックや悪夢の反復、睡眠障害やイライラ、強い不安感・緊張感(性格傾向のネガティブ化)、ひきこもり傾向などのPTSDの症状が顕著に見られることがある。PTSDに対処するカウンセリングや心理療法にはさまざまな方法があるが、基本的な対処法は大人でも子どもでも同じで、『相手が話したいと思う不安・恐怖・心残り(自責的な悔しさ)・絶望などの記憶や感情』について共感的かつ支持的な態度で耳を傾けることであり、被災者の痛みや悲しみ、絶望に対する温かい関心の意識を絶やさないこと(これはマスメディアを含めて社会全体としても支持的な態度と関心を絶やさない努力が求められる)だろう。 本人が話し出す前から大地震の被害状況や心理状態を無理にあれこれと質問するのではなく、被災者の口から自発的に出てくる言葉を丁寧に聴いて、その言葉の節々に滲み出る痛烈な感情や心残り、自責感、絶望感などを支持的に汲み上げて、相手の境遇や心情に配慮した言葉を返していくことが求められるように思う。トラウマを受けた被災者の心情や苦悩を受容しながら傾聴する、過酷な記憶・感情をゆっくりと整理していくというメンタルケアだけではなく、臨床的な取り組みの外部で被災者の現実的な生活・仕事を再建していくこと、親しい関わり合いができるような他者・コミュニティとの関係性を取り戻していくことも、被災者の全人的で実際的なバックアップとしてとても重要なことである。 地震・津波によって回復困難な甚大な被害を受けた被災者が、『不安・孤独・恐怖・怒り・自責・後悔・絶望』などのネガティブな感情に圧倒されそうになったり、自分が何を生き甲斐にして生きていけば良いのか分からなくなりある種の恐慌・混乱状態に陥りやすくなるのは当然の心理反応であり、受けた被害や喪失感の余りの大きさを思えば、その心理的苦痛を何とか『生きる意志・諦めない思い・僅かな希望』につなげていく綱渡りの心的作業がかなりの期間にわたって必要になることも多いだろう。 耐えられないほどに辛くて苦しい時ほど一人になって考えさせて欲しい、暫く放っておいて欲しいという気持ちになることは珍しいことではないし、東北地方で地震・津波の被害を受けたばかりの被災者の中には、実際に精神科医の現地での心理ケアに対して、拒絶的な態度や心理的ダメージについて沈黙を守る人も少なくないと報じられている。 先日のニュース報道では、寒冷な気候風土に耐えて農業・漁業などに携わってきた東北地方の方には、他人に迷惑を掛けてはならない、つらい事でも忍耐して自分で頑張りとおす、我慢・辛抱をぎりぎりまで続けるといった性格の方が少なくなく、心理的な悩み・不安・弱音について口に出す人は多くないと言う精神科医のコメントが出されていた。だが、本当に辛くて耐えられないような精神状態に追い込まれたり抑うつ的な自己否定感が高まってきた時には、専門家だけではなく家族・近隣の人でも良いので、自分の深刻な心理状態を聞いてもらえるような相手を見つけて欲しいと願う。 PTSDをはじめとする精神的危機に対してどういった対応・支援が良いのかの単一の解答があるわけではないが、地震・津波によって家族や財産を全て失うといった極めて特殊的かつ驚異的なストレスに対しては、どんなに普段我慢強くてメンタルタフネスがある人であっても、その圧倒的な喪失感と孤独感、未来への悲観に押し潰されそうな生理的・心理的影響を突発的に蒙るリスクを排除することはできない。 自立心・忍耐力・責任感の強い被災者が抱くことのある『自分の受けたこの苦しみやつらさ、孤独を他人なんかが理解できるわけはなく話したってどうなるものでもない』という考え方にも一理あるし共感はできるが、こういった非常事態における強烈で持続性のあるストレスは、自分ひとりの忍耐や努力、考え方の転換だけによって凌ぎきるには余りに強すぎるものであり、うつ病の病前性格のように自分ひとりの根性や気力だけで、何とか乗り切ろうとして燃え尽きた後の反動として起こる自己否定(自責感)・希死念慮がやはり心配になる。 特に家族や大切な人を失って途轍もない孤立感や無意味感に襲われている時には、誰でも良いので自分の内的な苦悩や葛藤、絶望などを聴いてもらえるような相手や自分の役割を確認できる集団帰属(コミュニティ性)を持っていることが、自分の精神を折れさせない支えになってくれることは少なくない。 自分ひとりの内面だけで『喪失体験の深刻さ・未来に対する絶望』について自責的・悲観的に自問自答し続けることは、精神的危機をより深刻な方向に自己誘導する恐れが強くなってしまうので、内的な対話のあり方(心の中で思い詰めている内容)が自分自身の人生や存在を全面的に否定しそうになっている時には、専門的な心理ケアを含めて誰かの支え・言葉が必要になっていることの現れなのだと認識して頂ければと願う。子どものPTSDや情緒不安定が目立つケースでは、子どもを一人っきりにせずに家族がいつも側に寄り添って優しく話を聴いてあげることが基本的対応になるが、家族を失った震災孤児の場合にも親代わりとして機能できるような近隣の知り合いや児童福祉司との共感的なつながりを築くこと、できるだけ子どもの気持ちを受け止められるような環境を整えることが急務である。 災害の復興支援でも心理的ケアでもその結節点となるのは『被災者相互をつなぐコミュニティ性・相互扶助体制』である。仮設住宅や集団移住体制が整ってそれぞれの生活が始まったとしても、被災経験を共有できる隣近所との一定の付き合いや震災被害についての励ましあいは無いよりもあったほうが良いし、社会全体としてもマスメディアの役割としても、大震災の影響や被災者の状況について関心ある支援・思いやりを絶やさないことが求められるのではないだろうか。 最終的には震災被害をつらい過去の記憶として受け止めて、自分の人生の歴史の流れに震災体験を自然に位置づけられること(多くの苦しみや悲しみは残っても、過去を受け止めて明日の希望につなぐこと)が最も望ましいプロセスになってくる。しかし、そういったトラウマティックな記憶・感情の『意味ある受容』に辿り付くには相当に長い時間が必要であり、現状はまだそういったPTSDの回復プロセスの入り口にも立っていない状況である。今後、被災者に起こってくると考えられる心理的問題・精神的危機のメンタルケアや心理的支援体制の確立に、政府・自治体・国民はそれぞれの立場から尽力していかなければならないし、PTSDや心因反応の改善を考える場合には思われている以上に、長期的視野に立った取組み(生活再建・インフラ復興だけで地震の問題が終わってしまったように考えないこと)が欠かせないと思う。 ■関連URI 東日本大震災の被害と被災地の復興救助支援1:国内・世界からの善意の支援と道路物流網の改善 東日本大震災の被害と福島第一原発事故2:原発の安全神話崩壊と放射線被曝の確率的影響 東日本大震災の被害と福島第一原発事故3:計画停電による都心機能の麻痺と今後のエネルギー政策 PTSD(心的外傷後ストレス障害)を形成するトラウマ体験と自律神経系の過剰亢進による身体症状 ■書籍紹介 |
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【うつ病 症状】 東日本大震災の復興支援とPTSD・苦悩感に対するメンタルケア:災害心理
[うつ病 症状] 東日本大震災の復興支援とPTSD・苦悩感に対するメンタルケア:災害心理 大地震・大津波によって受ける精神的脅威と不安・絶望は、あまりに深刻なもので言語では語りつくせないものであるケース... ...続きを見る |
うつ病克服ブログ 2011/03/27 10:59 |
テレビ局内でもPTSDが問題に
そりゃそうだろ [うんうん/]特に子供とか感受性の強い人は要注意だと思うんだが、馬鹿なTV局は子供にインタビューまでしとる [イライラ/]殺人事件だろうが遊園地の乗り物で死人が出ようがお構いなしで、そ... ...続きを見る |
時々時事爺 2011/03/28 22:37 |
大連立“黒幕”は財界だった・・・
☆畑でフキノトウが頭を出していた。 早速摘んで天婦羅にして見た。吹く風は冷た く強風だが、確実に春がそこまで来ているw ...続きを見る |
母さんによる徒然・・・ 2011/04/07 15:41 |
福島第一原発事故による原発安全神話の崩壊と事故リスク1:都市インフラの電力需給と放射能汚染
東日本大震災から1ヶ月以上が経過しましたが、福島第一原発事故が安全に収束する見通しが立っておらず、放射性物質拡散による経済的・地域的な被害も甚大なものになっています。原子力発電の『安全神話』が崩壊して、潜在的リスクが大きな原発に反対する国民や国際世論も増えてはいますが、朝日新聞が行った世論調査では『原発を減らす(30%)・やめる(11%)=41%』『原発を増やす(5%)・現状維持(51%)=56%』となっていて、過半数の国民は原発の現状維持を認めています。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2011/04/27 07:43 |
福島第一原発事故の被害の広さ・賠償の大きさと収束作業の『ステップ1』の達成:廃炉までの長い道のり
前回の記事の続きになるが、日本各地に電力危機をもたらす直接の契機となった福島第一原発事故は、未だに被害・損失の範囲が広がっており、最終的な事故収束と安全確保(廃炉・封鎖)までの道のりは相当に長い。最近では、野外に積んで放射能に汚染された稲わらを食べた牛の肉から、放射性物質セシウムが検出されて、その牛肉が既に市場に出荷され消費されていたことが分かり問題になった。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2011/07/23 19:33 |
3.11の東日本大震災・福島第一原発事故と共同体的な“絆”の意識化:2011年のニュース回顧1
あけましておめでとうございます。2012年がスタートしたばかりですが、昨年末に一年の時事や政治経済、国際情勢を大まかに回顧する記事を書こうと思って書けていなかったので、幾つかの『大きな出来事・社会問題・国際情勢』を取り上げながら、2011年が日本と世界、人々にとってどのような年だったのかを駆け足で見ていきたいと思います。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2012/01/05 23:55 |
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