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前回の記事の続きになりますが、『シャクター=シンガー理論』とも呼ばれる『シャクターの情動二要因説』は、社会心理学者のスタンレー・シャクターとジェローム・シンガーによって提唱されたものです。シャクター=シンガー理論では、生理学的興奮(身体的変化)とその原因の事後的認知によって、喜怒哀楽などの『情動の種類』が自覚されるとしますが、ここでは生理学的興奮そのものは、どんな感情としても認知され得る一般的な興奮(潜在的可能性)と仮定されています。 『感情・情動』は、ジェイムズ=ランゲ説がいうような身体的変化(生理学的興奮)を認知するだけで自覚されるものではなく、その身体反応がどうして起こったのかの『情動のラベリング(生理的興奮の原因の帰属)』によって初めて自覚されるものだというのが、シャクター=シンガー理論なのです。つまり、シャクターの情動二要因説という時の『二つの要因』というのは、以下のようなものになります。 1.どんな感情にもなり得る生理学的興奮の状態の認知。 2.外的な状況を手がかりにするその興奮がなぜ起こったのかの情動のラベリング(身体反応の原因帰属)。 シャクターの情動二要因説に関係する有名な実験としては、シャクターとシンガーの『エピネフリン実験(アドレナリン実験,1962年)』とダットンとアロンの『吊り橋実験(1974年)』とがあります。エピネフリン実験では、心拍数増加・呼吸数増加・血圧上昇・手の振るえなど興奮性の薬理作用を持つエピネフリン(アドレナリン)を被検者に投与し、統制群の被検者には生理食塩水を投与した。 エピネフリンを投与された被検者は、エピネフリンの興奮作用について正しい情報を与えられた『A群(適切情報群)』、何も情報を与えられなかった『B群(無情報群)』、鎮静作用があるという間違った情報を与えられた『C群(不適切情報群)』の3群に分けられました。そこに統制群である『D群(生理食塩水投与の無情報群)』が加わります。 エピネフリンや生理食塩水を投与した後に、部屋にサクラを入れて被検者を怒らせる言動や興奮させる言動を取ってもらったところ、エピネフリンについて正しい情報を与えられていたA群の被験者の情動生起(情動の自覚)は弱くなり、情報が無かったり間違ったりしていたB群とC群の被験者の情動生起が強くなりました。その理由は、エピネフリンによって生理的興奮が生じると分かっていたA群の被験者は、生理学的興奮の原因を『エピネフリンの作用』に帰属できたので怒っていると感じにくく、生理学的興奮の原因をエピネフリンの影響と考えられないB群・C群では、その興奮をサクラに対する怒りとして認知しやすくなったからです。 ダットンとアロンの『吊り橋実験』も、高い場所にある吊り橋を渡る時にドキドキする生理学的興奮(緊張・不安による心拍数増加)の原因を、『異性への恋愛感情』に間違って帰属させてしまいやすいというものであり、情動の自覚化では『生理学的興奮の状態の認知』と『その興奮をどんな感情に帰属させるかの原因帰属』という二つの要因が重要であることが分かります。 不眠症の被検者を用いたニスベットとストームズによる『偽薬効果・プラセボ効果の実験(1970年)』でも、偽薬(薬に見せかけた砂糖)の副作用について『興奮作用があって眠れなくなるという説明・教示』を与えられた被検者のほうが、『鎮静作用があってリラックスして眠りやすくなるという説明・教示』を与えられた被検者よりもよく眠れたという逆説的な結果がでています。これは睡眠障害で眠れない症状がでている時に、『興奮作用のある薬を飲んだ』という認識があるほうが、睡眠障害による生理的興奮の原因を『薬の副作用』に帰属させやすくなり、眠れない焦りや苛立ちといった情動への原因帰属が起こりにくくなるからだと推測されています。 もちろん、人間の感情のすべてが『生理学的興奮の情動的なラベリング(事後的な解釈・分類)』によって意識化・自覚化されるわけではないのですが、反射的に生起する感情の場合には『生理学的興奮と感情経験との区別』が必ずしも明確ではないことがあるということは言えるでしょう。 自分がどういった感情を感じているのか、その感情が発生したそもそもの原因は何なのかについて、私たちは初めから直接的な感情の経験と感情生起の原因の理解をしているつもりになってしまいがちですが、実際には事後的に周囲の環境・状況・他者の様子などの外的手がかりを参考にして『情動のラベリング(無意識的な感情分類とその自覚化)』をしていることも多いのです。 自分で自分の状況や気持ちを知るという『自己認知』、生理学的興奮・身体的変化の原因を何に求めるのかという『原因帰属』が人間の感情経験のメカニズムでは重要な役割を果たしています。そして、事前に収拾した情報や周囲にある外的手がかり(他者の反応)からの影響を強く受ける『原因帰属』というのは、認知療法・短期療法の作用機序や認知的不協和の発生とも関係した、非常に幅広い射程を持つ心理学の概念になっています。 前回の記事では、自分自身の心理状態や感情・行動の原因を正確に理解することは難しいということを、分割脳実験の潜在的認知プロセスによって示しましたが、健常者の脳であれば左右半球が脳梁で連結しているので『左視野−右半球で処理される映像・内容』を言語化できないという事はありません。その一方で、原因帰属の情動理論から分かるように、人間は自分の感情や行動の原因を理解するために、『内的な手がかり(内省的な自己理解)』だけではなくて、『外的な手がかり(事後的な状況からの推測)』を多く利用しているという興味深い特徴があります。 このことは、自分の心理状態や感情を的確に理解するためには(状況によってはダイレクトに自分の感情を自覚できることがあるにせよ)、自分ひとりの内的な手がかりだけでは不十分であること、周囲の環境・他者との相互作用や生理的興奮に対する事後的なラベリングが必要であることを意味していると言えます。 『言語的な理解・自覚』が『実際的な課題遂行』と矛盾しているというのは、言葉によって自分の見た内容やしていることを説明することはできないが、指示された課題をこなしたり見せられた言葉に合致するモノを選んだりすることができるという、常識的に考えれば“不思議な事態”を示しています。しかし、『顕在的な認知・自覚』と『潜在的な認知・処理』との矛盾は通常意識にまで上ってくることがなく、私たちはごく自然に外的な手がかりの参照や事後的な原因帰属を行いながら、自分の心理状態を当たり前のものとして認識している(自分の内面での論理性・整合性は保たれている)という事になります。 ■関連URI 自分で自分の行動・判断についてどのくらい正しく知る事ができるか?:スペリーとガザニガの分割脳実験 科学的な認知心理学の誕生と情報処理システムとしての人間の精神 ハーマンの記憶回復療法とトラウマ記憶の暗示的な再構成の問題:抑圧理論と人間の記憶の曖昧さ リリエンフェルド『臨床心理学における科学と疑似科学』の書評2:科学的な心理療法研究の概略 ■書籍紹介 |
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