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カウンセリングのような一定の役割関係がある対話よりも、友人知人に対する『人生相談・悩み相談』のほうが、相談をする相手の自己開示(自分語り)や生活状況の内容によって、どこまで踏み込んだ相談ができるか、どういった気分の変化が得られるかは変わってくることが多いかもしれない。 発言小町の以下のトピックは人生相談というわけではないが、『自分と同じ淋しくつらい経験をした者にしか、自分の気持ちは分からない』という経験主義的な共感可能性を指し示すトピックのやり取りが続いていて興味深い。前回の記事の内容も踏まえながら、『カウンセリング的な傾聴・共感』と『日常的な悩み相談のやり取り』との違いについて考えてみたい。
何の苦労もしていないように見える人、幸福で順調な人生を歩んでいるかのような人は、『(実際に苦しむ経験が少ないので)人の痛みが分からないんじゃないか?』というのは、経験主義的な共感可能性とも関係する意見であるが、これは言い換えれば、投稿者が『不幸そうに見える人・苦労ばかりに負われているように見える人』にしか親しみを感じられない劣等コンプレックスや自己否定感の悩みを持っているということでもある。 投稿者の意見は、自分の思い通りにならない人生や異性関係に対する嫉妬・やっかみを前面に出したかなりネガティブなものではあるが、『人の痛みがわからないんじゃないかな〜』というコメントは、『どうせ幸せそうにしているカップル・家族には、私の孤独や淋しさなんて分からないでしょうね(幸せそうにしている家庭の話なんて聞きたくもない)』という苦悩を表現しているように解釈できる。 本当は、自分が理想的と感じている結婚生活をしたりその相手を見つけたいのに、それが実現できないというフラストレーションや嫉妬感情が強まっていて、同じような境遇で似たような気持ちになっている人に、『実際に長い孤独を経験した人じゃないと、本当の淋しさなんて分からないよね』的な共感をして貰いたかったのではないかと思う。最終的には、自分自身が自分の価値観を確立していく過程で、自分なりの幸福や安らぎを見つけて人生の現実を受け容れていかなければならないが、そういった気持ちを持つこと自体はそれほど珍しいことでもない。 自分と同じくらいの不幸や苦労を経験していなければ、『他人の痛み・人生の本質』が分からないという決め付けは、自己中心的(抑圧移譲的)で『他人の不幸・苦しみ』によってしか自己価値の確認ができないというネガティブな動機づけにもつながるが、自分だけが不幸で孤立しているという自己認知の歪みを変容させるためには、そういったネガティブな感情への共感(気慰め)が求められる時期もある。自分自身の人生が僅かなりとも良い方向に変わってきたと実感できれば、必然的に『他人の苦労や不幸』で自分を慰撫するネガティブな動機づけも低下するし、自分と他人の人生の幸福度を比較して、一喜一憂することも無くなってくるものである。 発言小町は、『投稿者の問題状況・心理状態』にフォーカスした人生相談やカウンセリングをする場ではないので、どちらかというと『投稿者の嫉妬・僻み』を道徳的に是正しようとする痛烈なコメントが多く付いているのだが、中には投稿者の気持ちにも寄り添いながら、なかなか適切と感じる『認知(考え方)の転換・現実的な行動指針』をアドバイスしているものもある。 『他人と比較する嫉妬・僻み』といった感情というのは非生産的なものであり、人を遠ざけて自分を不幸にするだけだという常識的な意見が多く続く中、『幸せそうに見える人でも、見えないところで苦労・努力をしてきているんだ』という“苦労・悩みの存在の普遍性”を強調する意見も多く寄せられている。 『あなただけが悩み苦しんでいるわけじゃない・みんなだって同じくらい悩んでいるが言わないだけだ・ネガティブな言説に同情を誘って甘えるな』というのは、カウンセリングでは使われることのない問題の多い表現であるが、一般的な人生相談や対話ではこの種の返答を返す人は少なくないだろう。『相談者の主観的な悩み・訴え』に共感的に傾聴するのではなく、『客観的な不幸・苦労のレベル』に置き換えてみたり、『自分の過去の不幸・悩み』と比べてそれくらい大したものではないと過小評価してみたりする論法である。 カウンセラーが『自分の過去の不幸・苦労・悩み』を自己開示的に語るということは原則的に有り得ないが、一般的な人生相談では意外と、相手が悩みや苦労を語っているのに、そこに『自分の過去の不幸・苦労』を持ってきて相手に聞かせようとする人がいるものである。それは、相談を受けているはずの人が、自分語りをしたくてたまらないクライアントになってしまい『役割の転換』を起こすということでもあるが、『話を聞いて欲しい人(クライアント側)』が聞きたくもない話(経験談に発する訓話)を聞かされるというのでは本末転倒である。 あるいは、『人生のつらさに耐え切れないので自殺したい』と言っている人に対して、『開発途上国の子どもの飢餓・疫病や病気で死ななければならない人との比較』といったやや的外れな例を持ってきて説得しようとしたり、『人間一般の生命の尊厳』といった人権理念で教化しようとしたりすることもある。 相手から相談を受けた時には、『本人の聞いて欲しい気持ち・理解して欲しい考え方』に適切な想像力を巡らせながら、共感的に傾聴していくことが大切であるが、どうしても『自分の経験・自分の価値観』を話したくて堪らないという誘惑に駆られやすい心理があるのだろう。 話題の中心や自分の意識が、『相手の内面心理・考え方』にフォーカスしなければならない相談場面であるのに、『自分の内面・経験・考え方』を語ることによって、相手を自分の常識的な見解(と感じるもの)に会わせようとしてしまうのである。その結果、相談している相手から『この人は私の気持ちを理解するつもりなどない・この人には何を話しても共感的な理解を期待することができない』という否定的な感想を抱かれやすくなってしまう。 もちろん、一般的な人たちの多くは『価値判断の中立性』などを意識することが無いので、『自殺は絶対に許されないこと・嫉妬は惨めで情けないこと・甘えてばかりでは厳しい現実に耐えられない』といった社会通念的・倫理的な常識感覚を前提として、相手を改心させたり注意したりする指示的スタンスにどうしてもはまり込みやすくなる。 上でリンクした発言小町でも興味深いのは、『順調に人生が進んでいて幸せそうにしている夫婦や家庭の話なんて聞きたくもない』という投稿者の前置きを無視するかのように、『自分は今これだけ幸福な結婚生活を送っていて、子どもにも経済的にも恵まれていて特別な不満がない』という投稿者をへこませる内容の自己開示(自分語り)が延々と返信で繰り返されているところだろう。 ひどい苦労や長く続く孤独を経験したことがない恵まれた人が、『他人の痛み』が分からないとは断言できないし、精神的・経済的に余裕があればこそ、他人に思いやりのある行動や実際的な支援活動ができるということもまたあるかもしれない。 だが少なくとも、上記のトピックでは、『投稿者の結婚・家庭にまつわる劣等感や不幸感の痛み』を更に刺激するコメントが多く並んでいる。つまり、『相手の立場や心理(痛み)を想像してから自分の言動を選ぶ』ということには余り配慮しないが、『幸せな自分は他人の痛みや苦悩を理解できているはず』と自覚している矛盾がそこにあるのだが、この心理は以下のように解釈することもできる。 クライアントのために徹底的に傾聴するというカウンセリングや心理療法の枠組み・基本的態度が確立していなければ、他人から相談を受けていても『承認欲求・自己顕示・自己正当化』の要素を相互的関係性から排除できないということである。 何気ない会話や雑談の中でも、『自分の幸せ・不幸・成功・苦労の価値』を認めてもらいたいという欲求はさまざまな表現をとって呈示されるものであるし、その事自体は悪いことでも批判されることでもない。むしろ、自慢や虚栄心、比較の度合いが過ぎない限りは、友人・知人・恋人との間のごく自然な承認欲求と見なすことができるだろう。 何の苦労もしていない幸福そうな人は他人の痛みが理解できないと語った投稿者は『現在の痛み(孤独・淋しさ・劣等感)』を理解して欲しいと思ったが、それに返信した現在の幸福な生活を自認する人たちは『過去の痛み(幸せになる前の努力・苦労)』を理解して欲しいと思ったために、対話が指示的・対立的なものになってすれ違ってしまったように思える。 どんなに客観的な幸福・成功の条件を満たしている人でも、何らかの新たな悩みが生まれてくるというのはその通りかもしれないが、『何も得られていないと思う人の悩み(満足度ゼロの状態)』と『ある程度のものは得たが更なる満足を求めての悩み(満足度70の状態)』とを同列に語ることは難しい。何より、自分のことで悩んでいる精神的余裕のない当事者にとっては、自分よりも恵まれてそうな相手の悩みは無関係なものにしか感じられないので、その人に『あなたより恵まれている人でも何らかの悩みがある』と語っても大した慰めにはならないだろう。 発言小町はカウンセリング的な対話・役割が前提とされているわけではないので、『投稿者の気持ち・主張』とは関係なく『自分語り(自己の経験談)』に基づく人生論が様々な角度から語られることには何の問題もない。一方で、発言小町のやり取りでは、投稿者(トピック作成者)が『自分の苦悩・劣等感などに対する共感的理解』を得ることはなかなか難しそうだと感じる。 また、カウンセリングではない一般的な友人・知人間での人生相談(悩み相談)でも、相手が語っている悩みごとや苦しみに対して、『自分語り(自分の過去や問題との比較)』から入ることは少なくないと思うが、その際には、自分の経験・人間関係についての話が、『今の相手の心理』にどのような影響を与えるのかということについて少し自覚的になれると良い相談がしやすくなると思う。 人生相談の効果が得られにくくなる要因の一つは、相手に共感して励ましてやろうとする自分が、『自分語り(苦労した経験談や過去の悩みなどの自己開示)』をしてしまうことによって、逆にいつの間にか『(話を聞いてあげるつもりだった)相手からの共感・承認』を求める立場になってしまいやすいということだろう。 ■関連URI 自己顕示的なパーソナリティ障害における“虚言癖・演技性の心理”と“他者操作・場の支配の影響” “他者から受け容れられない苦痛・孤独”が生み出す『自虐的・自嘲的な自己暗示』によるリスク 『問題行動の修正と学習』を重視する行動主義と『支持的関係性と心の変容』を重視する心理主義 カウンセリングにおけるコンプレックスの自己洞察とラポールと関係した自己言及の中立的な調整:2 ■書籍紹介 |
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自信を持ちたい人や劣等感を克服したい人マジで必見
こないだ凄いあたり商材に出会えました!! 評価が高かったのでこのCDをサブリミナ... ...続きを見る |
情報商材 2010/05/26 15:05 |
“ふつうの幸せ”が手に入りにくい心理的ハードルと社会経済的要因:香山リカ『しがみつかない生き方』
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カウンセリングルーム:Es Discov... 2010/07/19 05:10 |
現代日本における“女性のアイデンティティの錯綜”と“仕事・結婚・消費の価値認識”:1
現代日本では『肉食女子・草食男子』などのキーワードで、女性のバイタリティの高さと比較した男性の元気の無さが強調されたりするが、戦争のない平和で安定した時代には女性原理が優位になりやすい。自由で民主的な近代社会が成熟してくると、高等教育を受けた大多数の人がサラリーマンとして企業・組織に雇用されるようになり、市場に供給される商品やサービスが等比級数的に増大して『消費社会』が到来する。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2010/09/03 22:49 |
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