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zoom RSS 『ポルトガル海上帝国』から『東インド会社の時代』への転換:貿易・軍事を使い分ける民間企業

<<   作成日時 : 2010/01/30 08:28   >>

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前回の記事の続きになるが、ガマを支援したポルトガルのマヌエル1世やコロンブスを支援したカスティリヤ女王イザベル1世の目的は、『(アジアの特産品である)香辛料の獲得』『東方キリスト教国の君主プレスター・ジョンの発見』にあった。

ヨーロッパの寒冷な気候や乾いた土壌では生産できず、インド・東南アジアでしか収穫できない『胡椒・香辛料・香料』は、ヨーロッパで非常に大きな需要(安全で美味しく肉を食べるための防腐剤・香りづけとしての需要)があり、高い値段で売ることができた。ポルトガルが東回り航路でインドに到達する以前は、ヴェネツィアをはじめとするイタリア商人が支配する『地中海貿易(イスラーム圏とのオリエント貿易)』によって、胡椒・香辛料がヨーロッパ各国にもたらされていた。

しかし、ポルトガルが中間マージンのかからない胡椒・香辛料・香料をインドや東南アジアから直輸入するようになると、地中海貿易経由の香辛料よりも安い値段で売ることができるようになってくる。安価な香辛料でヨーロッパ市場のシェアを奪うことで、ポルトガルは一時的にではあるが国力を急速に高めることになった。

実際に、ポルトガルが東インドで香辛料を手に入れる手段の多くは『自国の商品を使った貿易(物々交換)』ではなく『略奪・恫喝・貿易港の占領』であったが、この略奪・港町の占領(要塞構築)の手法の模範をカリカット(カルカッタ)で示したのもインド航路を開拓したガマであった。

ポルトガルはインド洋で行われていた商人同士の自由貿易で“プレイヤー”となる道を選ばずに、武力を行使して威圧・占領する“支配者”となる道を選び、海上貿易と船舶の交通を支配するという強硬的な手段で富を獲得した。インドのゴアに駐留した第二代副王アフォンソ・デ・アルブケルケ(1453-1515)『征服者(コンキスタドール)』の異名を取るが、アルブケルケはインド洋海域・マレー半島沿岸の重要な貿易拠点を次々に軍事支配していき、16世紀は『ポルトガル海上帝国の時代』と呼ばれることになる。

“経済(交易)・産業(商品・物産)”における16世紀頃のヨーロッパ世界は後進的地域と言ってよく、インド亜大陸・ペルシア・中国・東南アジア・日本と比較すると、全く交換価値の高い商品(特産物)を生産することができなかった。冒頭で15〜16世紀以前の世界では『人・モノの流れ』が限られていたと書いていたが、ここに『マネー(金)』を含めていないのは書き忘れたわけではなく、当時は普遍的な交換価値を持つ『通貨としてのマネー』は存在しない。近代的な基軸通貨や為替レートなどというものは存在するわけもなく、各地域のお金はその『貴金属としての希少性』が問われただけである。

当時の交易(貿易活動)は、原則として双方が等価交換と見なせるか否かの『物々交換』であり、『金・銀・銅などの貴金属(各国の通貨)』は一つのモノ(商品)として交換の対象にされていただけであった。しかし、スペインは軍事力の強さによって新大陸から『金・銀』を奪い取って、香辛料・香料をはじめとする様々な品物と交換することができた。ポルトガルも武力によるインド洋周辺の『植民地経営』によって、徴税(関税)・奴隷労働などの利益を得つつ香辛料貿易を独占した。

スペインとポルトガルのカトリック国の斜陽の原因としては、『植民地経営の維持・管理・軍事コストの増大』と1588年のアルマダの海戦で無敵艦隊が敗れたことを契機とする『新教国のイギリス・オランダの台頭』がある。

ポルトガル船に頼らなくても自分たちの力で『より利幅の大きなインド貿易・東南アジア貿易』を実現できるとイギリス・オランダが判断したときに、世界史は『一つの世界地図』へと近づく縮小のスピードを少し速めることになる。『一つの世界地図』の正確性が増していき、イギリスに産業革命(工業製品の大量生産・移動能力の向上)が起こると、『領土・市場の拡大』を目指す帝国主義の風潮が強まるが、その時代はまだ約200年以上先のことである。

イギリスのエリザベス1世は、1601年1月 に『イギリス東インド会社』に東インド貿易の独占を認める特許状を与え、オランダ共和国政府は、1602年3月に『オランダ東インド会社』に東インド貿易の独占を認める特許状を与えた。

このオランダ東インド会社というのは民間会社でありながら、現地での行政権(総督任命)・軍事支配権(要塞建設)・兵士の雇用などが認められた相当に特殊な会社なので、現代の総合商社のような感覚で捉えることは難しい。当時は国家権力が十分に中央集権化されていなかったこともあり、『軍事権・警察権・異国の植民地経営(総督任命権)』などの近代では国家のみが持つ権限を、特許状を用いて部分的に民間会社にも認めていたのである。

イギリス・オランダ・フランスの『東インド会社』のインドや東南アジアへの進出は、現地に居住する人たちにとってはポルトガルと入れ替わって新たな侵略者がやってきたようなもので、ほとんど歓迎できるものではなかったが、17〜18世紀にかけてヨーロッパ世界はますます東インド(アジア)へと深く『暴力的な貿易利権』の拠点を食い込ませてくることになる。イギリス東インド会社は、19世紀になるとインドに対する政治的・軍事的な支配を一層強めていき、実質的な植民地化に近づけるが、1858年に『インド大反乱(旧称・セポイの乱)』が起こる。

東インド会社はこの大反乱の責任を問われてインドから撤退することになり、株式会社を解散して消滅することになった。インドの行政統治権は東インド会社からイギリス政府に譲渡されることになり、1877年にはヴィクトリア女王の下でインドは正式に植民地化(英領化)されてしまう。しかし、『帝国主義的な植民地化政策』の推進に大きな影響を与えたイギリス・オランダの東インド会社は、両国の国営企業ではなく国家のお墨付きを得た巨大な民間営利企業であったことには留意する必要がある。

東インド会社は、占領・搾取のみを目的とする軍事機構ではなく、飽くまで貿易・侵略も含めた利益の最大化を求める企業体であり、『相手の武力・抵抗力を見て侵略か貿易かを使い分ける現実的な判断』を持っていた。オランダ東インド会社は、軍事力の弱い王国・政府しか存在しないインドや東南アジアではやりたい放題の乱暴狼藉や奴隷的搾取、自由な拠点の形成を行ったが、軍事力が自分たちよりも強いと見た中国(明)・日本の沿岸部ではかなり慎重な貿易姿勢を選んでいる。

しかし、明の商船や沿岸都市に何度も襲撃・攻撃を仕掛けたために、朝貢貿易の認可を得ることはできなかったし、日本では1641年に徳川幕府の命令に従ってその活動拠点を『長崎の出島』に制限されることになった。オランダ東インド会社の軍事力は、17世紀の中国や日本ではそれほどの脅威とはならず、1662年には鄭成功率いる中国人の軍隊によって東インド会社は『台湾の貿易拠点』から追い出されたりもしている。

この段階では、まだ東洋と西洋の兵器水準に大差がなく、戦争になったとしても中国・日本が一方的にヨーロッパの国々に打ち負かされるような危機感というものは無かった。むしろ、戦国時代を経由して余剰兵力(武士階級)を抱えた日本は、当時の西欧の兵器・軍備の水準であれば、オランダ本国と渡り合ったとしても何とか凌げた可能性が高い。

ヨーロッパ諸国やアメリカの軍事力・技術力が『東アジア』にとって真の脅威となるのは、イギリスの産業革命を経た帝国主義の進展段階においてである。中国では『対イギリスのアヘン戦争の敗北』、日本では『アメリカのペリー艦隊(黒船)の来航・不平等条約』によって西欧列強の侵略に対する不安と懸念が一挙に高まっていく。外圧の危機感によって短期間で『倒幕・明治維新』を断行することに成功した日本は、脱亜入欧の精神で『国家機構の近代化(富国強兵・殖産興業・国民教育)』を急ぎに急いだ結果、自らも西欧列強と並んでアジア・太平洋地域における帝国主義の権益獲得競争に加わっていくことになる。










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■書籍紹介

東インド会社とアジアの海 (興亡の世界史)
講談社
羽田 正

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