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コルシカ島出身のナポレオン・ボナパルト(1769-1821)は、フランス革命の『反王政・反封建主義』の理想を掲げて幾多の戦争を戦いながら、自分自身が皇帝に戴冠してレジオン・ドヌール勲章を用いた『擬似的な貴族制度(上流支配階層)』を作り上げるという複雑に矛盾した存在であった。1808年には『帝政貴族』を任命して貴族制の再興を図っており、皇帝となったナポレオンは自らが否定したブルボン王家と同じような『貴族階級による自身の権威づけ・取り巻きの形成』を行うことになった。 議会から過激な『王党派・ジャコバン派(共和主義者)』を排除したナポレオンは、生まれながらの貴族に憧れるナポレオンでもあり、ナポレオンの政治信条は必ずしも明瞭なものではなかった。ブルボン家の王族を弾圧しながらも、亡命貴族を懐柔する措置を取り、ブルボン家が王位に復活できないようにする計略を幾重にも巡らせたりする(結局、エルバ島に追放されて王政復古でルイ18世が王位に就くが)。 マクシミリアン・ロベスピエールがギロチン台に掛けられる『テルミドールのクーデター(1794年)』までは、若きナポレオンはジャコバン派の人物とも親交を持っていたのであり、状況によって自分の政治的スタンスを切り替えながら『革命後の動乱期』を生き延びたのである。 皇帝に就任した後のナポレオンは権威主義的な性向を強め、自分の出自・血筋に他国の君主に並び立つ権威が備わっていないことに劣等感を感じてもいた。どのようにしても手に入れられない『王家の血筋のレジテマシー』を帝政に組み込むために、妻ジョゼフィーヌの後に何十歳も年の離れたハプスブルク家のマリー・ルイーズ(当時19歳)と結婚するのである。 マリー・ルイーズは神聖ローマ帝国皇帝フランツ2世の娘であり、血統から言えば『名門中の名門』であるヨーロッパ諸国に国王を輩出したハプスブルク家の令嬢である。フランツ2世はオーストリア帝国ではフランツ1世としても君臨しており、オーストリア帝国は封建主義体制(反革命主義)の牙城でもあった。『反王政・革命の啓蒙主義的な輸出』を掲げたフランス革命の理想を部分的に継承するナポレオンの妻としてはいささか相応しくない相手だったが、ナポレオンはハプスブルク家の伝統的権威とマリー・ルイーズの若さを深く愛したという。 ナポレオンは『成り上がり者の皇帝』として軽視されることに憤慨し、『追放したブルボン家』の血を引く者が舞い戻ってくることを恐れていたが、ブルボン家に連なる者が自分の地位を剥奪するという被害妄想に近い感情によって、ブルボン家の縁戚の最有力者であった無実のダンギアン公爵(ルイ・アントワーヌ)を謀殺している。 フランス革命の原動力は『自由・平等・友愛』のイデアールな理念であると同時に、『生まれながらの王侯貴族・封建領主に対するルサンチマン(怨恨)』であったが、フランス革命を起こした民衆・農民も初めからフランス王家(ブルボン家)を否定して嫌っていたわけではない。“パンが食べられないなら、ケーキ(ブリオッシュ)を食べればいいじゃない”と語ったという伝説が残るマリー・アントワネットが14歳の若さでブルボン家に嫁いだ時には、マリー・アントワネットの比類なき華やかな美貌と若さはフランスの民衆から大絶賛されていたりもした。 オーストリアのハプスブルク家(マリー・アントワネット)とフランスのブルボン家(ルイ16世)との婚姻は、当初はフランスの新しい希望・未来の象徴でもあったのだが、『民衆の貧窮・飢餓』を救済する措置を取らずに、湯水のように豪華な宮殿や華美な衣裳に公金を散財したブルボン朝はフランス革命後の政変で転覆された。貧しく無力な民衆であれば、みんなが苦労知らずで既得権益で生活する『王侯貴族・君主』を嫌悪するのかといえばそうではない、『民衆を愛する国王・王妃のイメージ』さえ与え続けることができれば、過半の国民は精神的に依拠する権威のない共和政よりも『王政・立憲君主制』を選ぶことは少なくはないのだから。 国民はすべて平等であるべきだから旧来の君主や身分は全廃・粛清しなければならないというのがジャコバン派の理想とする『共和主義』だが、現代の日本でも『天皇や皇室に対する敬意・畏敬』が残っているように、一般国民は必ずしも自分が貧しくて権力がなくても『旧来の支配階層・伝統的権威』を排除したいと考えるわけではない。逆に、自分が弱くて不安であればこそ、『絶対的に信じられる権威・伝統』が欲しいと望むことも多く、民衆の暮らしがある程度安定していれば『伝統的な権威・君主』は否定されるよりも尊重されることのほうが多いと言えるだろう。『国家・君主との一体感』によって民衆は自己アイデンティティを確立することが多く、その価値判断は歴史教育(国民育成の教育)に裏打ちされたナショナリズムや愛国心ともつながっている。 自分よりも上にあると感じられる『伝統的な権威・身分』を完全に否定するということは、民衆にとっては『メタレベルで自分を見守る内的表象(イメージ)』を失うことであり、自分の人生や生活に対する自己責任を主体的に引き受ける覚悟を持たなければならない。民衆のカリスマ崇拝の心理や保護的な国親思想(パターナリズム)によって、『王政・立憲君主制』は支持されやすくなるが、近代的な共和主義政体の代表者である『首相・大統領』ではなかなか『天皇・国王』のようなカリスマティックな表象を国民の心に形成することができないのである。いかなる権威(序列)や歴史(物語)にも帰属しない『アナーキーな自由・徹底した個人主義』に民衆の多くは耐えることができず、根無し草(デラシネ)のような心細さや所在の無さを感じやすい。 『首相・大統領』というのは、飽くまで自分と対等な国民が『選挙や議会という人為(民主主義)』を介して就いた職務に過ぎないので、首相や大統領を『国民統合の象徴・国家の歴史の人格化』として認識することは通常不可能である。国民は『首相・大統領』を自分よりも大きな権限を持った権力者として見ているが、かつての専制君主のように首相・大統領に対して『心理的な帰属感』や『個人的な忠誠心』を抱いている国民はほとんどいないはずである。 常識的あるいは倫理的に考えれば、『身分制度・既得権益』よりも『実力主義・競争による配分』のほうが公正であり望ましいのだが、人間心理の不思議さは『競争できる相手・競争によって成り上がった相手』に対しては、『正統性(レジテマシー)』を印象づける格式や権威を感じ取ることが難しいということにある。 1804年12月、皇帝に戴冠したナポレオン・ボナパルトも、そういった誰もが無条件に承認せざるを得ない世襲の皇帝位(持続的な権威)を求めたのだが、『戦争の勝利』によって成り上がったナポレオンは、『戦争の敗北』によって皇帝の座を追われエルバ島に流された。1812年の『ロシア遠征』での大敗、第六次対仏大同盟に対する敗北によって、ナポレオンは皇帝を強引に退位させられ、1814年にエルバ島の領主として移転させられたのだった。 イギリス・オーストリア・プロイセン・ロシアの『対仏大同盟』に対する戦争に勝ち続けることによって、フランスの大衆は皇帝ナポレオンを賛美して持ち上げたが、『戦争で勝ち続けなければ皇帝の権力・名声を維持できない』というナポレオンの焦燥感が、スペイン戦役(ブルボン家への介入)やロシア戦役でフランス兵士の膨大な犠牲を生み出す原因となる。ナポレオンの『第一帝政』は1808年の段階で最大の版図を実現し、イギリスとスウェーデン、ロシアを除いたヨーロッパ全土がナポレオンの影響下に収まっていたのだが、ナポレオンやフランス革命への抵抗が激しいスペインの統治に干渉したことによって、ナポレオンは落日の契機を迎えることになった。 本書は、新聞記者モンデールが書いた『ナポレオンの戦争に対する責任・罪悪』と『皇帝ナポレオンを手放しに賛美した衆愚政治の問題』を告発する小冊子に基づいて物語が展開していくが、それは『ペンは剣よりも強し』の近代社会が到来する予兆のようにも読むことができる。エルバ島から帰還したナポレオンは、ルイ18世の王政復古に不満を持つ民衆・兵士から『皇帝、万歳!』の歓声で迎えられるが、乾坤一擲を賭けたイギリス・オランダ・プロイセンとの『ワーテルローの戦い(1815年6月)』に敗れて、大西洋上に浮かぶセントヘレナ島に幽閉されてその波乱万丈の人生を終えた。 本書の最大の読みどころは、一人の若い兵士や記者の目線からリアリスティックに描かれた『戦記としてのモスクワ戦役・ワーテルローの戦い』と、ワーテルローの戦いに臨むモンデールとナポレオンの会話から浮かび上がってくる『人間ナポレオンの孤独な実像・悲壮な覚悟』である。衆に抜きん出た天才的な軍事・兵法の才覚によって、ナポレオンは皇帝の権力と栄誉にまで到達したが、エルバ島から帰還したナポレオンが指揮する軍隊は、かつてナポレオンに絶対の忠誠を誓い縦横無尽に動かすことのできた元帥の軍隊ではなかった。 『時間』は淡々と留まることなく流れていたのだった。ナポレオン自身も精悍な引き締まった肉体を持つ将軍(ちびの伍長)から、弛緩した肥満体を抱える皇帝へと変化していたし、ナポレオンの指揮下で的確に皇帝の戦術を展開するだけの力量・知性のあった『元帥』の多くは老いて現役を引退したり死去したりしていた。若き頃のナポレオンと共に戦場を駆け巡り、個人的に絶対の忠誠心を持って従っていた『古参兵』の多くも、ナポレオンの無謀なモスクワ遠征やフランス戦役によってその生命を失っていた。 幾つもの戦争で生死を共にした子飼いのナポレオンの精鋭部隊を編成することは最早不可能であり、新たに徴兵されたフランス兵の若者たちにとって、ナポレオンは雲の上の『伝説的な皇帝(過去の軍功を誇る者)』ではあっても『共通体験を持つ同志』ではなかったのである。ワーテルローの戦いの前に、ナポレオンは記者のモンデールに自分の指揮する元帥たちを紹介して回り、それぞれの元帥に対する人物評をモンデールに求める場面が描かれる。 モンデールは参謀長の元帥スルトがナポレオンの指揮する作戦を正確に理解していないことに不安を覚え、弛緩した表情で覇気が感じられない元帥グルーシーの判断能力に疑念を抱くが、フランス軍にはかつてナポレオンが重用した信頼できる元帥の多くが既にいなくなっていた。ナポレオンが絶大な信頼を置いていた歴戦の勇士である元帥ネイも、ルイ18世とナポレオンの間で揺れ動いて変節した過去によって、自分の主体的な判断に対する自信を喪失しかかっていた。モンデールの『元帥ネイは自信を失いかけているので具体的な戦術の指示をしたほうが良い』という忠言も、ネイのことは誰よりも良く知っていると述べるナポレオンの耳には届かない。 『ワーテルローの戦い』で、イギリスのウェリントン将軍とプロイセンのブリュッハー将軍に辛くも敗れたナポレオンは、権力も財力も軍隊もそのすべてを失い、大西洋にあるセントヘレナ島で『回想録』を淡々と執筆しながら孤独で屈辱的な晩年を過ごした。国家において軍隊において『権威ある国父』になろうとした皇帝ナポレオンは、自分を『皇帝』の地位に引き上げた戦争によって、再びただの人へと引き摺り下ろされた。ワーテルローの戦いに勝っていたとしても、皇帝ナポレオンの戦争がそこで終幕したとは思えないが、フランス国民に無数の人的損失と戦勝の栄光を与えたナポレオンは近世最後の英雄として伝説化した。 藤本ひとみの『皇帝ナポレオン 下』では、新聞記者モンデールとの戦場での交流を通して、一人の人間としてのナポレオンの心情・境遇が浮かび上がってくるが、『虚像と英雄としてのナポレオン』の二面性を自然な歴史物語の中で楽しむことができる。『ナポレオン戦争・ナポレオンの人間性』を痛烈に批判する記事を書いたモンデールという人物の創作(フィクション)によって、『言論・報道の自由』が新たな権力のあり方を規定する近代社会の到来を予感させる構成になっている。 『武力・権威』に依拠する君主制の専制権力が、『世論形成・啓蒙主義』を力とする言論・報道の自由に取って代わられるかのように見えたが、20世紀にはマスメディア(新聞・ラジオ・雑誌)がプロパガンダによる世論の誘導に用いられたことで、ナポレオンの時代以上のファシズム・帝国主義に基づく世界大戦の災厄がもたらされた。ナポレオンの権力を支えたのも『戦勝の栄光・領土の拡大』に酔う大衆世論であったが、20〜21世紀へと時代が進んでも、言論の自由やマスメディアの報道の副作用(危険な世論誘導)には一定の注意が必要だろう。 ■関連URI 藤本ひとみ『皇帝ナポレオン 上』の書評:皇帝としてのナポレオンと私人としてのナポレオンの対照性 エレノア・ハーマン『女王たちのセックス 愛を求め続けた女たち』の書評 ロック,ルソーの社会契約論(民主主義)とプルードンのアナキズム、ヘーゲル哲学についての考察 佐藤賢一『小説フランス革命U バスティーユの陥落』の書評1:第三身分の市民の武装蜂起 ■書籍紹介 |
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ベストセラー作家である東野圭吾の医療系ミステリー小説ですが、東野氏が小説の題材とするテーマや社会問題は非常に幅広くて、どれも一定以上の物語のクオリティを持っています。『使命と魂のリミット』は、大学病院で心臓外科医を目指す研修医の氷室夕紀が、『過去の医師・母親にまつわる個人的な不信』を乗り越えていくという筋立てですが、夕紀を取り巻く『親子・師弟の人間関係の設定』がよく練り込まれています。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2010/01/08 13:48 |
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