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zoom RSS 『吉本隆明の声と言葉。その講演を立ち聞きする74分』の感想:人間が投影された“話し言葉”を聴く悦び

<<   作成日時 : 2009/04/11 00:23   >>

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『ほぼ日刊イトイ新聞を運営するコピーライターの糸井重里(1948-)が、現代思想の巨人と評されることのある思想家・吉本隆明(1924-)の細切れの講演を編集したCDブックスです。吉本隆明の著作や対談集を以前に何冊か読んだことはあったのですが吉本氏の肉声を聞いたことはなく、この本に付属しているCDのダイジェスト版の講演で初めて聞いたのですが、『技巧的な完成された語り』ではなく『情趣的な体当たりの語り』を楽しむことができました。

巻末の特典として『太宰治(1994年,197分)』『日本経済を考える(1988年,123分)』の無料ダウンロードがついていますが、付属CDに収載されているのは雑多なテーマを立てた講演のダイジェストなので、講演ひとつ当たりの音源は“数十秒間〜数分間”で、講演のさわりやテーマの核心をつっかえたり反復したりの朴訥な口調で語っている感じです。

1924年生まれの吉本隆明氏は今年で85歳、通常であれば、深く綿密な思索や論理的な筋道だった話を展開できる脳機能の限界を超えた年齢と言っても過言ではないでしょうが、本書に掲載されている『吉本隆明×糸井重里の対談部分』もシンプルな語り口ながら、経験に裏打ちされた独特の味わいと風合いがあって面白いです。

冒頭の『吉本さんのこれまで。』には簡単な履歴の年譜が示されているので、これから吉本隆明の代表的な著作を読んでみようという人には参考になります。私自身もタイトルをざっと見てみて、読書の時間が取れるときに読んでみたいと思う著作を何冊かピックアップしましたが、個人的には吉本隆明の難解な色彩のある政治的・思想的な著作よりも、気楽に読み進められる対談集の形式のもののほうが好きですね。

吉本氏の著作は学術的・科学的な正当性にこだわって読む類の本ではないと思いますが、日本文学史や哲学史などに興味のある読者であれば、吉本氏の近代文学論というか著名な文学者を題材にした持論・評論というのは結構な読み応えがあり、何より読んでいて一言物申したくなるような知的興奮を得られます。年表の最後の2008年の項目には、『足梗塞になって足の一部が壊死した可能性』とあるので、吉本氏の老化による衰退や健康面の懸念はありますが、知的能力や身体能力が自ずから衰微する80代の高齢になっても、自分なりのペースで生涯現役のスタイルを貫く生き様にはしみじみとした晩年の情趣が漂っています。

吉本隆明と糸井重里の対談部分の最初は、『自分の言葉遣いと年齢認識』がテーマになっていますが、言葉遣いの選び方や社会的役割の引き受け方によって『仮想的な年齢認識』が生まれるのであって、それらの修飾的な年齢感覚を演出する道具立てを取っ払ってしまえば、人は何歳になっても精神年齢がそれほど成熟するわけではないという話は何となく実感できるものがあります。

10代と20代の境界には何となく『精神の成熟・成長』みたいなものがあるけれど、『20代以降の精神年齢(知能指数とは無関係な通俗的意味における自我の成熟の度合い)』というのは仕事とか結婚とか育児とかいったライフイベントによって引き受ける『社会的役割』を抜きにすれば、自我本体の成熟度というか人格性の深みというのは大して変わらないのではないかという感触は心のどこかに澱んでいますね。『自分はもう子どもじゃなくて、社会化された大人になったのだ』という自己認識の転換点というか、ある種の自尊心の絡んだ自己の社会的規定というものは20代ないし30代のどこかであるものなのでしょうが、かといってそれは線形的に後退することなく成熟を続けるプロセスというわけでは決して無いのではないかということです。

無論、“社会化・ライフイベント”を除外して、自我そのものの成熟度を問うこともできるわけですが、そうなると近代経済社会における人間像からは幾分ずれてきます。『宗教的・思想的(認識論的)な人間観』に基づいて、自我の成熟や人格の成長を論じなければならず、そういった外部から確認できない内的基準は『行動・実績・社会的責務・関係性』が問われる現代社会ではそれほど一般的なものではないし、ライフイベントや社会的位置づけのない『自己の年齢認識・成熟の度合い』というのはなかなか想定しがたいのかもしれません。

例えば、職業に就かず結婚して家庭を持たず、人間関係の構築や社会的な活動もしないが、祈りや瞑想、学問、修行だけをして人生の時間を過ごしているというような中世以前の『宗教者(修行者)の原像』に対して、現代的な人間観からはその精神的な成熟や成長を測定することは極めて困難であるか不可能ということになります。

吉本隆明は自己の存在を謙遜するかのように一人称として“僕”を用いるのですが、吉本氏のような高齢であればともかく、20代〜30代くらいの人が“僕”という一人称を用いると、何となく『“俺”という粗雑さでもなく、“私”という形式的な丁寧さでもない洗練された“僕”』を敢えて使っているというような気障(きざ)で構えた印象を感じることもあります。

男性は小学生中学年くらいまでは一人称の“僕”を使うことが多いですが、中学生くらいからは大半が“俺”という男らしい押し出しの強さ(他者と対峙して自己主張する強さ)がある一人称となり、学校を卒業してとりあえず大人になると公的場面では“私”か“僕”を使うことになるわけです。

社会人がなぜ“俺”を仕事やそれほど親しくない相手には使わないかというと、“俺”には『他者と対峙して能動的に張り合う自意識(自己存在の明確化)』の観念が内包されていて、“私”のような『他者と向き合う関係において抑制的な中立性(自己存在の中立化)』が無いからですが、“僕”という一人称は一番使い方が難しく、意外と大人でも自分を“僕”と呼ぶことにある種のくすぐったい気恥ずかしさを感じる人というのは多いと思います。

“僕”という一人称が他者に与える印象は『控えめな謙譲性』であると同時に『控えめな自己顕示』ですが、吉本隆明は話し手である自分にとっても聴き手である他者にとっても、実に自然な自意識と態度の元に“僕”を用いていて違和感がありません。CDに収載されている講演のダイジェストでは、『文学・哲学・時事・歴史・経済』など雑多なテーマで講演しているわけですが、吉本隆明はどんなテーマでも僕を一人称として『その作品や問題に対する興味関心の抑えきれない強さ』を前面に押し出しながら、『思考』に『言葉』を必死に追いつかせようとする“前のめりの勢い”で訥弁と語っています。

『話したくてたまらない内容がまだまだある・どうしても伝えたい意見や主張がある』という気持ちが講演のひとつひとつの言葉にのっかっていて、時に、言葉につっかえたり同じフレーズをどもったりしながらも、前へ前へと話を進めていく『知的体力のタフさ』というか不器用で素朴な人柄のようなものが伝わってきます。

吉本隆明の講演における話し方そのものは全く流麗ではないし、話の段取りも上手くはないのですが、『原稿を間違えずに綺麗に読むのとは対極的な生身の語り』だったり『リアルな知的興奮の高まりに言葉が追いつかない雰囲気』だったりを味わうことはできると思います。端的に感想を言ってしまえば、『この人は言葉にしていること以上の考えやアイデアを頭の中に持っているんだろうけど、“話し言葉”のスピードやルールにそれを完全にのっけられていない』というもどかしさを感じるわけなのですが、そういったプレゼンテーションとしては失格点になるような朴訥な口調の中にこそ、『事前に準備され尽くしていない生身の思想(聴衆に体ごと訴えかける生きた語り)』が潜んでいるように感じられます。

吉本氏自身が対談部分の中で、物書きになった理由として『一等最初は、僕は、喋っている言葉はどうしても人に通じているようには思えないと思ったことからはじまっているような気がします。聞いてる人の顔を見てても、自分が喋っていることが通じているとはとても思えなかったです。そこの疑問から僕はもの書きになったんだと思います』と語っていますが、『話し言葉(パロール)』『書き言葉(エクリチュール)』の間には意味の確実な伝達性においてかなりの溝がありますね。

話し言葉(パロール)の短所は用語の言い間違えをしたり、緊張してしどろもどろの口調になったり、複雑で高度な表現をしにくかったり(聴き取りにくかったり)することですが、話し言葉にはそれを補うだけの長所として『臨場感・人間性・情緒性の感覚的な伝達』というものがあります。言説の正確性や論理性ではどうしても『書き言葉(エクリチュール)』に軍配が上がりますが、言説を構築した主体性(話し手)のリアリティや雰囲気に肉薄するという点では『話し言葉(パロール)』は書き言葉を寄せ付けないだけの圧倒的な存在感があります。

本書『吉本隆明の声と言葉。』では、正にそういった吉本氏の個性的な人間味と知的興奮に満ちた語りの一端を楽しむことができるようになっています。講演・講義のオーディオブックというのは、最近、滅多に聴くことも無くなっていたのですが、このCDブックスを聴いてみて、また吉本氏のまとまった講演やその他の識者の講演も機会があればオーディオブックで聴いてみたくなりました。






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■書籍紹介

吉本隆明の声と言葉。〜その講演を立ち聞きする74分〜
東京糸井重里事務所
吉本隆明

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