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世界的な金融危機と景気悪化の広まりによって、世界各地で膨大な数の人々が仕事や住居を失い雇用問題が深刻化している。日本でも派遣切りに遭った失業者や生活に困窮した人たちが東京日比谷の『派遣村』に集まって再就職に必要な支援を受けていたが、派遣村も閉村されることになり新たな滞在地での再就職に向けた活動が始まっている。マスメディアでは派遣村に集まった失業者たちに対する同情的・人道的な意見が主流であり派遣労働の待遇改善が語られているが、個人の多種多様な意見が反映されるウェブでは、失業するに至る『自己責任』を厳しく追及したり派遣村に潜在する政治性の問題を指摘する声も少なからずある。 派遣村に限らず困っている失業者・弱者を支援しようという共感的・温情的な意見も多い中で、政治・ボランティアによる弱者支援は偽善的で不公正なものだ(救済に値する本当の弱者かどうか分からない)というような心が痛くなるような意見も確かにあるが、それだけ生活や仕事の状況が厳しいと感じる国民が増えたということの現れであるようにも感じる。『規制緩和・民営化・プライマリーバランス(社会保障の歳出抑制)』を推進する小泉・竹中の構造改革路線の時代から『新自由主義』と『自己責任(勝ち組・負け組の結果)』はセットのように語られ、自己責任によって生み出される格差社会が肯定されやすい世論が醸成された。 アメリカの金融資本主義の破綻と雇用の急激な悪化によって、かつてほど新自由主義的な価値観は賞賛されなくなってきており、痛みに耐えて社会的コストとなる既得権益を打破するとした構造改革の内実にも懐疑の眼差しが向けられることも増えた。規制緩和・不良債権処理を進めた構造改革の影響には良い面も悪い面もあるが、(構造改革が日本経済全体にとっては必要なものであったとしても)構造改革の恩恵を受けた層と実際に痛みを負った層がずれているところに不満が集まりやすい要素があるのではないかと思う。 中流階層以下の大半の国民にとってメリットの乏しい『自己責任』を掲げる新自由主義がなぜあそこまで持てはやされたのかという理由は、大きく分けて『(少子高齢化を前提に置く)日本の国家財政の持続性に対する不安』と『不正な既得権益の廃絶の期待』にあったのではないかと推測される。後で詳述したいが、産業社会における『勤勉・禁欲の道徳規範』というものも、もちろん自己責任のベースにあるだろう。小泉純一郎元首相は郵政民営化を既得権益撤廃の旗に掲げることで、民間大衆層の『官(公務員)の待遇』に対する不公正感を上手く煽り構造改革の先鞭をつけることに成功したが、そこに『官の経営の非効率性・過剰な税負担の削減』という大義名分を持ってきた。 そこには、所得の低い不安定雇用層の拡大によって、市場の自由競争の枠外に置かれている『官僚政治・安定した公務員』に対して不満が持たれやすくなっているという背景があった。そのため、『官民格差の是正・官業の民営化・天下りの規制』というのは、かなりの数の有権者の心を捉えやすい政策の一つであり、実際的な政策の必要性(財政支出削減のための公務員制度改革や天下り禁止が必要なものであることに異論はないが)とは別に民間の不公正感のカタルシスにもつながる要素を持つ。公務員批判の根底にある心理は財政が悪化して税負担が上がっているにも関わらず、『実際の働き以上の所得(民間の同じような仕事以上の所得)』を税金から得ているのではないかという反発であるが、社会的弱者に対する批判も根っこを辿れば『不当な利益・不正受給』を福祉制度(税源)から得ているのではないかという猜疑心にある。 不安定な雇用(不十分な所得)で生活の不満を持っていたり国家財政が行き詰まりつつある状況では、『誰かが不当な利益を得ているのではないか・そのために自分が割りを食わせられているのではないか』という猜疑心や義憤のような感情を持ちやすくなる。こういったマイナスの感情が種々の政治問題や雇用問題で噴出しやすくなっている背景として、毎日一生懸命に働いているのに生活が全く豊かにならない『ワーキングプアの増大』の問題を指摘することができる。統計によってもデータは異なってくるが、現在の日本には年収200万円以下の国民が2,000万人近くいるとされており、フルタイムでくたくたになるまで働いてもゆとりや豊かさにつながってこない厳しい状況が放置され続けている。 『賃金低下の理由』が国際競争の激化や労働市場の海外移転(安価な労働力の増加)、日本人の労働生産性の低下などに求められるばかりで、政治的・経済的な解決策もなかなか出てこない。ワーキング・プアの給料が低いのは労働者としての付加価値を身に付けてこなかった自己責任であると切り捨てられ、派遣労働者の雇用契約が突然打ち切られるのはそういった不安定雇用の契約にあなたが同意していたからだ(それが嫌ならどうして正社員にならなかったのか)と責任追及のダメ出しを受ける。商業施設を映すテレビ番組では、お洒落なファッションを楽しんだり美味しいグルメ・スイーツの買い物を楽しむ人たちの光景が繰り返し放送されるが、労働者層のかなりの部分が疲弊しており十分な消費・レジャー生活をするだけの所得を得られなくなってきている。 多くの国民は、頑張って働いているのにこんなに生活が苦しい理由は何なのだろうという疑問を持ち、自分が過去に努力してこなかったからだ(職業キャリアのモデルから逸れてしまったからだ)という自己責任を自覚させられると同時に、自分以外の社会構造の権益や他の属性を持つ人たちの働きぶりに目を向けるようになる。日本社会は建前としては義務教育と機会の平等が保障された社会ということになっているので、今、高い所得・地位を得ている人や大きな財産を持つ裕福な人は『本人の能力+過去の努力(実績)によって成功した人』として認知され、そういった富裕層やエリート層を叩くことは恥ずべきルサンチマン(嫉妬・怨恨)として解釈される。かつての左翼的な『階級対立(富裕な資本家対貧困な労働者)』を煽るアジテートが現代日本に通用する余地は乏しいが、反対に生活が苦しい労働者同士で相互の落ち度や怠慢、問題のある既得権の粗探しをするような『内部対立の構造』が先鋭化しているような危うさを感じる。 日本のウェブでは広義の弱者寄りの『左翼(社会主義的・平等主義的な考え方)』が批判されることがあるが、その批判には自らは義務を果たさず努力をせずに、正当な努力をして高額納税で社会に利益を還元してきたエリート層・富裕層を引きずり落とそうとする心根が卑しいという評価が内在している。こういった批判には、あらゆる社会的格差の原因を『自己』に還元させる傾向が含まれているので、経済的に成功した富裕層などではなくても小さな雇用待遇や現状の格差にも自己責任が持ち込まれる。 その評価は、体制批判や反権力運動をして政治的な利益を引き出そうとするのではなく、みんなと同じように真面目に働くことを第一に考えるべきだという『政治活動の否定』へと帰着してくる。かつて左翼は『革新勢力』と言われたように『既存の社会的ルール・制度設計』を変革することを重視する傾向があるが、右翼を含む広義の『保守勢力』は『既存の社会的ルール・制度設計』の枠組みの中で努力することに価値を見出す傾向がある。 『派遣村』が一部でバッシングされた理由には、派遣村の支援団体の中に左寄りの政治性を読み取ったということがあるようだが、個人の生活のために大衆的な政治運動(既存のルール・制度の変更)を煽ることは、楽をして利益を引き出そうとする行為のように受け取られやすいのかもしれない。砕いて言えば、今の貧富の格差は過去の努力や生活設計、本人の能力が反映されているものなのだから、仕事も住居も失うのは『努力・勤勉の欠如』という自己責任ではないかという主張に近づいていくのだろう。 だが、この問題を左翼・右翼という古典的な政治イデオロギーの対立に収斂させるのは恐らく正しくないのではないかと感じる。そこには、ビジョンを描く思想上の差異というよりも、個人的な生活の苦悩や社会保障制度の持続性に対する不安が、政治イデオロギーに仮託されている状況があるからである。国民の生活・経済階層と政治イデオロギーというのは完全に区別することが困難であり、自己の人生や生活に内在する各種の感情・不安が政治イデオロギーへと投影されていく。 しかし、『社会・自分に起きている問題の根本はどこにあるのか?』という原因帰属の認知が政治イデオロギーとの相性に関係してくるので、同じような社会階層や経済所得層であっても政治的な立場は様々な方向に分離していくことになる。何に問題の原因を見出すかという原因帰属の認知の違いによって、社会構造や制度設計に原因を見出しやすい『革新主義のベクトル(左寄りと言われやすい)』と個人の能力・行動や責務感の強さに原因を見出しやすい『保守主義のベクトル(右寄りと言われやすい)』に大きく分類することができる。貧困や雇用の自己責任を説く人は『本人の能力・努力』に原因を求めて、社会構造(格差社会)や政治制度、既得権に不満を述べる低所得者(不安定雇用者)を自分の努力不足や怠けを棚に上げた責任転嫁であると批判することになる。 日本では『右翼』というと、どうしても日の丸・君が代・天皇・戦前回帰・街宣車のイメージと結びついたナショナルな民族主義者(国家主義者)として認識されやすいので、経済雇用・社会福祉問題の対立で右翼というのはあまりしっくりこない。通俗的には『左翼』は共産主義者・社会主義者を意味しているが、社会的弱者を積極的に支援したり救済しようとする考えを持つ人たち全てを、左翼という旧来的な分類概念で括るのも現代の日本では無理があるだろう。『右翼・左翼』という二項対立図式を演出しやすいポリティカル・コンパスは好んで使われやすいが、失業した派遣労働者の支援や社会福祉制度の運用などに関する意見の対立は『経済的自由・自己責任』をどこまで強く求めるかという違いである。 経済的自由や弱者救済の程度について右翼と左翼という分類を用いることは正しくないと思うが、ウェブにおける定型的な分類では弱者に厳しく自己責任を重視して『小さな政府』を志向する思想が『右翼・右寄り』、自由競争に批判的で弱者に共感を持ち『大きな政府(福祉国家)』を志向する思想が『左翼・左寄り』として認識されやすいようである。その分類では、社会的弱者・福祉政策を巡る問題において、右翼は経済的自由を尊重して緊縮財政(税負担軽減)を目指す『リバタリアン(リバタリアニズム)』に近く、左翼は社会福祉・所得の再分配を重視する『リベラル・社会民主主義』に近いと言えるが、実際には愛国心(国・民族への愛着度)や歴史認識、社会的公正などについても細かな違いがある。 厳密には、政府による一切の制約を嫌う自由至上主義のリバタリアンは民族・国家・歴史などへのこだわりがないのでナショナルな右翼とは相関を持たない部分も多くなる。近代社会には『怠惰・無為』を非難して『勤勉・禁欲』を奨励する労働道徳が普及しているが、この労働道徳が社会的弱者に厳しい価値判断の根底にあるという側面も強い。 私は派遣村に限らず失業者・困窮者には自助努力が可能になるレベルまで必要な就労・生活の支援を行い(安定した就労に役立つ職業訓練・資格取得なども失業者に限らずやる気のある人にバックアップして)、身体・精神の障害等によって当面は自立が不可能なのであれば生活保護を申請させて給付すべきだと思う。いずれにしても、正規・非正規にこだわらず被雇用者全体の『経済力の底上げ・雇用環境の改善』を図らなければ、日本経済を再生するための内需拡大や国民のマインド(働く意欲・消費する活力)の上昇は実現できないのではないだろうか。 労働に関する道徳律と資本主義(自由主義)・共産主義の経済的な社会設計との相関についてもまた考えてみたい。労働道徳は『規律訓練による規範の内面化』によって産業活動の秩序や経済システムへの適応を支える役割を果たすものとして位置づけることができるが、市場経済(資本主義)にも共産主義にもそれぞれの形で根づいていった。 ■関連URI “政府(強制)からの自由”を目指す古典的自由主義と“貧困からの自由”を目指すリベラリズムについて:1 “政府(強制)からの自由”を目指す古典的自由主義と“貧困からの自由”を目指すリベラリズムについて:2 自殺を“個人の問題”に還元しない自殺対策と自由主義社会におけるアトミズム(個人化)の問題:1 自殺を“個人の問題”に還元しない自殺対策と自由主義社会におけるアトミズム(個人化)の問題:2 ■書籍紹介 反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書) 岩波書店 湯浅 誠 ユーザレビュー: 過ちを正すのに、遅す ... 民主主義は少数弾圧主 ... 歴史の評価を待つ貧困 ...Amazonアソシエイト by ウェブリブログ |
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資本主義(自由主義経済)と社会主義における労働観と『努力−結果』の因果応報を求める規範意識
『前回の記事』の続きになるが、自己責任論者にとって『過保護・甘やかし』と映る弱者救済の社会福祉に対する否定感情は、人間の水平的な平等感(応益負担原則)に基づく反応であると同時に、個別的な生活の困窮や将来不安の現れでもある。近代産業社会における『労働と道徳的義務の結合』は極めて強固なものであり、ミシェル・フーコーの規律訓練システムを持ち出すまでもなく、『学校・工場・企業における規則正しい生活リズム』は今でもまっとうな社会人であるか否かの指標として認識されることが少なくない。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2009/01/17 11:56 |
近代社会(資本主義社会)における非生産的な『高貴性』と『聖性』の消滅:無欲・貧困の怠惰への転落
『前回の記事』の続きになるが、仏教思想では『煩悩(欲望)』によって人間の心が曇り汚れるという人間観が前提にあり、俗世間は人々の無数の不浄な煩悩に覆われた『穢土(えど)』と仮定される。穢土(俗世)から離れて煩悩を断ち切った禁欲生活(修行・学問・布施の物乞い)を静かに続ける出家者や隠遁者、巡礼は、世俗に生きる人たちよりも道徳的に尊い存在(聖なる存在)であると考えられていたが、近代社会では基本的にこの道徳的価値判断が労働規範によって転倒されることになる。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2009/01/29 06:46 |
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