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田母神俊雄(たもがみ・としお)・航空幕僚長が、アジア・太平洋戦争に関する政府見解と異なる論文をアパ・グループの雑誌に発表して更迭された。田母神・前航空幕僚長は定年退職扱いとなり退職金の約6000万円は受け取る意向ということだが、国会に参考人招致された田母神氏は『自衛官の言論の自由』を根拠に、自らの論文の内容が政府見解と異なるとしても何ら問題はないはずだという趣旨の主張をした。アパ・グループ会長の元谷外志雄(もとや・としお)氏とは10年来の交遊があり、歴史・国家認識における親近性はあるが資金面における不当な利益供与は一切無いと明言している。アパ・グループの懸賞論文の最優秀賞には300万という高額の賞金が準備されていたが、論文受賞の選考過程において田母神氏の論文に何らかの優遇措置があったのかは明らかになっていない。 私がこの問題における要点と考えるのは『制服組の自衛官(武官)トップのイデオロギーの公表』と『文民統制(シビリアンコントロール)の実質的意義』であり、メディアで話題となっている田母神氏個人の過去の戦争にまつわる歴史認識・国家観(憲法観含む)や自衛隊に対する考え方には、賛同できる内容ではないがそれほどセンシティブな抵抗感はない。しかし、現職の制服組トップが“航空幕僚長”という官職を抜きにして、日本国憲法の規定(第19条および第21条)を根拠に国家の軍事政策や歴史認識、憲法改正に関する個人的意見を各種メディアに公表して良いのか(公表できるのか)というと公表すべきではないと思う。 憲法論の枠組みで考えても、19条の思想・良心の自由や21条の表現の自由は国家権力が『国民の精神的自由』を強制的に抑圧・制限すべきではないという規定であり、一見すると国民である自衛官にも公共の福祉(他者の自由)に反さない限りは、あらゆる思想信条を表現(公表)する自由が認められているようにも読める。しかし、自衛隊が政府(内閣)と国会の決定に従属するという『文民統制の原則』を考慮に入れると、『有事』において部隊を指揮する自衛隊の武官トップが政府と異なる歴史認識やイデオロギーを持っていることを公表することの外交的な不利益は大きい。自衛官のトップが政府の公式見解に反対の考えを持っているという事実を公表することは、政府の直接的な監視・統制が及ばない外国の地域における活動で、自衛隊が政府の意志決定に従わない可能性があるのではないかと痛くない腹を探られることにもなる。 現在の日本の自衛隊の統制と海外派遣の目的を考えると、過去に暴走した一部の日本軍のように本国における政府の意志決定を軽視する可能性はまずないと言えるが、それでも一般的には国家の暴力装置である『軍』の意向というのは一国の政権を左右する潜在力を持つと見なされる。文民統制の仕組みがしっかりと組まれていて武力行使に慎重な判断を示す先進国では、『軍の暴走』などというのはまず起こりえないが、途上国では軍のクーデターによって政権が転覆されたり軍政が敷かれることもある。自衛隊の制服組トップが政府や内閣総理大臣の公式見解に示される歴史認識や現行憲法の尊重を共有しないということは、いざという有事の時に自衛隊が内閣の統制に服さず不測の行動を取るのではないかという不信感を国民に与える危険がある。自衛隊のトップが政府見解と対立する歴史観・軍事観の思想を公表することは、極めてプライベートな場所の会話では許されても、不特定多数の人の目に触れる領域では上記したようなデメリットやリスクが出てくるのではないだろうか。 参考人招致において、田母神氏は国を守るためには現行の日本国憲法を改正すべきであり、自衛官の(戦闘地帯等における)武器使用の自由度を高めて集団的自衛権を行使できるようにすべきだという持論を述べた。しかし、『航空幕僚長』を任官している田母神氏がこういった武力行使要件を緩和する自衛隊改革について自己言及することは、自衛官のトップが現行の憲法による縛りや政府解釈に対して強い不満を抱えているという『暗黙のメッセージ』を国民に伝えることになる。論文で過去の日本の戦争を道義的に正当化していることと合わせると、武力行使の実務を担当する武官が現在の政府・法制に強い不満を溜め込んでいて、自分自身で憲法規定の拘束を解こうとしているような『不穏な印象』が形成されやすくなる。仮に、こういった憲法改正や自衛隊の武力行使要件の緩和を本気で主張するのであれば、文民の統制に服する武官の官職を辞して、武力行使や自衛官の統率を直接に担当しない一般国民や国会議員の立場に立って主張するというのが本筋であったように感じる。 今回の懸賞論文のもう一つの問題点は、トップダウンの組織である自衛隊(軍)の航空幕僚長である田母神氏の航空自衛官に対する潜在的な影響力の大きさだろう。田母神氏は部下の自衛官に対して、アパ・グループの懸賞論文に論文を投稿するように指示したのではないかという質問を受け、『指示をしたのではないかと言われたが、指示をすれば多分90とか70なんぼという数ではなく、1000を超える数が集まると思う』と答えている。田母神氏は自分が本当に指示・命令を出せば1000人以上の自衛官が即座にその指示に従うといった幕僚長の強い影響力を示唆しているわけだが、こういった強い指示命令系統のトップにいる人物が政府見解と異なる歴史認識や軍事観を日常的に語ることによって、部下の自衛官たちがそういった政府見解と対立するイデオロギーを自然に取り込んでしまうという可能性も無視することはできない。 制服組(武官)のトップが、政府見解と対立する政治イデオロギーや歴史認識の公表について慎重であるべき理由のひとつは、日常的に指示命令を与える部下の自衛官(軍人)が、上司のイデオロギーに無意識的に感化されやすいという教育効果にもあると思う。幕僚長が日常的に政府見解や憲法規定、武力行使の制限への不満・反論を部下に語り続けていれば、部下も自然に幕僚長と類似した反政府的な見解へと感化されるリスクがあり文民統制の基盤がどうなのだろうかという懸念が出てくる。アジア・太平洋戦争を正当化したとされる論文の内容についてであるが、戦前の日本が侵略国家であったか否かというと、大日本帝国が自国防衛の意図も兼ねて帝国主義的な軍事政策を採用した(自衛以上の利権や領土を拡張する目的をもって他国の国家主権を侵害した)という意味では西欧・米国並みの侵略国家ではあったと言える。 戦争当時の国際社会の価値観では、国益を拡張するための帝国主義的な軍事活動・植民地獲得は断罪されるべき『悪』ではなかったが、戦後は戦争・人権に対する価値判断のパラダイムシフトが先進国で起こり、自国の国益のために外国の国家主権(領土・人命・政権)を侵害する戦争を仕掛けることは断罪されるべき『悪』となった。敗戦国である日本・ドイツ・イタリアだけが侵略国家で、それ以外の植民地政策を展開した西欧諸国・米国は侵略国家ではないという『勝てば官軍』のロジックは確かに間違っているが、戦後日本の平和主義教育の主眼は『日本の侵略戦争が間違っていた』というよりも『あらゆる侵略戦争は間違っている』というところにある。『自虐史観』というのは日本だけが間違った帝国主義の侵略戦争をしたという歴史観のことだと私は考える。戦勝国の戦争行為だけが『正義の戦争』で、敗戦国だけが戦争犯罪に該当する『邪悪な戦争』を画策したというシンプルな善悪二元論で考えることは端的に間違っていると思うが、そういった二元論で近現代史を見ていると言う人は極めて少数派だろう。 戦後日本の歴史観では、日本の韓国併合や満州支配(中国進出)は道義的に間違った政治判断とされているが、それと同等にイギリスの植民地経営・奴隷貿易・侵略戦争の歴史をはじめとして、スペインやポルトガルの南米侵略から始まる西欧列強の帝国主義の全体が『歴史的な過ち(再び繰り返すべきではない侵略と搾取の歴史)』として認識されているのではないだろうか。もちろん、アメリカによる原爆投下や沖縄攻撃、執拗な空襲も歴史的・道義的に繰り返すべきではない戦争行為の一つであり、戦勝国であるからその人道的な問題が公的に追及されないとしても、無実の人間の生命を数多く奪ったという意味において決して肯定される行為ではないだろう。 敗戦国が戦後処理や軍事裁判、道義的断罪において不利な取り扱いを受けることは仕方ないことであるが、戦後日本の歴史教育や平和主義の眼目は『国家間の問題解決の手段として武力を用いることは基本的に間違っている・国益のために国民や外国人の生命を道具化することは許されない』という普遍的な人権感覚に依拠したものである。無論、戦争放棄の平和主義という理想論は現在の緊迫する国際情勢ではそのまま通用しないことも多いが、『武力行使の機会』を最小限度に押さえてできるだけ国家・軍が外国人(敵対勢力)を殺さないようにすると言うのが国際社会の永遠の課題となっている。 国際社会や主権国家の戦争にまつわる喫緊の課題は、どうしても平和的な対話や条件交渉に応じず、暴力・テロリズム・大量破壊兵器で民主社会の平和と安定を物理的に破壊しようとする無法国家・武装勢力にどう対処すべきかということである。相手から一方的に攻撃・テロを仕掛けてくる状況では、専守防衛では十分な対抗ができず限定的な武力行使が必要になるケースもあるだろうが、武力攻撃やテロリズムに依拠する集団の背景には必ず『貧困と絶望・教育の欠如・イデオロギー教育・軍事産業と階層社会・世界経済に対する不公正感・歴史的宗教的な怨恨』などの問題が横たわっている。 『無謀な暴力・テロの発動』に訴えざるを得ない集団勢力の根本にある貧困をはじめとするそれらの問題を効果的に解消できるように支援すること、途上国の戦争によって間接的利益を得ている軍需産業(武器商人・支援国家)や途上国の階級的な搾取構造などの問題に真剣に向き合うこと、戦争や異民族(外国)への憎悪感情に『大義名分』を与えるようなイデオロギーに子どもが影響されにくい教育制度を確立すること、こういった終わりの見えない地道な努力が国際社会だけでなく各国の政府に求められている。 田母神氏の過去の戦争を正当化する論文の問題点は、国家主義・民族主義といったかつての列強諸国の帝国主義を促進したイデオロギーとの親近性(戦前の集団優位・個人劣位の価値観への復古)を憂慮されたところにもあると思うが、日本が過去の歴史を反省するということの本質は『自虐史観(日本だけが悪かったという歴史観)』に延々と陥るということではなく、戦勝国や途上国も含めて『武力やイデオロギーによる人命を損なう問題解決(脅迫と恐怖による敵対勢力からの利益の引き出し)』を極力回避するための努力をするというところにある。その一方で、人間精神や科学技術に戦争を遂行する潜在的な可能性が胚胎しており、『圧倒的な暴力』に人間集団を屈服させる力が備わっている以上、世界から完全に戦争・武力を廃絶することは不可能に近いとも言える。先行的で理不尽な暴力を効果的に封じる『メタ暴力(公正な抑止力としての武力・警察力)』が要請される構造を人類が乗り越えるには、膨大な時間と経済的豊かさ(世界レベルの貧困の最小化)に支えられた人類の倫理性・知性の向上が必要になってくるだろう。 ■関連URI 日清戦争・日露戦争後の東アジア情勢と「併合」へと傾く日韓関係 原爆発言による久間章夫防衛相の辞任と戦後の日米関係を支えた歴史との距離感:1 パトリオティズムとナショナリズムの愛国心2:平和主義の理想と宗教倫理の愛 自民・民主の大連立の失敗と二大政党制、小沢一郎の国連中心主義的な外交理念の問題:2 近代の朝鮮半島の歴史と日本・韓国・中国の民族アイデンティティの揺らぎ ■書籍紹介 |
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士農工商の身分制度と商業・貨幣蔑視の価値観:中世日本における自由な異界としての“無縁・悪所”
西欧社会と日本社会の歴史を均質的に語ることはできないが、古代社会〜封建社会の支配階級としての貴族・武士は『精神的・観念的な価値』に自らの存在根拠を求めている傾向が強く、『物理的な価値』を生み出す農耕・労働の役割は農民・職人・町人・奴隷などに宛てがわれていた。貴族・武士が自認する精神的価値のエッセンスは『いざという事態に際して、死を恐れずに戦う勇気・覚悟』にあった。武士道とは死ぬことと見つけたりという『葉隠れ』の記述は象徴的なものであるが、武士の切腹・自死の儀礼にも『死を超越した潔さ・決断』... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2009/03/10 18:12 |
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