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エレノア・ハーマン著の『女王たちのセックス』は、ヨーロッパの国王と女王の私生活と王宮の権力闘争について詳述した書籍であると同時に、一般大衆とは隔絶した『王族の婚姻・性生活の現実』を垣間見ることができる興味深い本である。正確な史実を写し取った専門書ではないが、ヨーロッパの王侯貴族の文化風俗に興味がある人、ハプスブルク家やメディチ家、ホーエンツォレルン家、ハノーファー家、ロマノフ家といったヨーロッパ貴族の『名門中の名門』の華麗かつ残酷な歴史について知りたい人には是非手にとって読んで貰いたい内容になっている。 王室に嫁いだ女性(プリンセス)の人格・感情が無視されて、王家の外交の道具や後継者を産む身体器官として取り扱われた王政のメカニズムから、近代以前の西欧世界を覆っていた男尊女卑の文化風潮についても考えさせられる。同じ著者による『王たちのセックス』という姉妹本もあるので、本書と合わせて読むと王室の婚姻・性愛と権力の相関がより明確に理解できるかもしれない。 現代に生きる女性の中には、中世〜近世のお姫さまや女王さまの華麗で贅沢な生活に憧れの思いを抱く人もいるかもしれないが、本書は『わたしはお姫様でなくて良かった・王族と無関係な生まれで良かったと思うエピソード』が満載の本である。まず、『西欧史・ロシア史に残されている王族の婚姻』は公平に見ても『愛情・安心・思いやり』といったものを配偶者に期待することはほとんどできず、政情の急変や君主の気変わりによっては『今日の貴族的な生活』から『明日の処刑台』へと真っ逆さまに転落してしまうことも少なくない。これはフランス革命やロシア革命などの大衆・貴族階層による政治革命とは無関係の日常的な出来事であり、君主の多くは必ずしも正室を最も強く愛するわけではないのである。 名家生まれの正室として相手の王室に華々しく嫁いでも、君主が既に側室(寵姫)を寵愛していたり特殊な性的嗜好(性機能不全・精神発達の障害)を持っていることが多く、王妃は散々な侮辱や冷遇を受けて自室に軟禁状態に置かれることも少なくなかった。王侯貴族のセックスについて本書はかなり詳しく書かれているが、国王は自身の権威を顕示する意味合いもあり正室以外にほぼ必ず『寵姫(ちょうき)』を持っていた。そして、王室の莫大な財産と権力の恩恵を受け取るのは正室ではなく寵姫であることが多く、寵姫やその追随者が正室の王妃に対してさまざまな謀略や嫌がらせを仕掛けてくるのである。廷臣や召使いのかなりの割合の人たちが、姫や王妃の身辺の不祥事を探ろうとする敵対派閥のスパイとして活動していた。王宮内部において本当に信頼できる相手を選び抜くのは至難であり、王妃が『政治権力・宮廷統制への野心』を抱けば敵対派閥から『不倫の告発』を受けて重罪に処せられる危険が常にあった。 中世〜近世(18世紀頃)における王室や名家のプリンセスは、ほぼ例外なく『不幸な結婚』を強いられたと言えるくらいの悲惨な結婚生活を送ることが多かった。元々、自分が好きでもない異国の王子の元に輿入れするわけであるが、更に最悪なことには相手のほうも自分を好きになってくれないことが多く、配偶者(異国の国王)からの劣悪な待遇あるいは無関心な対応を受けるリスクは極めて高い。嫁ぐ先の外国はプリンセスが自分の召使や友達、家臣を同行して国内に入ることを嫌ったため(自国内でプリンセスの国の宮廷派閥が強化されることを嫌うため)、誰も知り合いのいない外国でプリンセスは孤独で不安な生活を余儀なくされた。 配偶者の王子・国王からも夫婦生活にあって当然の愛情や思いやりを期待することは難しく、更に、王妃として独自に行使できる権力や財産もほとんど持たされることが無かったので、公的な身分は高くてもそれほど裕福な生活や贅沢な消費ができるとは限らなかった。その上、現代に至るイギリス王室や日本の皇室でもそうだが、プリンセスやクイーンには『完全に一人になれる時間(他者の視線を逃れられるプライベート)』がほとんどない。庶民にある『行動の自由』が認められない王宮の閉鎖的な環境と人間関係の中で、宮臣や召使いに見張られている息の詰まりそうな生活を送らなければならないのである。無論、近世以前の農民・庶民には絶えず戦争での徴兵(戦死)や飢饉での餓死、領主からの虐待・搾取の危険が切実なものとしてあったので、必ずしも庶民のほうが王族よりも幸福なわけではないのは勿論のことである。しかし、現代の先進国の庶民と中世・近世の王族であれば、現代の庶民のほうが相対的に幸福である可能性はかなり高いだろう。 広大な国家を統治する王族の一員であっても、『自分の部屋・王宮の敷地の一部』から一歩も外に出られない王妃や姫というのは少なくなかったし、国王の許可が無ければ『王室の財産』を自由に利用することはできず、寵姫(側室)が贅沢三昧な消費をして王妃の方には雀の涙の生活費しか与えられないということもざらにあった。王家一族のプリンセスやクイーンの日常生活に対して抱かれる通俗的なイメージ……広大で豪華な宮殿やハンサムで優しい王子さまと温かい家庭、優雅でおしゃれなドレスや服飾品、まばゆいばかりに輝く無数の宝石と宝飾品、何でも言うことを聞いてくれる忠実な召使い、贅沢な食事と華麗な芸術に囲まれた晩餐会・音楽会といったものの多くは近代以降に形成された幻想に近いものである。 豪華と贅沢を極めたドレスにどれだけ価値があるのか分からない大粒の宝石を身にまとい、多くの魅力的な愛人との濃厚な性生活を満喫したロシアの女帝エカテリーナ2世(1729-1796)のように、国家の絶対権力を掌握した女王(クイーン)たちを除いては、典型的な贅沢で優雅な女王の私生活、すべてが自分の思い通りに動かせる女王の日常というのは幻想であった。エカテリーナ2世も結婚した当初は不遇な実態のない夫婦生活を送っていたが、軍隊で強い影響力を持つ愛人のオルローフ兄弟を活用したクーデターによって、夫のピョートル3世(1728-1762)を殺害してロシアの政治権力を掌握した。ピョートル3世は、エリザヴェータ・ヴォロンツォヴァを愛人としており、エカテリーナに女性としての関心を示すことは無かったとされるが、仮にエカテリーナがクーデターを起こしていなければエカテリーナのほうが姦通罪などで告発され処刑される危険があった(どちらが相手を先に制圧するのかの時間勝負の側面があったが、愛人グリゴーリィー・オルローフをはじめとする軍隊の信任を得ていたエカテリーナのほうが元々有利ではあった)。 しかし、死ぬまで『性愛の充足』を求め続けた絶対権力者のエカテリーナ2世とて、豪勢なドレスや高価な宝石、化粧の技術を総動員して『自身の老化(性的魅力の低下)』と戦い続けなければならない悲しみと無縁ではなかった。エカテリーナ2世は死ぬ瞬間まで『性欲を持つ女性としての自分』を離れることができなかった女帝であるが、愛人の若い男性に対しては自分以外に好きな女性が別にできれば『莫大な金額になる婚礼の贈り物(生涯の生活に困らないだけの年金・領土・農奴など)』を送るほどの常識離れした寛容さを持った女性でもあった。 そして、自身の容貌(性的魅力)の衰退について自覚せざるを得ない晩年には『女帝としての自分の権力・財力の分け前を求める男性』はいても『自分そのものを愛してくれる男性』が最早いないことに気づき、表面的な享楽の背後に深い苦悩の時間を背負って過ごすことになる。かつてエカテリーナが本気で愛した逞しく優秀だった男たちも、自分と同じように年齢相応の男性として必然的に年老いていき、その内の何人かは自分よりも先にこの世を去った。エカテリーナ2世の人生の至福の時は、肉体的な魅力と政治的な野心が横溢する隻眼の将軍グリーゴリィー・ポチョムキンの激しい情愛と欲望を一身に受けていた時代だろう。エカテリーナ2世と有能な将軍ポチョムキンは性的パートナーとしてだけではなく、最も信頼できる政治的な同盟者(判断力・指導力に秀でた女帝と将軍)としても深く結びついていた。 エカテリーナ2世は東方世界に覇権を確立したポチョムキンの燃え盛るような欲望が自分の元から遠ざかると、ポチョムキンの魅力や実力には遠く及ばない若い美男子をベッドに招き地位や財産をばら撒くようになる。晩年にはエカテリーナ2世の卓越していた政治的な能力・知性も衰えてしまい、プラトン・ズーボフという政治的才覚の乏しい若くて尊大な愛人に宮廷政治をほぼ専横されてしまった。その頃には、かつての最愛の人であり強力な同盟者であったポチョムキンの、ズーボフをロシアの政治中枢から遠ざけるべしという助言も彼女の耳には届かなかった。エカテリーナ2世が死去すると、母エカテリーナ2世に対する妄想・憎悪の狂気に侵されたパーヴェル1世がロシア皇帝として戴冠することになるが、間もなくパーヴェル1世は家臣に暗殺されロシアの民衆はこの暴君の暗殺を黙認した。 王妃になった名家のプリンセスは黙って孤独なベッドで涙に濡れる日々を送っていたのかといえば、エカテリーナ2世のようにそうではない女性も多くいた(国王に愛されなかった大半の王妃は礼拝と裁縫、出産に没頭するような静かで淋しい人生を終えたのだけれど)。王妃は宮廷の官僚や軍人、芸術家、地方の領主の中から『形式上の結婚相手(政治ゲームの相手の国王)』ではなく『本当に好きな恋愛相手(容姿・性格・性愛・思いやりなどに優れた理想の相手)』を選び、お側付きの女官の協力を得て無数のアバンチュールを楽しんだが、そういった秘密の逢瀬(おうせ)は常に命がけのものであった。 特に、嫉妬深く自尊心の強い国王が相手の場合には、王妃と不倫をした相手の男性は徹底的に残酷かつ無慈悲な方法で処刑された。専制的なイングランド王のヘンリー8世(1491-1547)は、不倫をした5番目の王妃キャサリン・ハワードを斬首して、相手のフランシス・ディアラムの男性器を切除して絞首刑に処した。ロシアを恐怖政治で統治して政治経済を発展させたロマノフ王朝の初代皇帝・ピョートル大帝(1671-1725)も、王妃エウドキアと密通した青年将校のステファン・グレボフに火箸を用いた苛酷な拷問を行い、極寒の地で生きたまま串刺しにしてそのまま放置した。王妃エウドキアは、生涯にわたってそこから出ることの出来ない陰鬱なロシア正教の修道院に幽閉されることになった。 王族の婚姻には『どうせ幾ら愛したって所詮は浮気相手じゃない、正妻である自分のほうが安定感がある』というロジックは全く通用しない、イギリス・スペイン・フランス・ポルトガル・ロシアなどヨーロッパの王室において『寵姫』というのは人々に軽蔑される不倫相手などではなく、諸侯・家臣からも一目置かれる『公的な身分』として承認されており、日陰に隠れて後ろめたく国王と密会するような女性ではなかったのだから。王室や宮廷の家臣は『国王の血統(遺伝子)』を残すために、国王の愛妾を容認して王妃の愛人を禁止する傾向があったが、実際には各王家には複数回にわたって国王の血統と無関係な婚外子が入っていると本書では指摘している。 また、生殖能力のない王(真性包茎でセックスの遂行ができない王)や同性愛者の王(王妃に性的に興奮できない王)が『後継者を残すという責務』から解放されたいがために、王妃が自分の好みの愛人との子を残すことを黙認した事例についても収載されていて興味深い。心理的インポテンツや性的不能については、ルイ13世とアンヌ・ドートリッシュの夫妻、ルイ16世とマリー・アントワネットの夫妻について取り上げられているが、フランス革命でギロチンにかけられたことでも知られるマリー・アントワネットの婚姻とアクセル・フォン・フェルゼンとの恋愛については『第6章 権力と政治と情熱――18世紀ヨーロッパ』で詳しく説明されている。 ルイ16世(1754-1793)は美しい王妃のマリー・アントワネットのことを愛していたとも言われるが、マリー・アントワネットのほうはルイ16世の肥満した体型や冴えない外見、会話にエスプリが欠けており意志薄弱な性格を嫌っていたようである。ルイ16世は、真性包茎の手術を恐れたために結婚後7年間にわたってマリー・アントワネットと性交渉をすることが出来なかったが、マリー・アントワネットはその間に美貌と知性、ユーモアを併せ持つスウェーデン貴族のアクセル・フォン・フェルゼン伯爵と出会いそれまでの人生で経験したことが無かった情熱的な恋に落ちることになる。 絶対王政の支配を終焉させようとするフランス革命によってルイ16世とマリー・アントワネットは断頭台で処刑されることになるが、この時期には、ハプスブルク家出身というマリー・アントワネットの高貴な血統を生かせる人脈(オーストリア女帝の母マリア・テレジアや神聖ローマ帝国皇帝の兄ヨーゼフ2世)が殆ど無くなっていたので、諸外国の支援によってフランス革命の悲劇を回避することは不可能であった。貴族としての最後の覚悟を決めて毅然とした態度でギロチンに臨んだマリー・アントワネット、彼女を愛したアクセル・フォン・フェルゼン伯爵はその後も結婚することが無かったという。故国スウェーデンでフェルゼン伯爵は、政治的な出世を遂げて元帥の地位にまで上がったが、スウェーデン皇太子暗殺の疑惑をかけられて無数の暴徒に殴り殺されるという悲惨な末路を辿った。 宮廷で国王に隠れて王妃に求愛して性的関係を持つことは、一般には極めて危険なことであったが、国王が寛容・温厚であり『王妃に対する独占欲』を持っていない場合や『相手が統治権を掌握する女王(クイーン)』である場合には、処刑・迫害の危険はほとんど無かった。エカテリーナ2世と愛人との関係を見ても分かるように、『統治権を持つ女王』に寵愛される男性は女王とのアバンチュールや性愛の時間を『財産形成や立身出世の手段』へと変えていた。 極めて稀有な例として、本書ではスペイン王家のカルロス4世、王妃のマリア・ルイーサ、ルイーサの愛人のマヌエル・ゴドイの三角関係『地上の三位一体』について言及している。これは国王であるカルロス4世自身が、ルイーサの愛人のマヌエル・ゴドイと親密な友人となって妻マリアとの愛人関係を認め、貧乏貴族に過ぎなかったマヌエル・ゴドイがアルクディア公爵の地位と莫大な財産を得て『スペイン一の大貴族』になったという面白いエピソードである。 そして、ヨーロッパ王家にとってもっとも重要だったのは『生物学的な遺伝的継承性(DNAの問題)』などではなく『王室と諸外国が承認する後継者の確立』であった。そのため、王子がどんなに国王に似ていなくて(国王と王妃の性交渉が何年間もなくて)身近な廷臣や芸術家に瓜二つの容貌をしていても『後継者が断絶する恐怖(王政の正統性の崩壊と宮廷の混乱)』を考えれば、国王はその婚外子を自分の実子として承認するという選択しか出来なかったのである。 近代以前のヨーロッパ世界には、(女性の)姦通を処罰するキリスト教の戒律と男尊女卑の社会通念が根強く残っており、国王が寵姫・愛人を持つことは公認されても、王妃がおおっぴらに愛人を抱えることは強い非難を浴びて断罪されることも多かった。しかし、屈辱と忍耐の日々を耐える王妃が生涯にわたって不幸であり続けたのかといえば必ずしもそうではない。自分を邪険にする国王が自分よりも先に死ぬか、国家の統治権が王妃の側にあるかすれば、国家の主権者として絶大な権力と財力を握る『女王(Queen)』になることができ、国家に君臨して自由に好きな異性と恋愛を楽しむことができた。しかし、それでもなお王室に嫁いだ王妃や皇太子妃が幸福であるかと言われればかなり疑問であるし、現代でも自分が王室・皇室の一員になりたいという人は極めて稀なのではないかと思う。 本書では、イギリス連合王国のチャールズ王太子と結婚したダイアナ元妃の人生と恋愛についても『第9章 ダイアナ――恋多きプリンセス』で取り上げられているが、彼女が不安定な精神状態の中で望まないかたちで『恋多きプリンセス』になってしまった経緯を振り返ると胸が痛むものがある。 本書の後書きによると、17世紀のヨーロッパで最大の政治権力を保持した女帝エリザベス1世は『王冠を戴くというのは、それを見ている人にとっては素晴らしいことのようです。けれども、それを戴く人にはほとんど喜びをもたらしません』と語り、ナポレオンから離縁されたジョゼフィーヌは美しく輝くダイヤモンド・ルビー・サファイア・エメラルドなどの高価な宝石のコレクションは『社会的な体面・格式の要請』から身に付けるものであって、そういった宝石そのものが個人の幸福をもたらすことは無いと富裕の幻想性を嘆いたそうだが……。全世界が見つめる中で政治権力の舞台に立っていたかつてのヨーロッパの王族たち、本書に収められた無数の王族・王妃のエピソードを読みながら『人間個人の幸福』と『社会的な役割』のズレに思いを馳せることになったのだが、あるいはその苦痛なズレを埋め合わせるために多くの女王たちは危険を顧みず『女性としての性愛・友愛の対象』を求めていったのだろうか。 ■関連URI ロシアの女帝エカテリーナ2世の波乱万丈の生涯とエルミタージュの膨大なコレクション 個人主義的なプライバシーの尊重と結婚制度を巡る認識の多様化:コミュニティの社会的圧力の観点から 近代的な結婚観に基づく“目的論的な家族像”の衰退と個人の自由選択に任された“結婚・出産・育児”の問題 男性原理と女性原理の二元論(dualism)が相対化する現代社会:C.G.ユングの無意識の二面性 ■書籍紹介 |
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佐藤賢一『小説フランス革命U バスティーユの陥落』の書評2:人権宣言と憲法制定で紛糾する議会
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カウンセリングルーム:Es Discov... 2009/05/30 14:53 |
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カウンセリングルーム:Es Discov... 2009/10/11 06:52 |
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カウンセリングルーム:Es Discov... 2009/11/05 16:57 |
藤本ひとみ『皇帝ナポレオン 下』の書評:“成り上がりの皇帝ナポレオン”が抱えた野心・孤独・愛国
コルシカ島出身のナポレオン・ボナパルト(1769-1821)は、フランス革命の『反王政・反封建主義』の理想を掲げて幾多の戦争を戦いながら、自分自身が皇帝に戴冠してレジオン・ドヌール勲章を用いた『擬似的な貴族制度(上流支配階層)』を作り上げるという複雑に矛盾した存在であった。1808年には『帝政貴族』を任命して貴族制の再興を図っており、皇帝となったナポレオンは自らが否定したブルボン王家と同じような『貴族階級による自身の権威づけ・取り巻きの形成』を行うことになった。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2010/01/01 15:14 |
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