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help リーダーに追加 RSS “社会適応”と“個性教育”を目的とする学校教育の問題点2:自己アイデンティティと思春期挫折症候群

<<   作成日時 : 2008/10/01 00:47   >>

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『テストの成績・勉強への適性』として反映される学力の高低に偏重した学歴社会の問題点は、『学校教育における価値判断の一元化(成績・学力に偏った評価)』が起こりやすいということであり、勉強についていけなくなった生徒が必要以上に劣等コンプレックスを抱いたり、逸脱行動や不適応状態に陥りやすいということである。いじめ・非行・暴力などの逸脱行動や不登校・ひきこもりなどの不適応状態の原因は、家庭環境の問題や友人関係、本人の性格傾向を含めてさまざまではあるが、『授業・勉強への意欲を全面的に喪失すること』によって学校秩序からの逸脱や通学できない不適応のリスクはいっそう高まりやすくなる。

義務教育段階における学校教育の目的は、毎日の授業を通して基礎知識を学ばせる『勉強』、そして、多様なパーソナリティを持つ生徒から構成される集団生活を経験して『集団規律・社会生活の雛形・人間関係の築き方』を学ぶということである。しかし、『読み・書き・計算』の基礎レベルを超えて授業が少しずつ難しくなると、学生生活の本業である『勉強・授業』についていけなくなり、勉強に面白さややり甲斐を感じられない生徒が必然的に増えてくることになる。しかし、現代の日本では高校進学率が90%以上になっているので、勉強が苦手だったりまったく面白くないと思っている生徒でもその大半が(大学進学を目標とする)高校の普通科に進学することになる。形式的にでも高校や大学を卒業しないと就職面での不利が大きくなるので、大多数の生徒はそれなりに努力して勉強することになるが、生徒の学力水準・目的意識のバラツキが大きい学校環境では逸脱行動や不適応の問題が起こりやすくなる。

どのくらいの発達段階で子どもの能力や適性が明らかになってくるのかの判断は難しいが、仮に『有効な個性教育』というものがあるのであれば、生徒がどうしても勉強に適応できない時に『学力競争以外の活動のステージ』の存在を示してあげること、『社会における有用な職業分野の多様性(勉強・学歴以外の能力・適性がモノをいう仕事)』に気づかせてあげることが大切になるのではないかと思う。学校教育の勉強(試験)に上手く適応できても、社会生活の職業に上手く適応できない人がいるように、その反対に、職業活動にはそれほど努力せずに適応できても、学校の勉強(試験)だけにはなかなか適応できないという人もいる。『学歴・学力』というものも職業選択や社会適応のための有効な手段の一つに過ぎないのだから、それ以外の自分の個性(能力・適性)を生かして自分がやりたいと思える職業(仕事)を見つけたり、魅力的な人間関係を作り上げられれば人生の幸福や生き甲斐を実感することは十分に可能なのである。

反対に、小中学生くらいの発達段階まで優秀な学業成績を上げていて学校への適応も良かった生徒が、地域の秀才が集まる進学校の高校に進学してから成績が伸び悩み学業に挫折してしまうという問題もある。子どもの頃から成績優秀で自他ともに認める優等生としての自己アイデンティティを持っていた学生が、学校生活の途中で学業不振に陥ると『思春期挫折症候群(青年期挫折症候群)』という独特のアイデンティティ拡散によって社会適応が著しく悪くなることがある。これは、近代的な学歴社会の価値観を全面的に受け容れて『特別なエリートとしての人生』を目指して努力していた学生の心理的挫折の問題であるが、この場合には学校生活の早い段階で学業を放棄する学生とは異なるベクトルで『平凡さ(凡庸さ)からの逃避』が起こり、一般的な職業選択や自己アイデンティティの確立が困難になってくる。

『自分には勉強ができないという自己認識』によって学力面の劣等コンプレックスが形成されるが、早い段階で学力競争(学歴社会の価値観)から降りた生徒とある程度の学力競争を勝ち抜いて途中で挫折した生徒とでは、その劣等コンプレックスや不適応の強度が必然的に異なってきやすい。思春期挫折症候群には『進学面の挫折』『就業面の挫折』という二つの類型を想定することができるが、『階層的な学歴社会の価値観(学歴コンプレックス)』を意識し過ぎていたり、『学力・知性において特別な存在でありたいというこだわり(自尊心)』が過度に職業選択に影響していたりすると社会適応が困難になり、挫折型のひきこもりや就業意志の喪失(ニート)といった問題へと遷延することもある。

思春期挫折症候群によって職業選択や社会適応に悩んでいる人は、『特別な存在でありたいという欲求』『人並みな仕事をしなければならないという焦燥感』との葛藤を抱えている人が多いが、その根本的対処としては学歴コンプレックスを克服するためにもう一度勉強をやり直すか、過剰な自尊心を調整して“現在の自分”が選択可能な中で最善の仕事を選ぶかということになってくるだろう。しかし、希望する一流大学を卒業しても就業面での挫折(職場適応の問題)によって『特別な存在でありたいとする個性化の欲求』に苦しめられる人は少なからずいるので、最終的には現実の職業選択と人間関係の中で自分の自己アイデンティティとの折り合いをつけていくしかないと思われる。他者とは異なる特別な自己アイデンティティを獲得するというのは、実際には『学歴・能力の相対的な高低』よりも『職業アイデンティティの受容度・満足度』と深く相関している問題なので、思春期挫折症候群の苦悩というのは自分で自分の評価や可能性を過度に貶めながらも、自尊心(プライド)と現実状況のバランスを取ることを拒絶する点にある。

一見すると、『他人と異なる特別な存在でありたいという欲求』『他人と同じようでありたいという欲求』とは対立的な相容れない欲求のように思えるが、学校教育を経由する精神発達過程では『他者から抜きん出た特別な存在になろうとし、一定の能力・成績の限界に突き当たり、人並みな立場からは落ちこぼれたくない』という自己アイデンティティにまつわる欲求の変遷が見られることが少なくない。大多数の人は学校教育や社会生活のどこかの時点で『自分の個性や能力の限界』に突き当たって、『特別な自己アイデンティティ(自尊心の強化)』を追求することにある程度妥協し、『標準的な自己アイデンティティ(自尊心の調整)』という方向に自己規定のベクトルを転換することになる。

自尊心や個性志向が強くて『特別な自己アイデンティティ』を粘り強く追い求める人は、モラトリアムが延長されやすくなり職業選択が困難になることが多いが、こういった自尊心の肥大が個性教育の弊害として語られることもある。子どもが個性的であろうとする原点を振り返ってみると、『子ども時代の夢・理想の職業』などに行き当たるが、自分と他人の能力・適性を客観的に比較することがない子ども時代には『芸能人・アーティスト(歌手)・プロスポーツ選手・メダリスト・医師・弁護士・学校の先生・お嫁さん・お金持ち(億万長者)・社長・総理大臣』など具体的な職業から抽象的な夢までさまざまな理想が語られる。こういった『子どもの夢(理想の職業)』には、親の価値観やマスメディアの情報が影響していることが多いが、子どもに『無限の可能性』があるという前提に立って夢を書かせると、『平凡ではない特別な自分』『平凡ではない優秀な自分』が反映されやすい。

平凡ではない特別な自分は、大多数の人が持っていない『特殊な能力・魅力』を生かす職業と結びつき、平凡ではない優秀な自分は、ほとんどの人が途中で脱落する『学歴社会の上位者』が志向する職業キャリアと結びつくわけだが、こういった『何ものにも成り得る子どもの潜在的可能性』というのが個性尊重の学校教育の背景にはある。すべての子どもに無限の可能性と潜在的な可能性があるというのは、現実的な論拠というよりも抽象的な理念であるが、この抽象的理念は民主主義によって運営される近代社会の成立と深く結びついているので、個性教育そのものを否定することは近代社会(自由社会)ではできない。これは、『自分はこの社会において何ものであるか?』という自己アイデンティティの確立を巡る苦悩が近代社会の成立と同時に生まれたこととも関係しているが、アメリカ型の大衆消費社会の登場によって更に自己アイデンティティの問題は切実なものになった。

生まれながらに自分が何ものであるかが規定される前近代社会(封建主義の身分制社会)では、『職業選択の自由・個性的に生きる可能性』がほとんど無い代わりに、『自己アイデンティティの苦悩』もほとんど無かったということである。そして、前近代的な身分・階級・血統・門地が全面的に否定され、個人が単なる消費者として大衆(群衆)に埋もれる『大衆消費社会』では自分が他者とは異なる存在であることを示すことが更に困難になってくる。近代社会に生きる個人が意欲的に社会生活を営み自己肯定感を得るためには、『社会適応能力の獲得』に加えて『自己アイデンティティの確立』が必要であり、大衆消費社会では『消費による一時的アイデンティティ』『生産(職業)による継続的アイデンティティ』という二つの手段によって他者とは異なる自己存在の固有性を証明しようとすることになる。

ブランド品で着飾ったり高級家具を購入してインテリアを整えたり、高級外車に乗ったり、華やかなライフスタイルを演出することには『封建的な身分制度』に代わる『経済的なステータス性』によって自己をアイデンティファイしようとする欲求があり、セレブやヒルズ族といった『庶民との差異』を強調する仮想的アイデンティティもその一種であると言える。偏差値の高い一流大学に入学して良い大企業に入社するという学歴社会の価値観は、生産(職業)による自己アイデンティティと相関しているが、相対的に高い所得を得ることで生産−消費による自己アイデンティティの確立ということが意図されているとも考えることができる。現代の民主主義社会では『機会の平等』を前提とする個性教育が競争原理に支えられて展開しているが、その『他者と異なる特別な存在』になりたいとする個性化の欲求は市場経済によって財・サービスが交換される大衆消費社会の仕組みとも結びついているのである。

学校教育には『標準的な生徒の育成を目指す規律訓練(集団適応)』『個性的な生徒の育成を目指す個性教育(差異化の促進)』との二つの側面があるが、自己と他者との差異によって生まれる『個性』に固執し過ぎると、『優越感−劣等感』に束縛されて『自分固有の幸福感』を見失う恐れがでてくる。個性尊重や自己実現に象徴される近代人の自己アイデンティティは、『市場経済の消費−生産の仕組み』や『職業による自尊心』と結びついているが、そういった『他者との比較(優劣)』によって形成される価値は『自分固有の幸福感』と直結したものではない。

『他人と異なる特別な存在であること』は幸福な状況と結びつくこともあれば不幸な状況と結びつくこともあるし、その人にしか出来ないような『個性的な仕事(特別な仕事)』というのは精神的ストレスが大きかったり孤独な創作の苦しみがあったり、絶頂からの挫折のリスクが大きかったりもする。『他人と同じ平凡な存在であること』によって、かえって幸福な時間をより長く安定して楽しめることもあるし、仕事や職業だけが人生のすべてではないので『家庭生活・人間関係・趣味の活動』のほうを優先して充実させたいという人も少なくないだろう。

個性教育や自己実現(個性化)の一つの問題点は、『個性的であること(他者と異なる際立った特徴を持つこと)』がその後の幸福な充足した人生を歩むことを約束するかのような錯覚を抱かせる点であり、『平凡・凡庸であることの価値』を不当に低く見積もってしまうことではないかと思う。真に個性的な人生を歩む個人の多くは、『後天的な努力』だけでは追いつかない『先天的な適性・センス』のようなものに支えられていることが多いが、歴史に名を刻むような特殊な個性・才能を持つ者の多くが、人生全体で見ると必ずしも幸福そうではないことは少なくない。

更に言えば、さまざまな変化や困難に晒される人生を平凡に適応して生き抜くということだけでも並大抵の課題ではないし、前回の記事で書いたように、『自己認識による個性』という観点では、すべての個人が必然的にそれぞれ『自分固有の人生』を歩むほかはない個性的な存在となるのである。そこにおいて最も重要なのは、個性的(特別)であるか平均的(凡庸)であるかということではなく、自分固有の人生を受容して満足できているか、これから先、後悔の無い人生を歩もうとする主体的意志を持っているか否かということになるだろう。

『他者との優劣や豊かさの相対比較』という位相ではどんなに優秀な才能を持ち人生全体が恵まれているような人物であっても、上位階層へと駆け上がろうとするどこかのレベルで限界・挫折に突き当たることになるが、最終的に人間の人生の幸福度や充実度を図るものさしは『自分の主体的な人生のプロセス(やりたいことができているか・日々が充実しているか)』『パーソナルな人間関係のネットワーク(自分が魅力を感じ大切に思える他者と出会えているか)』の中に創られるものではないかと思う。






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