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『前回の記事』の続きですが、福田内閣が打ち出している予算規模の大きな景気対策は、景気を浮揚させる『景気対策』というよりも生活に困窮している労働者層を救済する『経済生活支援(社会保障)』というべきものです。そのため、事業総額745億円にものぼる漁業関係者への原油高対策にしても『一時的な支援策』であるという認識を持つことが大切になってきます。福田内閣のこうした景気対策・経済政策が『バラマキ政策』であるか否かという論点はそれほど重要ではないと思いますが、自力で継続困難な事業や産業に『お金』だけを与えるという経済対策が日本経済の成長や景気浮揚に有効でないことだけは確かでしょう。 一生懸命に働いているのに生活に困っている人たちがいれば、国が出来る範囲で生活支援・経済援助するのが当然ではないかという意見にも一定の正当性はあると思いますが、短期的な人道的配慮としては正しくても、長期的スパンで考えると抜本的な構造改革と平行する経済政策を実施しなければ最終的には行き詰まってしまいます。財政再建と財政規律を無視したバラマキ型の財政運営を今後の日本が続けていくことはできないし、ケインズ主義的な公共事業による景気対策には『一時的な雇用増』の効果はあっても『経済全体の成長』を推進する力はありません。利益や税収を生まない公共事業は債務残高の増加を招いて必然的に財政を圧迫し、各種の増税となって国民負担を大きくしてしまうという副作用もあります。新規産業や経済成長による雇用増加が見込めなければ、一時的に公共事業によって雇用を創出する必要性はありますが、本来的に需要・効用のないところに財政政策で仕事を生み出す方法だけでは限界があります。 国家の財政政策によって『市場の需給』にある程度干渉することはできても、資本主義的な『市場の拡大』や『新技術の開発』を促進することはほぼ絶望的です。バブル崩壊期につぎ込んだ100兆円以上とも言われる公的資金は、日本経済を牽引する新しい雇用や産業分野を創造することができず、国家財政に莫大な債務を残しただけでした。成熟経済において持続的な経済成長を実現することは極めて困難なことですが、経済成長によってしか『財政再建』と『景気回復』の両立を実現できないというのもまた厳しい現実です。経済成長や市場原理を最優先する思想はよく優勝劣敗の新自由主義だとか市場原理主義だとか批判的に言われたりしますが、厳密には市場原理が不完全であるからこそ、ゆったりと安定した循環型の経済生活ができないのだとも言えます。 市場原理の需給原則のみが完全に機能していて、そこに一切の外部要因が加わらないのだとしたら、恐らく現在のような長時間労働や過労、仕事における精神的ストレスの問題は起きていなかったのではないかと予測されます。市場の競争原理があるから仕事がきつくて労働時間が長くなるのではなく、資本主義的な市場の拡大と技術の革新があるからこそ仕事や競争の手を緩めることができないのです。市場経済というのは需要と供給のバランスによって価格が決定されるというシンプルな経済活動の場のことであり、仮に新商品や新技術が全く生まれず『生活に必要なもの』と『現時点で存在する高級品や嗜好品・ハイテク製品』しか市場に存在しないという静的モデルが成立するのであれば、現代社会の生産力を持ってすれば『社会に必要な商品・サービス』を作り出すことは極めて簡単なことです。 そういった外部要因のない市場では、『価格を下げれば売れる』という価格メカニズムでしか商品の需要(売れ行き)は左右されないということになりますから、企業は『同一の商品を大量生産する』ことしか仕事がなくなり、一種の社会主義経済へと到達することになるでしょう。カール・マルクスやジョン・メイナード・ケインズ、ヨゼフ・シュンペーターは『資本主義経済の長期的停滞』を予測していましたが、現時点の歴史的推移を見る限りはこの大経済学者たちの予測は外れています。マルクスらが資本主義経済の長期的停滞を予測した大きな理由は、経済が極めて高度に発展すれば大半の商品を消費者が所有できるようになり、『新たに欲しいと思える商品やサービスが少なくなるから』というもので、消費が停滞すれば企業の利益率や資本蓄積も減少していくという予測でした。 ケインズが政府の財政政策による公共事業を主張した背景の一つも、高度に発達した先進資本主義国では『消費者の需要を喚起できる商品が少なくなるから』という理由があったと思われますが、ケインズもシュンペーターも『国民が一定の物理的豊かさに到達すれば、それ以上の消費をするための厳しい労働をしたいとは思わなくなるだろう』という予見が働いていました。市場経済の需給原則のみを参照する限りにおいては、ケインズやシュンペーターの『一定の需要が満たされれば、それ以上の供給をしても消費欲求が起きなくなり、資本主義経済の成長は止まる』という予測は正しいようにも思えるのですが、ここにはグローバルな市場環境と商品市場の絶えざる変化という視点が欠落しています。市場に供給される商品が『変わり映えのしない同じような商品』ばかりであれば、資本主義経済は恐らくそう長い時間を待たずに成長を停止すると予測できます。 つまり、人々がそれ以上の商品を消費しようとはしなくなり、その結果として労働意欲が大幅に減退し、企業活動における投資と利益の規模も縮小するという過去の経済学者の予測は、『1970年代に冷蔵庫・洗濯機・掃除機・テレビ・自動車・住宅を買ったらそれで十分満足して、それ以上の大きな消費欲求はなかなか起こらないので、労働者は余り熱心には働かなくなる』といった静的な市場経済の前提に基づいています。確かに何十年間もモデルチェンジしない自動車、デザインや機能が変わらないテレビや冷蔵庫しか市場になければ、労働者は一通りの生活必需品と高級品を手に入れたらそれ以上は熱心に働こうとはしないかもしれませんが、実際には『市場経済に投入される商品・サービスの種類とスペック』は日々刻々と変化し続けて消費者の購買欲求を煽っているわけです。労働者が短時間労働でマイペースにのんびり働くためには、何十年間も技術や知識が進歩せず、新しい商品やサービス、安価な外国の人材(労働者・技術者)が市場にほとんど投入されないという前提がなければなりません。 ずっとアナログのブラウン管テレビだけしか市場に投入されないのであれば、いつかは『テレビの消費の限界』に到達して『テレビが壊れた時に買い換えるという需要』しかなくなってくるでしょうが、実際には液晶テレビやプラズマテレビ、有機ディスプレイなどの技術革新が起こることによって『新たなテレビの需要』が喚起されました。『ここまで買い揃えたから、暫くは基本的な生活物資だけしか必要ない』というような心境にはなかなかなれないところに、消費社会文明としての資本主義経済の本質があり、次々と『欲しい新商品・新技術』を開発することによって人々の生産と消費の手を休めないようにしているという経済的な過活動の傾向があります。生産拠点の海外移転や労働市場の規制緩和などによって、国内の人件費の高い労働者が外国の人件費の安い労働者に置き換えられるという人材のグローバルな流動性による失業リスクも生まれてきます。 逆に言えば、これ以上の科学技術の進歩や発達は望めないという究極の地点にまで人類社会が到達して途上国と先進国のコスト格差がなくなれば、『経済活動のスピードの減速・消費欲求の恒常的な低下』が起こって、マイペースでのんびりと働いて生活するというワーク・ライフバランスが成立するかもしれませんが、そういった未来予測は現状ではSF以上のものとして受け取ることは難しいのです。同一製品を大量生産すれば生産コストは大幅に減少して労働者の負担も低下しますが、『他社・外国企業から新たな技術や商品が投下されるという前提』がある限り、安閑として同じ商品だけを規格大量生産し続けるわけにはいきませんし、商品のラインナップに何年も変化がなければ市場競争に敗れて撤退を余儀なくされます。 現代社会の景気悪化や労働問題では『労働生産性の高低』が問題にされますが、本質的には『生産される物量』が不足しているわけではないので、生存に必要な商品の供給では満足できない『他者との差異・新たな技術の体験』を欲望する『消費者の欲望』にこそ経済問題の原因の多くがあると言えます。安定した景気状況を維持できず、絶えず経済成長を目指さなければならない原因とはシンプルに言えば、『新規性・革新性を追求する消費者の欲望』にあるわけで、いくら数量的な生産力そのものが拡大しても消費者の欲望(他者の欲求を欲求すること)に究極的な満足がない以上、企業間の商品開発競争は終わりを迎えることがないのです。 端的には、労働者・科学技術の生産力という『量』の問題なのではなくて、消費者をいかにして満足させられるのかという『質』の問題なので、ここまでたくさん生産すれば当面は大丈夫だろうというようなターニングポイントというのは企業にはありません。なぜ、現代社会はこんなに生産量が拡大して技術や知識が進歩しているのに、労働環境そのものが劇的に改善されず時間的にも余裕を持てないのだろうかという疑問がありますが、その疑問は『消費者の欲望の質・強度』に関わる問題であり、生産者・サービス提供者側の努力だけでは解決できない疑問なのだと考えられます。 現代社会の過剰な生産力をもってすれば、休みが多くて労働時間が短いもっと余裕のあるワークスタイル(労働形態)を実現できるはずだというスローライフの意見は頻繁に出されますが、国内の商品市場と労働市場に『複数の外部要因』が存在して市場環境が絶えず変化する限りは、完全なスローライフを実現することはおよそ不可能なのです。『この豊かさのレベルで満足だ・この商品を買えば満足だ』という一休みできる休息地点を作らず、絶えず資本の拡張を目指して運動を進めていくのが資本主義の最大の特徴であり、資本主義社会における市場経済というのは『需給原則』以上に『技術革新(イノベーション)』が重要な要素となっています。『決められた商品群』の中で需給原則が働くだけというシンプルな市場原理主義であれば、人々は価格メカニズムによって消費行動を判断するだけですから、現在ほど忙しくハードワークをしなくても良くなるでしょうが、そういった静的・閉鎖的な市場経済は中世社会の段階の経済活動の仕組みです。 現在のグローバル経済は動的・開放的という特徴を持つので、『終わりのない競争原理(技術開発と商品開発と人的コストによる競争)』から逃れることができず、『同一の製品』を大量に作り続けているだけの企業は他社の新商品との競争に敗れて経営を維持できなくなります。現代社会のグローバル経済は『外国の企業・労働者』と『技術革新(イノベーション)』という二つの大きな外部要因を持っていますから、国民の豊かな生活水準を現状のまま維持するためには『一定の経済成長』を維持するしか方法はないということになります。生活水準や所得水準を格段に落としても構わないというコンセンサスが得られれば、経済成長をある程度放棄して現状維持型の経済に移行するという選択もありますが、現状を維持するだけでも世界経済との競争に遅れを取らない程度の一定の経済成長が必要なので、過労のない経済生活を謳歌するという方向にはいかないかもしれません。 福田政権のバラマキと批判される向きがある経済・財政政策も『一時的な経済生活支援・国民保護』としては役立つものですが、本格的な景気対策を推進するためには経済成長を実現することが必要となるでしょう。保護主義や産業政策によって閉鎖的な国内市場と労働環境を守るという方法もありますが、経済の相互依存性や日本経済の外需依存性が高まっている現状では、グローバル経済の外圧や貿易自由化などの要請に耐え続けて日本市場だけを外国市場の動向から切り離すことは極めて困難だと思われます。 経済成長は『技術革新(イノベーション)による新商品開発』と『市場(マーケット)・消費の拡大』によって実現するものであり、グローバルな産業構造の変革(知識経済・技術経営への移行)を見据えた経済成長のための国家戦略と企業戦略を練り直さなければならないと考えます。現在、日本が直面している景気後退局面は、雇用や設備、不動産に対する過剰投資が見られないので、1990年代のバブル崩壊時の景気悪化とは比較にならないものであり、アメリカ・アジア・欧州の景気回復と連動して外需が自動的に回復する可能性は高いと言えます。しかし、依然として国内需要の低迷が続いているので、規制緩和・産業構造の改革・雇用対策・安易な増税の抑制などの対処は続けていく必要があるのではないかと思います。 ■関連URI なぜ、資本主義社会では労働者のスローライフが実現しないのか?2:持続的成長を義務付けられた経済機構 総中流社会と格差社会の違いとは何だったのか?:所得の再分配・機会の平等・労働意欲・セーフティネット トニー・フィッツパトリック『自由と保障 ベーシック・インカム論争』の書評2:未来の社会保障の論点 マイケル・J・モーブッシン『投資の科学』の書評2:学際的研究による株式市場の予測とラプラスの悪魔 ■書籍紹介 カリスマ受験講師細野真宏の経済のニュースがよくわかる本 日本経済編 小学館 細野 真宏 ユーザレビュー: 分かりやすいですとて ... 中高生からわかる入門 ... 最高の経済入門書 数 ...Amazonアソシエイト by ウェブリブログ |
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ロシアとグルジアの南オセチア自治州を巡る対立とアメリカの世界覇権の衰退:石油利権とロシア経済の構造
停戦に合意した後もロシア軍がグルジア領内からなかなか撤退する動きを見せない。8月12日にロシアのメドベージェフ大統領が署名した6項目の『停戦・和平合意案』では、ロシアに『追加的安全措置』を取ることが認められていると報道されているが詳細は公開されていない。いずれにしても、ロシア軍はこの追加的安全措置の条項を根拠にして南オセチア自治州近郊の『暫定的安全地帯』に小規模なロシア軍を置いて情勢を監視するとフランスのサルコジ大統領に伝えている。グルジア近郊に拠点を残したいロシアと完全撤退を要求する欧米... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2008/08/22 08:25 |
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