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zoom RSS 不合理な人間を前提にする行動経済学と“利得・損失・リスク”に対する曖昧な価値判断

<<   作成日時 : 2008/08/22 14:15   >>

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経済学の前提には、完全情報下において合理的に自己利益を最大化しようとする『ホモ・エコノミクス(経済人)』がありますが、実際の人間は経済学が想定するほどに合理的な利害判断をするわけではありません。需給均衡の市場を取り扱う新古典派経済学では人間の合理的判断の前提を疑うことがそもそもなく、『人間の感情』よりも『結果としての効用』を重視します。しかし、損得の絡む意志決定や消費者の購買行動には、合理的な経済理論で説明できない不合理な行動が多く見られ、人間の意志決定や経済行動にはさまざまな認知的・感情的バイアスがかかっています。

“商品の種類が多いほうが顧客は満足する”といった常識的な考え方も、顧客が選びきれないほどに種類(バリエーション)を増やしすぎると満足度が低下するという『選択のパラドックス』が起こります。売り場に陳列する商品のアイテム数さえ充実していれば、後は顧客が自分で気に入った商品を見つけて買ってくれるはずという販売戦略は、『当該商品への興味の強い顧客・商品知識を十分に持っている顧客』には通用しますが、『とりあえず必要だから買いに来たという顧客』には通用せず選択のパラドックスによって買わない人が増えてきます。『欲しいと思う商品・商品の価値の判断基準』が決まっている顧客でないと、無闇やたらに商品の数を増やしてもどれが欲しいか選びきれなくなり逆に商品が売れにくくなったりします。それほどその商品に強い興味関心がないけれど、とりあえず買いたいという顧客の場合には、店員が接客業務を通じて選択肢を敢えて絞ってあげたほうが売上が上がったりします。

とりあえず電話とメールができれば良いということで携帯電話を買いに来た人だったり、とりあえず視力が上がれば良いという動機でメガネを買いに来た人だったりする場合には、『ケータイ・メガネフレームのラインナップの多さ』そのものはそれほど大きな魅力にならず、店員が接客してその人のニーズや好みに合った商品を『選びやすい数(3〜5個くらい)』にまで絞って上げた方が売れやすくなることがあります。普段、洋服にそれほど興味がない人がちょっとお洒落をしたいと思って洋服のショップに行く時も、アイテム数が余りに多いと逆に選びきれずに結局買わないということは多いと思いますが、そういった時でも友達や店員と話しながら選択肢を絞ると買う洋服を選択しやすくなります。反対に、自分が商品知識を豊富にもっているものや興味関心をもっているものに対しては、アイテム数が多ければ多いほど魅力を感じやすくなりますし、極端にアイテム数が少ないお店だと『自分の好きなものを選んだという実感』が起きにくくなって売上が下がることがあります。

ホモ・エコノミクスのように『利己主義・合理性による利益最大化』のみで意志決定・選択行動(消費行動)が予測できる個人は極めて稀であり、人間は『客観的な損得』よりも『感情的な判断』や『認知的な特性(バイアス)』の影響をより強く受けていると考えられています。現実の人間の経済行動や意志決定には『損得』と同等に『感情』が作用していますが、『感情・認知の働き』と『行動』との相関を研究する学問として行動経済学があります。現在の行動経済学は広義の脳科学の知見に科学的根拠を求めることもありますが、認知心理学(認知科学)をはじめとするニューロ・サイエンス(神経科学)との結びつきも強くなっています。

『なぜ、人間がそのような行動をするのか?』という問いかけに対して、行動主義心理学(行動科学)では、古典的条件づけ(生理機構の関与する条件反射)やオペラント条件づけ(報酬と罰の関与する行動強化)、学習理論によって答えようとしました。しかし、行動主義心理学では『行動の発現・頻度』が主な研究対象となっており、『判断(意志決定)の内容・不合理な行動と感情の相関』については余り関心を払っていませんでした。人間は自分の利益を最大化して損失を最小化しようとするという行動原則は、一見すると『幸福追求の普遍的な行動原則』のようにも思えますが、厳密には『量的な利益』『質的な幸福』との間にはかなり大きな違いがあります。

そもそも、私たちは数量的に測定できる『利益』と『損失』についてさえも合理的な感情を抱くことができず、勝間和代『お金は銀行に預けるな』の書評で触れたように、『同額の利益による満足』が『同額の損失による不満』よりも小さくなるという一般的な認知傾向を持っています。『1万円を損する不満』は『1万円を得する喜び』よりも2〜3倍大きいので、大半の人はリスクのある経済活動・投資行動に消極的になりますが、その感情的な反応によって『得をする場面』と『損をする場面』とでは自ずから行動選択が変わってきます。ダニエル・カーネマンエイモス・トヴァスキー『プロスペクト理論』は人間が利得と損失をどのように認知するのかを実験的に検証した理論ですが、プロスペクト理論の価値関数では『損失回避(損だけは避けたい)』の傾向が顕著にでています。

その一方で、人間は手元のお金が増える場面では『リスク回避的』に行動し、手元のお金が減る場面では『リスク追求的』に行動することが分かっており、利益が増えるときには『利益の確実性を利益の最大値よりも優先』、損失を蒙るときには『損失の最小値を損失の確実性よりも優先』という判断をしやすくなります。自己資金ではないお金を他人から与えられている場合でも『利益確保・損失回避の傾向』には変化が見られず、利益を増やそうとするケースよりも、損失を減らそうとするケースのほうがより大きなリスクを取りやすくなります。

ギャンブルをする人が負けが込んで借金をすればするほどやめられなくなる現象にも、損失を減らすためにリスクを追求しやすくなる心理が関係しているかもしれませんが、ギャンブルやリスク投資では『勝ち逃げ(リスク回避)』『損失の補填(リスク追求)』の行動が起こりやすくなるので注意が必要です。株式の短期投資やデイトレードで『損切り』ができない心理も典型的な損失回避ですが、短期的な損失回避が長期的な損失拡大につながるという別のリスクもあります。普段大金を手にすることがない人が、大きな金額を取り扱うと『金銭感覚が麻痺する』と言われたりしますが、プロスペクト理論の価値関数でも金額が大きくなればなるほど満足・不満の感度が鈍くなるという『感応度逓減性(かんのうどていげんせい)』が指摘されています。

感応度逓減性は、カール・メンガー、ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ、レオン・ワルラスが発見した経済学の『限界効用逓減の法則』とも相関するような感情の働きであり、金額が極端に大きくなると利得と損失の効用(喜び・苦痛)は一般に小さくなります。1億円持っている人が50万円増えたり減ったりしてもほとんど効用がありませんが、100万円しか持っていない人が50万円増えたり減ったりすればその効用は非常に大きくなるという当然の感情の働きですが、感応度逓減性は累進課税制が肯定されやすく人頭税的な水平的平等が否定されやすい根拠の一つだとも考えられます。

感応度逓減性は人間の遺伝的基盤を持つと推測されますが、おそらく人類の長い歴史にわたって『生存に必要な資源』以上の財は余剰と見なされることが多く、貨幣(金銭)がない時代にはいくら食糧を蓄えても腐ってしまうので『一定以上の余剰』に対しては感応度が鈍ってしまったのではないでしょうか。現代でも『生死に関わる問題であるか否か』という判断基準がありますが、所有している金額が小さい場合には本能的な『死・欠乏の恐怖』をイメージさせるので利得と損失に過敏に反応し、所有している金額が一定ラインよりも大きくなると『死・欠乏の恐怖』から遠ざかるので多少の利得や損失には何も感じないということになりやすいのでしょう。

社会保障制度がある現代社会では、実際には金銭が完全になくなったとしても即座に死に直面するという状況は少ないですが、『その金額が無くなったら生活に困窮するというレベル』になってくると利得と損失に対する感応度は最高レベルにまで高くなり、『その金額があっても無くなってもまだ十分な余剰(貯蓄)があるというレベル』になると利得と損失に対する感応度はかなり低くなってきます。この事から、人間の金銭に対する価値認識は『金額の単純な絶対値(増減)』以上に『現在の所得と貯蓄・将来の保障の有無』などに大きく影響されていることが分かり、値段のある商品に対する『金銭の交換価値』は一定でも、人間に対する『金銭の価値』は相対的になっています。

値段のある商品に対しても、交換価値はいつも一緒なのですが、『商品の価格』が高くなればなるほど金銭の相対価値は低下し、住宅や自動車などの高額商品を購入するときには普段は100円単位の損失を気にする人が、10〜100万円単位の金額の違いに無頓着になったりします。3000万円の住宅と2700万円の住宅には大した違いがないように感じる人も多いと思いますが、日常的な金銭感覚では“300万円”というのはかなりの大金であり、高額の買い物をする時ほど“金額の絶対値の大きさ”に注意したほうが良いといえます。普段の生活で100円単位で切り詰めて生活していても、大きな買い物をする時に何十万円もの余計なお金を支払っていたら、結局、節約生活した分を遥かに超える支出をしていることになります。

ダニエル・カーネマンのプロスペクト理論には、利得・損失に対する価値判断(満足・不満)をグラフ化した『価値関数』だけではなくて、確率的な事象に対する価値判断(的中するだろうという重みづけ)をグラフ化した『確率加重関数』というものがあります。確率加重関数は“35%”を基準点として、35%よりも高い確率を過小評価して、35%よりも低い確率を過大評価することを示していますが、人間は『確率的な事象』を客観的に判断することが極めて苦手な存在だということが分かります。

特に、宝くじやロト6のように極端に当たる確率が小さい事象に対しては、人間は全く合理的な意志決定をすることができなくなり、『何百万分の1の当選確率』と『何千分の1の当選確率』との間の確率の違いをリアルなものとして実感することは通常できません。極端に小さい確率に対しては、せいぜい『絶対当たるはずがない・もしかしたら当たるかもしれないから買っておこう』くらいの認識しかできないわけですが、意外に人間はめちゃくちゃ確率の小さい事象に対しては『何となく当たりそう』という認識を抱きやすくなります。反対に、サイコロを振って1が連続して4回でたら当たりというような確率のほうが『絶対に当たりそうにない』と思ったりする傾向があり、確率の大きな当たりやすいものを過小評価し、確率の小さな当たりにくいものを過大評価することによって損してしまうことが多くあります。

人間が経済人(ホモ・エコノミクス)として合理的な利害判断をするためには、『客観的な情報(データ)の理解』が必要になりますが、人間の認知・感情の機能は『客観的な数字とその数字が持つ意味』だけを抽出して理解することが非常に困難です。『一ヶ月に3600円のローンで購入できます』というのと『毎日コーヒー1杯分(120円)のローンで購入できます』と宣伝するのとでは、消費者の受ける負担感の印象がかなり違ってきますし、グラフや表の『目盛りの取り方』によって統計学的なマジックを演出して相手をミスリードすることもできます。パーセントや倍数、絶対値などの単位を使い分けることで消費者・顧客の印象をコントロールする手法は、金融商品の広告や企業業績の報告、商品のプレゼンテーションなどでも使われますが、こういった情報の特定の側面だけに焦点づけして強調(隠蔽)する『フレーミング』によって、客観的な情報や状況をそのまま理解することが更に難しくなってきます。

人間の合理的な意思決定は、『利得』と『損失』を正確な量的・確率的概念として認識できないことによって妨げられ、『情報の見せ方=フレーミング』によって損得の解釈が大きく歪められることによっても妨げられます。また、経済人の定義である自己利益を最大化する『利己性』についても、ゲーム理論の『最終提案ゲームの実験(一定の金額を自分と他者に一回だけ自由に分配するというゲーム)』などによって否定的な結果が出ており、個人の行動判断では一般的に完全な独り勝ち(利益の完全な独占)を回避する傾向があり、自己と他者の利益配分を適正に調整しようとすることが多いようです。

人間が利己的に利益を独占しない社会的行動は、『仲間との相互扶助的な資源・食糧の分配』にその起源があると推測されますが、他者と協力し合う社会生活を成立させるための互恵性・返報性が、道徳感情(共感性)を生み出したようにも思えます。物理的な再分配によって他者の協力を引き出す共同体機能が低下した現代社会では、経済人の合理的な利己性が見られる場面も多くありますが、他者と特定の人間関係や情緒関係(協力関係)が成立するときには人間の利己的な意志決定は大幅に抑制されると考えられます。






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■書籍紹介

経済は感情で動く―― はじめての行動経済学
紀伊國屋書店
マッテオ モッテルリーニ

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