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“シュン・トシ・ミッチョ・ユウちゃん”の4人の幼馴染みが、人工衛星ボイジャーを見るために親に内緒で夜中に抜け出しカシオペアの丘にのぼった。1977年に小学校4年生だった彼らの頭上に広がる北海道・北都市の夜空は、雲ひとつない見渡す限りの満点の星空……4人はこのカシオペアの丘に遊園地ができればいいと声を揃えて語り、その夢は十年以上あとに赤字財政を積み重ねる北都市の公共事業として実現する。その『カシオペアの丘』と名づけられた遊園地の園長になったのは、子ども時代の事故がきっかけで車椅子に乗るようになったトシで、トシの傍らには彼と結婚したミッチョ(美智子)が寄り添うようになっていたが、トシとミッチョのいる北都の故郷にシュンは決して足を向けることは無かった。 4人の素朴な友情は永遠に続くはずだったけれど、いつの間にかシュン(倉田俊介)とトシ(敏彦)の関係は修復不可能な形でこじれ、中学校時代から大人になるまで二度と顔を合わすことはなかった。倉田俊介の祖父・倉田千太郎は、昭和初期の炭鉱経営からスタートした建設・不動産事業を母体とする倉田グループ(倉田建設)の総帥であり、北都市の経済開発と労働雇用を一手に取り仕切ってきた。北都市は倉田グループが中心になって開発した町であり、倉田千太郎はワンマンな経営判断を下す独裁的な経営者として北都に君臨し、人々の雇用と町の発展を強力に推進してきた。倉田建設はグループ企業となり、倉田コーポレーションと社名を変更して、市場(人口)の小さな北都を飛び出して北海道最大の都市・札幌へと本社を移転した。しかし、その時には、北都最大の建設グループ『倉田』の後継者として祖父に期待されていたシュンは北都にも札幌にもいなかった。 倉田俊介は『倉田』の総帥である祖父が、北都の町で過去に下した冷徹な判断を許すことができず、深く傷つき倉田という名字と後継者の地位を捨てて故郷の北海道からも姿を消した。祖父・倉田千太郎の下した苦渋の経営判断(炭鉱火災事故の処理に関する判断)は、北都の町と倉田グループの利益になりそれ以外の判断を選ぶことはできないという意味で正しいものだったが、親友でありライバルだったシュンとトシの関係を永遠に切り裂いた。孤独で強靭な精神力を持つ倉田千太郎はシュンからもトシからもミッチョからも強く憎悪され軽蔑されたが、彼は80歳を超えても『倉田』の相談役として院政を取り続け、あらゆる怒りや憎悪、復讐の念を己の一身で受け止め続けた。 外から見る限りにおいて、倉田千太郎は自己の人生に一切の反省も後悔も見せず、どんなに冷徹で非情に見える経営判断でも誰が犠牲になろうとも、自分ひとりの責任のもとに事業を断行して命令を下し続けた。しかし、90歳を超えて『倉田』の経営の全権をシュンの兄・健一に譲り、死を間近に控えた千太郎の精神は現実をしっかりと捉えることができなくなり、札幌から故郷の北都へと思いを募らせる。昭和42年に起こった炭鉱火災事故では多くの人命が失われたが、倉田千太郎はその翌年に『北都観音』と呼ばれるカシオペアの丘を見下ろす位置に立つ巨大な観音像を建設していた。天空に向かってそびえ立つ北都観音はその内部に入って『胎内めぐり』を楽しむことができるのだが、北都観音の内部にある螺旋階段の周囲の壁には、延々と無数の宗教的オブジェや絵画、仏像、キリスト像、ヒンドゥーの神々が並べ続けられている……千太郎が言葉に出して語ることが決してなかった供養と鎮魂の執念が宿ったかのような景観が、終わりなく頂上の空間まで続いている。 このまま時が流れれば、東京で結婚して普通の会社員として働いているシュンと北都に残って公務員をしているトシ・ミッチョの夫婦が再会する可能性は全く無かったが、一つの『悲惨な事件』をきっかけにしてユウちゃん(雄司)が仲立ちすることでかつての幼馴染みが再び集う日がやってくる。去年の夏、トシとミッチョが働いている『カシオペアの丘』に遊びにきていた川原隆史さんの家族に、娘の真由ちゃんが殺害されるという悲劇が降りかかった。何の問題もなくとても仲が良さそうに見えた川原さん親子だったが、真由ちゃんの殺害という悲報に続いて、殺害した犯人が妻の典子さんの不倫相手の若者だったことが明らかになってしまう。大切な愛娘を失うと同時に最後の拠り所だった夫婦関係も破綻してしまった川原さんは、やり場のない絶望と怒りに苦しめられるが、そこに追い討ちをかけるように週刊誌やワイドショーの取材がやってくる。 制作プロダクションのディレクターとして働くユウちゃん(雄司)は、川原さんの事件の取材でカシオペアの丘を訪れトシとミッチョと再会するが、雄司は川原さんを取材している内に川原さんの境遇に感化されて個人的な関係を深めていくことになる。娘と妻というかけがえのない二人の肉親を同時に失った川原さんも、トシ・シュン・ミッチョと同じく『許したいけれど許せない』という激烈な葛藤に襲われて人生の方向感覚を完全に喪失してしまっていた。倉田の姓を捨てて結婚相手の恵理の名字を取った柴田俊介(シュン)は、会社の健康診断のレントゲン検査で肺に影が出ていたが、精密検査の結果、肺がんの悪性腫瘍であることが判明する。 39歳になった俊介は、妻の恵理と小学4年生の哲夫と東京で暮らす平凡な家庭の幸福の中にあったが、末期の肺がんの病魔に冒されることで人生が突如暗転する。なぜ、自分だけが39歳という若さでがんを発症して死ななければならないのかの納得のいく理由などは全くないが、俊介は否応なく自分の余命と過去の解決できていない問題(すべて忘れたふりをしていた親友や祖父との問題)に向き合わされることになる。残された僅かな時間の中で、妻の恵理や息子の哲夫にどんなメッセージや意志を伝えきることができるのか、逃げるようにして捨ててきた北海道の故郷・北都や小学生時代の親友たちともう一度再会して過去を許してもらうことができるのか、祖父の千太郎を「ひとごろし」と思った憎しみや悲しみから自由になれるのか、『死の運命』を前にしてさまざまな思いが脳裏を過ぎる。厳密に言えば、小学校5年のときに脊椎損傷を負ったトシ(敏彦)を除いた『シュン・ミッチョ・ユウちゃん』の3人は東京の大学で一度再会していて、トシの知らない大学時代の“ミッチョ”と恵理の知らない大学時代の“シュン”の間には、濃密な記憶と時間が積み重ねられていた。 この『カシオペアの丘』の小説には二つのテーマが読み取れるが、一つは『自分と他人を許すこと』であり、もう一つは反対に『過去の記憶や他人から許されること』である。多くの登場人物たちが、過去の傷つきや裏切りによって誰かを恨んだり怒ったり、嫉妬したりしている、あるいは、自分自身の過去の行動を許すことができずに責め続けている。そういった積年の怨恨や不満、不信、後悔、自己嫌悪、自己懲罰などと正面から向き合って『許すこと』と『許されること』が本書全体を貫くテーマであり、後半に繰り返し出てくる北都観音は『許し・贖罪』の象徴的なメタファーとなっている。 末期がんでこの世を去りゆくシュン(俊介)が、家族やユウちゃん、川原さんと共に故郷の北都を再訪し、『自分の人生の区切り(死に向かう心の整理)』をつけることでトシやミッチョとのかつてのような友情関係を回復し、4人の幼馴染みの時間を仮想的に巻き戻すことに成功する。トシの『倉田』に対する怒りや憎悪、川原さんの『娘の死』に対する悲しみと『妻の裏切り』に対する怒り、ミッチョ(美智子)の『トシとシュンの二人』に対する過去から現在へと続く複雑な思い、4人の友情を取り持ち続けてきたユウちゃんの密かなミッチョへの思い……それらの圧倒的な苦しみとわだかまりの感情がカタルシスを求めて物語の後半を牽引するところがクライマックスだろう。 4人の幼馴染みの中で紅一点だった美智子に3人の男友達は好意を寄せていたが、『美智子に対する思い』がトシ・シュン・ユウちゃんのそれぞれの形で満たされているという物語構成はなかなか巧みである。今の40歳の美智子が一番大切に思い愛しているのは夫の敏彦だが、時間軸をずらせば俊介も雄司もそれぞれの形で美智子からの愛情を確かに受け取っていた。シュンが北都に帰郷したときの思い出話では『現在の夫婦関係』と『過去の恋人関係』が必然的に交差することになり、『トシのシュンに対する嫉妬』と『恵理のミッチョに対する嫉妬』が場面場面でさり気なく描かれる……今の夫(妻)であるトシと恵理が知らない『大学生のシュンとミッチョ』はかつて同棲して付き合っていたけれど、時間の流れは決して巻き戻すことはできず、仮に巻き戻すことができてもシュンもミッチョも今の家族や配偶者を捨てて昔に戻りたいとは決して思わない。 この世界を去りゆく俊介の最期に寄り添うのは恵理と息子の哲夫であり、美智子は俊介とは離れた北都の町で敏彦と一緒に淡々と日常を生きてゆく、雄司は結婚願望を感じ始めたものの日々のハードな仕事に忙殺されている。現在と過去の時間軸や人間関係を絶妙に前後させながら、家族(夫婦)の愛情と4人の変わらぬ友情、中途で断絶した恋愛の切なさ、人を許すことの難しさを上手く小説として描いていて、『迫る死の受容・憎しみの解放』という重い物語の展開の中でも『生きる喜び』や『人間関係の素晴らしさ』を多く感じることができる。 ■関連URI 小川洋子『ブラフマンの埋葬』の書評 重松清『トワイライト』の書評:積み上げてきた過去の時間と揺らぐ中年期の自己アイデンティティ 宮城谷昌光『管仲 上下巻』の書評1:“管鮑の交わり”が象徴する永遠不滅の友愛のイデア ■書籍紹介 |
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重松清『疾走』の書評
重松清の小説の多くは『家族の愛情』や『人間関係の喪失』をテーマにしているが、この『疾走』という作品では『家族的なものの徹底的な剥奪』がテーマとなっており、今までの小説とはやや異質である。『疾走』では、社会構造の暗部にダイレクトに晒された少年少女の苦悩と絶望が生々しく描かれているが、未熟な少年の人生を保護してくれる『家族的なもの』をすべて剥奪されたシュウジに、容赦のない性と暴力の欲望の疾風が絶えることなく吹き付けてくる。大人でも耐えられず逃げ出したくなるいじめ・屈辱的な性と暴力・寄る辺のない... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2008/08/19 10:16 |
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