北九州市小倉北区の美萩野女子高校に通う1年生の女子生徒(16)が、ネット上のブログで『死ね・むかつく』などの中傷をされ、その後に自殺するという問題が起きました。このブログはケータイでアクセスする仕様のブログであるという報道も為されていますが、ブログの実際の書き込み自体は確認されていないものの、学校側の調査に対して同級生の一人の女子生徒が『自分が中傷の書き込みをしたかもしれない』とスクールカウンセラーに話して学校を休んでいる状態にあるようです。
新聞の報道ではネット上のブログに『死ね』と書かれたことが自殺の直接的な原因であるかのような書き方がされていますが、実際には、学校の友人関係における悩みの積み重ね(いじめ・悪口・仲間外しなど)とネット上の書き込みが分離しているということは考えにくいのではないかと思います。報道内容によると、同校の校長が『学校にいじめは全くなかった』と語っておりインターネットの危険性が女子生徒を死に追いやったというような論調になっていますが、この女子生徒が書いていたブログでのやり取りが『リアルの人間関係』とある程度オーバーラップしていたからこそ、女子生徒はリアルにもネットにも逃げ場がないような気持ちになり、生きていることが限界になるほどの精神状態に追い詰められたのではないでしょうか。 仮に、現実の自分と接点がない会ったこともないような相手と匿名同士でやり取りをしていて、『死ね・きもい・うざい・バカ』などと書かれてもその場から離れれば良いだけのことであり、腹が立つことはあっても希死念慮を誘発するような精神的なダメージがそれほど大きくなるとは考えにくいからです。確かに、固定のURIやIDを持つ自分の発信拠点(ブログ・SNS・サイト)で誹謗中傷をされると、他社(他者)が管理する掲示板で攻撃されるよりも心理的苦痛は大きくなりますが、それでも『実際の自分を知らない匿名者』から自分の存在を否定されるよりも、『実際に自分を知っている人』から存在を否定される書き込みのほうがショックは大きいと思います。 学校裏サイトの悪口やネットいじめが子どもの心を深く傷つけるのも、表向きは普通に仲良く装っている友達が、実は自分を嫌っていてみんなで自分の陰口・中傷を言って楽しんでいるという想像力を働かせてしまうからです。これがあらゆる年代・地域・属性の人が混在する大きな掲示板や仮想コミュニティのような場所であれば、『現実の自分』を知っている誰かが自分を罵倒したり人格を否定したりしているという方向に受け取ることは少なくなります。mixiのようなSNS(ソーシャル・ネットワーキングサービス)は、『自分が現実に知っている人』とだけコミュニケーションできるから安心ということで人気になりましたが、小学生〜高校生くらいの年代でネットをする場合には逆説的に『自分が現実に知っている人』だからこそ深く傷つけられやすい、リアルの生活にまで影響が及びやすいという問題があるように思います。 大人になると深く付き合う相手の主体的選別が可能になるので『リアルの友人』は仕事・趣味・教育水準・価値観・相互的信頼の凝集性が高くなりますが、小学生・中学生くらいの年代では同じクラスにいる相手との関係を自分で自由に調節するというのは難しいですから、リアル・ネットでのいじめのような状況に追い込まれた場合にその人間関係のネットワークから離脱するのが難しくなります。その意味では、子ども社会には大人社会と違って『不快な相手や付き合う価値を感じられない相手をスルーする』という選択肢は初めから無いことが多く、大人が大したことがないと思うようなレベルの悪口や中傷であっても、子ども本人にとっては『学校コミュニティ・友人関係からの疎外感(自分の居場所や存在意義の無さ)』を強く実感してしまう深刻な問題に発展し得るわけです。大人の人間関係は職場・仕事でのフォーマルな関係を除けば、『毎日絶対に会わなければならない関係』というのはそう多くありませんし、仕事とプライベートの人間関係の区分をつけて気持ちを回復させやすいですが、子ども社会では『学校と私生活の人間関係の区分』というのはほとんどありませんから、学校の友人関係において大きなトラブルや疎外感を抱えることが非常につらくて苦しい悩みになりやすいと思います。 『○○中学・△△高校の掲示板』というようなサイトで自分の実名を書かれて攻撃されれば、『現実の自分』と切り離してそのテキストを読むことが不可能になります。反対に、『全国の中学生・高校生の掲示板』というようなサイトで、知らない生徒同士が一般論としての恋愛や部活、勉強、ニュースについていろいろ雑談をしていても『現実の自分(実名の自分)』が直接的に傷つけられる書き込みをされるリスクはほとんどないでしょう。しかし、大人の匿名コミュニティとは違って子どものコミュニティでは『一般論としてのテーマ・自分の日常生活と直接的な関係のない話』を面白く感じる人は少ないと思いますし、やはり『実際の学校の友達』についての噂話のほうが話が盛り上がりやすいというのがあると思います。 (昔はネットもケータイもありませんでしたが)自分の子ども時代を振り返ってみても、10代くらいまでは基本的に『身近な出来事・リアルの友達関係・学校での体験・先生や異性の評価』などが話題のメインになりやすく、自分の日常生活と直結していない『一般的・抽象的・社会的な話題』をそれほど熱心に議論するような雰囲気はほとんど無かったように感じます。その意味では、10代のコミュニケーションの大部分は『学校での人間関係や対人評価(噂話)』だと推測されるのですが、学校裏サイトやネットいじめ、ブログの友人からの中傷の問題は、『リアルの友人(同級生)と想定される相手』からの嫌がらせや悪口にどう対処すべきなのかというのが課題になります。 一次的な問題は『インターネットのやり取り』ではなく『リアルの友人関係』の中にあるのは確かですが、学校・家庭での指導・注意でリアルの友人関係を表面的に改善するだけでは本質的な解決にはつながらないでしょう。中傷を書き込まずにいられない生徒の攻撃衝動(相手への不満・将来への不安)や優越欲求(劣等コンプレックス・自己認知)の問題にある程度真摯に向き合わなければ、ネット上のブログや裏サイトでのいじめ(悪口・暴言)を無くすことは難しいでしょうし、『誹謗中傷されている相手の立場・心境』を想像する能力が培われなければ『他者を傷つける言動』の罪悪を的確に認識することもできないでしょう。リアルの人間関係でされたことの仕返しとしてネットで中傷しているケースなども少なからずあると予測されますので、どちらか一方だけが悪いと断罪すれば良いというだけの問題ではないと思いますが、大人も子どももリアル・ネット双方で『他人が傷つくような言動・嫌がるような行為は極力しない』というシンプルな倫理原則(あらゆる場面での実践は難しいですが)を守っていけるかが問われています。 リアルの学校生活や人間関係とつながったネットいじめには、『学校でいじめられている人がネットでもいじめられる』というケースと『学校では良好な友人関係ができているのにネットで陰口を叩かれる』というケースがあると思いますが、前者にはリアルにもネットにも自分の居場所がなくなるという深い苦しみがあり、後者にはリアルの友人関係を信頼できなくなり学校生活に適応しにくくなるという問題があります。北九州の美萩野女子高の問題では、自殺した女子生徒はクラスで学級委員を務めていて明るくリーダー的な存在だったと報じられていますが、まだ高校に入学して間もない時期でもあり、女子生徒が良い方向で目立っていたこと(高校生活への適応や教師の評価が良かったこと)が何らかの嫉妬ややっかみにつながった可能性もあると思います。 一緒に登下校していた友人が数日前から女子生徒の様子がおかしかったとも話しており、その前に(明確ないじめにまでは至らなくても)リアルかネットかのいずれかで何らかの友人関係のトラブルが起きていたのかもしれません。嫌がらせの書き込みをした生徒も本気で相手の死までを願っていたとは思えず、高校に入学して間もない不安定な時期に、相手に対する些細なライバル意識ややっかみの気持ちが、実際の感情以上の過激な書き込みにつながってしまったのではないでしょうか。書き込みした本人自身が中学から高校への急速な環境変化に上手く適応できていなかったのかもしれませんが、双方の関係性の詳細は分かりませんが小さな意地悪や嫌がらせの気持ちがエスカレートするのを抑制できなかったことが、予想以上の重大な結果につながってしまったようにも見えます。 自殺する前に周囲の親や大人・友人に相談したり悲観的な思考を停止する方向へと考えを切り替えられれば良かったのかもしれませんが、誰かに自分の苦悩の深まりや限界状況を打ち明ける気持ちにもなれないほどに精神的に追い詰められていたのだと思います。リアルの人間関係や学校生活がネット上の書き込みに関係している場合には、ネット上のやりとりのトラブルをネット・リテラシーだけで解決することは難しいです。子どものリアルの人間関係と相関したネット上の悪口・中傷・脅迫の問題に対処するには、学校でのネット・リテラシー教育と合わせて明確な脅迫や名誉毀損がある場合には学校・警察・ISP(携帯キャリア)が協力して発信者を特定することが必要です。 悪口・中傷・脅迫を書き込んだ生徒を厳しく処罰するために発信元を特定するというよりも、『ウェブ上の不法行為が絶えず大人に監視されていること・リアルでもウェブでも他人を傷つける言動をしてはいけないこと・自分の書き込み内容の客観的な評価と反省』を教育的に指導することに主眼があり、その指導の後には、教師と親が双方(中傷をした生徒・された生徒)にわだかまりが残らないように友人関係・学校生活をフォローアップしていくことが大切になります。その意味では、実名を書き込んだ誹謗中傷や明確な脅迫・名誉毀損の内容に対しては、ISP(携帯キャリア)の個人情報の法的な開示要件のレベルを下げることを検討しても良いと思いますし、特に限定責任能力しかない未成年の場合には、処罰を前提としない教育指導上の目的のために学校・警察・携帯キャリアが連携して『違法な書き込みをした携帯端末の学校・親への情報開示(未成年者のケータイの契約時に、問題発生時の端末の情報開示・親への報告についての規約を含めるなど)』を現在よりもスムーズに進めるべきではないかと思います。 罰則を前提としない教育目的であれば、生徒間のトラブルや自殺のリスクなどを未然に防ぐために、ネットいじめや違法な書き込みをした生徒(子ども)の端末を特定して親・学校に情報開示が為されたとしても、それによって特別な混乱や問題が起こる危険性は低いのではないかと思います。更に、子どものネット利用に対する親の責任意識(ペアレンタル・コントロールの意識)が高まる副次的効果もあります。子どもが独立した法的責任能力を持たない以上は、ネットいじめや名誉毀損(脅迫)などの問題行為を子どもがネットで行ってそれに対する学校・親からの情報開示請求があった場合には、速やかに携帯キャリアが学校・親に『書き込みをした生徒の端末情報』を開示するというシステムを整えたほうが良いと思います。 親が子どもの行為に対する保護監督権を持つという法の理念にも沿っていますし、小学生〜高校生の年齢で『教育・指導目的のための情報開示(誰が友達への中傷・脅迫を書き込んだかの情報開示)』が親・学校に為されたとしても指導のやり方に十分な配慮をすれば深刻な問題は起きないのではないでしょうか。ネット上で問題を起こした生徒の端末を特定・通告する基準を明確化して、個別に学校・家庭で指導できるというやり方のほうが、未成年者全体の過剰なネット規制よりも普通のネット利用をしている無関係な生徒に及ぼす弊害が少なくなりますし、表現・言論の自由や知る権利(アクセスする権利)への抵触といった問題も小さくできると思います。 ■関連URI ウェブ時代における知的生産技術の進歩とツールとしてのブログの利用価値 インターネットの“匿名制・実名制・トレーサビリティ”についての考察とウェブに蓄積された価値:1 “言論・表現の自由”とインターネットの規制論議:青少年保護のためのフィルタリングと規制の強度の問題 硫化水素による自殺問題の波及とインターネット・マスメディアによる情報伝達の問題 ■書籍紹介 ネットいじめ・言葉の暴力克服の取り組み
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大人のブログの問題と子どものブログの問題:コメント欄のコミュニケーションとリアルの子ども社会との連動
前回の記事では、小学生・中学生・高校生のインターネット利用に関する考察を書きましたが、ブログに書かれた中傷が引き金となって女子高生が自殺するに至った悲しい事件を、一般的なブロゴスフィア全体の誹謗中傷の問題に敷衍できるのかということについてはやや懐疑的なところがあります。大人であっても子どもであっても、『自分自身の人格・属性・自己主張・価値観・人間関係(コミュニケーションの取り方)・容姿外観・周囲の評価』などを否定的かつ無根拠に乱暴な表現で中傷されれば、心が傷つき自己評価(自尊心)の低下や抑... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2008/06/03 12:38 |
『ブログ気持ち玉,テーマタブ』の機能強化について雑感・コンビニチェーンが百貨店の年間売上高を追い抜く
12月18日のウェブリブログの機能強化で、ブログへの簡単な感想を伝えられる『ブログ気持ち玉』という機能が追加されたようです。この『気持ち玉』という閲覧者の記事(コンテンツ)に対する感想を表示する機能は、以前からBIGLOBEニュースで採用されていたものです。個人的にはニュース記事についている『気持ち玉』の機能は結構参考になるというか、読者のニュースに対する大まかな感想を視覚的に知ることが出来るというのは便利だと思います。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2008/12/21 10:03 |
小中学校への携帯電話の持ち込みが原則禁止に。ウェブリテラシー・情報倫理・ネットいじめへの対応
文部科学省の塩谷文科相は1月30日に、全国の教育委員会などに『小中学校への携帯電話の持ち込み』を原則禁止するという通知を出しましたが、既に昨年の12月1日の段階で公立の小学校で94%、中学校で99%が持ち込みを原則禁止にしています。この義務教育段階の子どもが学校へ携帯電話の端末を持ち込んでも良いのかという問題は、ケータイでアクセスするウェブサイトのフィルタリングの問題(18歳未満の子どもがアクセスすることが好ましくないサイトの識別)と比べればそれほど難しいものではないと思います。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2009/02/01 05:27 |
土井隆義『友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル』の書評1:“優しい関係”と“いじめ問題”
現代社会で生きる人たちにとって『友達とは何なのか?』という問いに対する答えは様々であり、友達が多くいることに安心感や自己肯定を感じる人もいれば、友達から私生活に干渉されることに煩わしさや面倒くささを感じる人もいる。学校・会社の所属が同じだったり、人脈をつなぐ必要性からとりあえず付き合っている『見せ掛けの友達(ビジネスライクな友達)』と、何でも遠慮なく話し合い相談できるような『本当の友達(プライベートな友達)』は違うという意見もあるだろう。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2009/11/17 22:36 |
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