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精神分析家メラニー・クラインが考案した発達早期の精神発達論では、乳幼児は無意識的な破壊衝動(攻撃欲求)を部分対象に向ける『妄想‐分裂ポジション』から、破壊した部分対象にも自分と同じ人格や感情があることに気づいて罪悪感を抱く『抑うつポジション』へと発達していくと考えられています。『妄想‐分裂ポジション(生後3〜4ヶ月)』の最大の特徴は、自己と他者(母親の部分対象)の区別が曖昧で、他者を自分と同じ主体性(意志・感情)を持つ独立的存在として認知できないことですが、妄想‐分裂ポジションでは『分裂(splitting)』の原始的防衛機制によって『完全に良い他者(自分を肯定する他者)』と『完全に悪い他者(自分を否定する他者)』に二分割して考える傾向があります。 『良い他者』は傷つけてはいけないけれど、『悪い他者』は破壊してしまっても構わないというのが妄想‐分裂ポジションの基本的な対象関係の認知であり、無意識的幻想である『死の本能(タナトス)』は『悪い他者が自分を迫害・攻撃しようとしているという被害妄想』を喚起させ、悪い他者に向ける破壊衝動が強まっていきます。自分に愛情や保護を与えない『悪い他者(部分対象)』は、自分を傷つけて苦しめようとしているのだから、先手を打って悪い他者を破壊して消滅させても良いとするのが死の本能に駆動される妄想‐分裂ポジションの自己中心的(他者不在)な対象関係の捉え方なのです。もっと簡潔に言えば、自分を孤独にしたり不安にしたりするような『外界の部分対象(母親の部分的な態度)』には存在意義はないとする自己中心的な世界観がそこには広がっています。 抑うつポジションへと順調に発達すれば『他者への思いやり・共感性』といった情緒機能が発達してきますが、妄想‐分裂ポジションの『発達課題(良い部分対象の認識と善悪の部分対象の統合)』が上手く達成できなければ、他者への思いやりや他者を傷つけることの罪悪感がなかなか持てないこともあります。つまり、メラニー・クラインの想定する健全な精神発達プロセスとは、他者を自分と同じような傷つき(孤独)や不安(弱さ)を抱える不完全な存在(多面性のある存在)として認知できるようになることであり、『他者を傷つけることの罪悪感・抑制感』を内的規範として形成することなのです。『自分を認める他者』と『自分を認めない他者』を二分割する『分裂(splitting)』の原始的防衛機制を完全に使わないようにするというのは意外に難しいことなのですが、大半の人は幼児的な全能感を乗り越えて『自分の思い通りにならない他者』を不当に傷つけないというレベルの倫理観までは獲得することになります。 しかし、幼児的・病理的ではない実用的で功利的な『他者の自分にとっての価値の二分割』というのは誰もが多かれ少なかれ使っているものであり、『自分を認めない他者・自分が必要ではない他者』を無視(軽視)したり拒絶したりということは多くの場面で見られます。また、大人になっても『自分の思い通りにならない他者』に嫌がらせや攻撃、引きずり落としをしなくては気が済まないというような未熟なパーソナリティの持ち主も社会には多くいますから、妄想‐分裂ポジションの『自己中心的な破壊衝動の要素』というのは大人になってもある程度残るものなのです(自分に苦痛や不快を与える他者を物理的に殺傷するレベルの破壊衝動を実際に発現する人はまずいませんが)。 抑うつポジション(生後12ヶ月以上)になると、他者を自分と同じ主体性・人格性を持つ『全体対象(母親)』として認知できるようになり、他者を破壊(攻撃)することに対する共感的な罪悪感(後悔の念)を感じ始めるのですが、『妄想‐分裂ポジション』から『抑うつポジション』へとスムーズに発達するためには極めて重要な一つの条件があります。その条件とは、『一人の人間(全体対象)の中には良い面も悪い面もどちらもあるのだ』と確信できる発達早期〜思春期の人間関係(親子関係)の存在であり、『他者の愛情・信頼・好意』というものがこの世界には確かに存在するという実感を持って、『他者の人格や人生』を尊重できるようになることです。 反対に、発達早期から『他者の愛情・好意・信頼』を与えられることがなくその後の人生の中でも『他者との相互的な信頼関係(愛情関係)』を全く体験できない場合には、『一人の人間(全体対象)の中には良い面も悪い面もどちらもある』という基本的な対人認知を獲得できないことがあります。その結果として、『世の中の人すべては自分に愛情や関心を持ってくれることはない(すべての人間は自分に対して悪い側面しか持たない)』という社会憎悪・他者否定(共感性の欠如)につながる妄想的な人間観を持ってしまう危険が生まれるわけです。これは『人間の共感性・思いやり』の原点が、『自分を認めてくれる他者の存在(早期母子関係のような愛情関係)への確信』にあることを意味しますが、生まれてきてから現時点まで『他者の愛情・優しさ』をほとんど実感できず『他者からの拒絶・迫害』ばかりを体験してきた人の場合には、やはりどうしても『他者の良心・愛情・思いやりへの不信』が生まれやすくなります。 つまり、自分が思いやりを持って優しく接したとしても相手がその優しさや思いやりに確かに応えてくれるという確信が持てないので、『相手に傷つけられる不安(優しくしても拒絶される不安)』から他人と積極的なコミュニケーションを取りにくくなるのです。実際には、自分が優しさや愛情を持って丁寧に接しても相手に受け容れられないというケースは多くあるわけですが、早期母子関係や過去の人間関係(異性関係)の中で自分が全面的に承認された体験(自己の尊厳を確認できるような体験)があれば、『この人はダメだったけれど、他の人は違った対応をしてくれるかもしれない(すべての人間が冷淡な拒絶的態度を取るわけではない)』という人間関係への期待を持続させることができるようになります。 しかし、それまでの人生の過程で親子関係も含めて、自分の人格や魅力を全的に承認(受容)された経験が全く無い場合には、『自分は誰からも愛される資格がない・誰からも好かれない自分には価値がない』という方向にネガティブな劣等コンプレックスや他者否定(社会憎悪)の認知を強化しやすくなります。自己評価の低下や自尊心の傷つきが強くなると、『拒絶された自分』は『拒絶した他者』よりも人格的価値が低いというように偏った価値認識をしてしまい、拒絶される経験が何回か蓄積すると『他者に好かれようとする努力・コミュニケーションの意志』を放棄して自閉的な行動パターン(他者とできるだけ関わらない防衛的な生活態度)を定着させてしまうことも少なくないのです。その結果、他者(異性)と親密なコミュニケーションを取りたいのに、劣等コンプレックスや悲観的認知によって他者に話しかけることができないという問題が深刻化していくのですが、その根底には『傷つきやすい繊細な感受性』とその感受性を生み出す『対象恒常性(内的な安心できる他者のイメージ)の欠如=ありのままの自分を認められたことがないという自己嫌悪的な記憶』があります。 積極的に他人(全体対象)を傷つけて破壊しない共感性(罪悪感)を獲得するというのが一般的な妄想‐分裂ポジションの発達課題ですが、『自分に必要な他人・自分に必要ではない他人』を選別して態度・共感のレベルを変えるという分裂の適応的な防衛機制というのは成長してから以降も残るものです。この『他者選別的な防衛機制(功利主義的な対人関係の調整)』を一切使わずに通常の社会生活や恋愛関係を営むことはできませんが、地域コミュニティの衰退や親子関係の結びつきの弱さなどによって『自分が他者・集団に選ばれない孤立感(虚しさ・怒り)』を抱える個人の数は増加傾向にあるのではないかとも推測できます。 『功利主義的な対人関係の調整』というと難しいように感じますが、日常生活の事柄に置き換えて言うと、別れた恋人との連絡を断ち切ったり、mixiのマイミクで話さなくなった相手をマイミクから外したり、結婚してから異性の友達と連絡しなくなったり、環境が変わって過去の人間関係とのつながりがなくなったり、好きではない相手との関係構築を回避したりといった意図的・非意図的な人間関係の組み換えのことを指しています。人間は多かれ少なかれ人間関係(コミュニケーションの頻度)を現在の生活や考え方に合わせて調整していかなければ、通常の社会生活(仕事・学問・恋愛・結婚・友人関係)を送ることが出来ません。しかし、人間関係の調整には『人間関係を切る側・切られる側』という非対称性が必然的に付きまといますから、自分が『人間関係を切られる立場(他者に好かれない立場)』に固定されていると思い込むと人間不信が強まり、ますます人間関係から遠ざかってしまうという問題が生まれます。 加藤容疑者の社会憎悪・人間不信の要因には、自分がいつも他人(異性)や社会(企業)から『必要ではない人間(他者から求められない存在)』として道具的に都合よく取り扱われているという怒り・不満があったと思われます。派遣会社からのリストラの宣告や自分のつなぎ(制服)が見つからなかったことによって『自分の居場所がもう何処にもなくなった・自分なりに仕事を頑張ってきたのに何一つ報われなかった』という孤立感(見捨てられ感)を更に強めたのかもしれません。各種報道内容を見た限りでは、『仕事がなくなって経済的に困窮するという不安感』よりも『自分を必要としてくれる他者(異性)や会社が何処にもいないから頑張っても意味がないという孤立感』のほうが犯行の引き金として作用した割合が大きいように感じます。補足的な論考として、秋葉原の事件とも関係してくるテーマである『個人的・社会的な承認欲求と自己の尊厳(自己信頼感)の相関の問題』について心理学・哲学の視点から考察したいと思います。 ■関連URI 秋葉原の無差別殺傷事件から考えたこと1:家族との情緒的関係性と精神的自立のプロセス 乳幼児の幻想的無意識を構想したメラニー・クラインとエディプス葛藤を重視したアンナ・フロイト 対象関係論の草創期に活躍したクライン、フェアバーンらとカーンバーグの境界例研究 精神分析学が“精神現象の解明”に果たした功績とカウンセリングの構成要素 ■書籍紹介 私説 対象関係論的心理療法入門―精神分析的アプローチのすすめ
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生い立ちなんてどうでもいいんじゃない?
毎日のように加藤智大容疑者による秋葉原での殺戮報道が 各メディアで行われていますが、(いつものことですが) 彼の生い立ちを一生懸命報道した所で、 ...続きを見る |
What a life! 2008/06/13 08:48 |
【カウンセリングルーム】についてブログや通販での検索結果から見ると…
カウンセリングルーム をサーチエンジンで検索しマッシュアップした情報を集めてみると… ...続きを見る |
気になるワードを詳しく検索! 2008/06/14 18:39 |
秋葉原の無差別殺傷事件から考えたこと3:特別な他者や恋人を求める感情と条件・属性による対人魅力の承認
6月6日2時55分の加藤容疑者の掲示板の書き込みに『それでも、人が足りないから来いと電話がくる・俺が必要だから、じゃなくて、人が足りないから・誰が行くかよ』とあるように、彼はきつくて給料が安い仕事が嫌というのもあったでしょうが、自分という存在(人格)が道具のように取り扱われる職場環境への不満を鬱積したようにも読み取れます。本当は自分のことなんてどうでもいいくせに、何かに利用しようとする時(相手にとっての利益がある時)だけ自分を呼び出してくるというような対象関係の認知が加藤容疑者の内面に非常... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2008/06/15 08:16 |
個人的・社会的な承認ネットワークから零れ落ちる不安(危険)と自己の人格の尊厳を支える自他の信頼感
アブラハム・マズローの欲求階層説では、『生理的欲求→安心と安全の欲求→所属愛の欲求→承認欲求→自己実現欲求』へと発展していきますが、他者の承認や評価と完全に無関係な欲求は『生理的欲求(食欲・睡眠欲)』だけであり、生理的欲求の一つである性欲も自分ひとりでは十分に満たすことが出来ません。人間の人格的な尊厳や本性的な欲求について『他者からの承認(愛情)・他者とのコミュニケーション』を完全に無視して語ることはできず、人間の尊厳や倫理、欲求のあり方は『他者との関係性』と深い相関を持って相互につながっ... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2008/07/01 18:35 |
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