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help リーダーに追加 RSS 世俗と宗教の“ダブルスタンダード(二重基準)”によって支えられた前近代の秩序と近代国家の政教分離原則

<<   作成日時 : 2007/10/31 13:30   >>

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過去の記事では、孔孟思想と老荘思想の違いについて考えましたが、儒教とはアニミズム(精霊信仰)と祖先崇拝から派生した一つの宗教であり、基本的には『今よりも昔を尊ぶ』という保守的な伝統復古の教えです。近代日本では儒教道徳(忠孝・仁義の徳)が大きな力を持った時期もありましたが、孔子という個人が創始した思想体系に過ぎないので、逐語的に『論語』や『孟子』の文章を規範化して受け止めても得るべきところは少ないでしょう。自分の日常生活や人間関係を豊かにするために儒教的な世界観や徳目を振り返ってみる場合には、復古思想や忠孝の実践の形式にとらわれ過ぎずに、主体的に『仁・義・礼・智・信』の五徳を身につけるというやり方がいいのではないかと思います。

日本人と宗教教義の関係を語る時によく『日本人は無宗教だから、相対主義的な柔軟なモノの見方ができる』と言われますが、『特定の絶対的価値観(論理性・合理性・科学性によって反駁できない宗教的感性)』にコミットしないという日本人の無宗教性(全てを議論で解決できるという風潮)が顕著になったのは戦後からです。明治時代以前にも日本人の宗教的信念(生活と宗教の融合の度合い)は一神教の諸外国と比較すれば低かったと思いますが、元々日本人が宗教アレルギーや宗教嫌悪を持つ民族だったのかということになるとかなり疑問な部分もあります。

中世の戦国時代頃までは、石山本願寺や比叡山延暦寺を代表とする宗教勢力の影響力は無視できないものがあり、浄土宗・浄土真宗や法華宗などの大寺社は、戦国大名に匹敵する広大な領地と軍事力を擁していましたから、一般庶民の日常生活が宗教団体や宗教信仰と全く無関係であったわけではありません。『立正安国論』で政権に参与しようとした日蓮(1222-1282)を始祖とする法華宗(法華経)関連の宗教団体は、現代の日本でも政治に大きな影響力を持っていますし、親鸞(1173-1263)が始めた浄土真宗など鎌倉仏教の信徒(檀家)もまだまだ多く残っています。

無論、現代では日常生活にまで仏教の教義や規範が影響を及ぼしているケースは極めて稀で、葬式祭儀の施行に限定された葬式仏教へと変質しています。しかし、オウム真理教の一連の事件以降にも、伝統宗教を応用した形の小規模な新興宗教が数多く立ち上がっており、宗教に対する潜在的な需要(人生・精神・生活に信仰を通しての救済安寧を求めるという需要)というのは日本でもあるのかもしれません。宗教を求める大衆の心理とは『世俗世界(科学技術)に対する諦観・絶望』と『奇跡的な現世利益(死後の幸福)の獲得』が入り混じったアンビバレンツなもので、カリスマ的指導者が存在する大規模な集団に参加すること自体に『自己の存在意義・仲間のいる安心感』を強める効果があります。

宗教とは、虚無感や不安感を弱める『目的志向の自己アイデンティティ』を強化する装置でもあり、『何をすれば良いのか分からない・何のために生きているのか分からない・優れた人に生きる道筋を指し示して欲しい』という自己アイデンティティが揺らいでいる人ほど宗教に勧誘されやすくなります。宗教活動に参加している真面目な一般会員は、平均的な社会人と比較すると非常に親切というか他人の世話を焼く人が多い印象がありますが、それは宗教が原始仏教などの例外を除いて基本的に『非‐個人主義的な集団原理』で回っているからでしょう。お布施(布教)や奉仕活動をする一般信徒の大部分は損得勘定で動かず『個(家族)の枠組みを越えた行動原理』に従っているので、全財産を教団に寄付することがあるなど一般国民から見るとかなり奇異な印象を受けることがあります。宗教には『個人的な事情』よりも『メタレベルの集団の目的(理想)』を優先する利他的なボランタリズムの側面がありますが、悪質な宗教団体の場合には、そういった信徒の純粋なボランタリズムや懸命な救済願望が巧妙に悪用されてしまうこともあります。

その根本には、世俗的な快楽や欲得から遠ざかれば遠ざかるほど高潔な人格者となり究極の救済に近づくという『普遍性の高い禁欲道徳』がありますが、これは現代社会においてもある程度の普遍性を持っています。人間が『利己的で強欲な人を軽蔑して、利他的で禁欲的な人に徳を感じるという傾向』は恐らく歴史的にもかなりの普遍性を持っていますが、その起源を遡れば狩猟採集や生産力の低い農耕を行っていた『原始共同体の均等分配』に行き着くのではないかと推測されます。『すべてを独り占めしようとする個人』が多数派になると他の個体の生活・生存が圧迫されて『内部対立(反乱・革命)のリスク』が高まるので、社会的弱者(利益分配の少ない者)の怨恨を慰撫して社会の安定秩序を保つために宗教的な禁欲道徳は非常に大きな役割を果たしてきたと言えます。

『権力・財力・軍事力』によって序列が作られる世俗社会の基準と、『禁欲・利他・修行』によって人間的に尊敬を受ける宗教世界の基準とのダブルスタンダードによって、近代以前の社会秩序が支えられていた面は無視できないでしょう。厳密には、この世俗と宗教のダブルスタンダードは現代社会にも残っていて、力が強く支配する者に価値があるという弱肉強食の基準と力が弱くても他人に優しくできる者に価値があるという社会道徳の基準とが並立しています。現代では伝統宗教の道徳規範とは切り離された形で、共同体主義や社会福祉思想としての『弱者肯定の倫理』が主張されています。それに対立する思想として、合理的な功利主義に支えられた新自由主義があり、個を単位とする新自由主義では『自由市場の原理』によって物事の是非が考えられていきます。

権力(財力)の強弱・能力の高低・容姿の美醜など『利己的な利害損得の次元の価値基準』は現代社会では非常に大きな力を持ちつつありますが、それだけでは特別な力を持たないマジョリティの反発によって社会秩序が維持できなくなるので、他人への思いやり・社会への貢献・欲望の抑制など『利他的な禁欲道徳の次元の価値基準』によってバランスが取られることになります。いつの時代でも、強さと弱さを評価する価値基準の間にはある程度のバランスが取られていて、『弱さ・内面・利他性を評価する基準』を完全に無視した為政者・経営者・支配者はその地位や繁栄を長期にわたって維持することが出来なくなります。

マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、資本主義を支える合理的な精神の中に禁欲的なプロテスタンティズムの倫理が内在しているパラドックス(逆説)を指摘しましたが、人類のあらゆる活動と評価の中には、『世俗と非世俗のアンビバレンツ(両価的)な価値基準』が並存していると考えることが出来ます。分析心理学の始祖カール・グスタフ・ユングは、さまざまな表象(イメージ)と元型、性格類型の間に相補性が働き、『意識(自我)と無意識(自己)』は相互に釣り合おうとすると考えましたが、『世俗(欲望)と宗教(禁欲)』も社会全体の中で秩序を維持できるようなバランスを取ろうとする傾向があります。

群雄割拠する戦国時代に天下布武を成し遂げようとした尾張の武将・織田信長(1534-1582)は、将軍の足利義昭を祭り上げて全国に号令を掛けましたが、織田信長に最後まで粘り強く抵抗し続けたのも顕如(1543-1592)を門主とする石山本願寺でした。広大な荘園(非課税の私領地)と既得権益(市・座などの許認可権)を持つ大寺社は、元々、奈良時代や平安時代から朝廷の皇室・貴族との人的交流も活発であり、朝廷と並立する公的権威として民衆を統治する非常に大きな権力を握っていました。現在では、寺院や神社というと私利私欲と無縁な脱俗的なイメージがありますが、戦国時代までは世俗(政治経済)と宗教の分離は全くなかったと言ってよく、朝廷の権威と結びついていた大寺社は領地・権力・財力に対する既得権益を守護大名以上に保有していました。

戦国時代になると浄土真宗を掲げる本願寺は、北陸の加賀(石川県)にも版図を広げて、独自の軍事力(農村の信徒の民兵含む)と財政基盤を持つ一大勢力を築いていました。朝廷や幕府・守護大名の権威などに全く屈することのなかった本願寺は、戦国武将のように独自の利害に基づいて行動を決定していく中で天下統一を目指す織田信長との決定的な対立の場面を迎えます。

細川晴元に扇動された六角氏と日蓮宗(法華宗)の連合軍によって京都の山科本願寺を追われて(1532)、摂津(現在の大阪市周辺)に本拠を構えた石山本願寺ですが、弱小の守護大名よりも強大な宗教王国の建設に成功していました。当時の日本仏教界だけでなく戦国乱世においても大きな力を持っていた天台宗(比叡山)・法華宗(日蓮宗)・浄土真宗(本願寺)との宗教戦争(自宗派にとっての法難)が頻繁に行われる中で、最強の勢力として迫り出してきたのが浄土真宗系の本願寺でした。

本願寺が一大勢力となる礎石を築いたのは、本願寺中興の祖として知られる蓮如(1415-1499)ですが、蓮如は、当時の日本の政治の中枢である山科(京都)と石山(大坂・大阪)に拠点を置いて影響力を強めました。山科本願寺のほうは、1532年に日蓮宗徒や六角氏の軍勢に焼き討ちされますが、石山本願寺のほうは顕如の時代に最盛期を迎えて、石山合戦(1570-1580)で織田信長に降伏するまで近畿全域から北陸地方にかけて大きな宗教的・軍事的影響力を及ぼし続けました。観念的な神仏を必要以上に畏れなかった織田信長は、比叡山延暦寺の焼き討ち、浄土真宗信徒の一向一揆(長島・越前の一向一揆)の鎮圧、石山本願寺との石山合戦によって、日本の仏教勢力(宗教勢力)を世俗の権力機構から追い落とすことに成功しました。

織田信長は、老若男女を問わずに殺した延暦寺の焼き討ちや徹底的な宗教勢力との戦闘によって、残酷無比な宗教弾圧者(思想弾圧者)として非難されることもありますが、織田信長はキリシタン禁令のように宗教活動(思想内容)そのものを禁圧することには興味を示しませんでした。その事から、織田信長は精神的(禁欲的)な信仰活動に専念すべき宗教勢力が、世俗の権力闘争(政治活動)に介入してくる古代的・中世的な祭政一致体制を崩壊させたと見ることもできます。日本の歴史を振り返ってみても、顕如が門主であった石山本願寺城が開城して以降は、一つの宗教教団が独立国としての勢威を誇ることはなくなり、段階的に大寺社が持つ世俗的な権力と財力は縮小されていきました。

民主的な近代国家では、政治的な意志決定の公正性(合理性)を担保して個人の思想信条の自由を保護するために『政教分離原則』が立てられていますが、多くの国では、歴史的文化財(寺社仏閣・宗教建築・仏像石碑・芸術骨董)の保存や宗教系の学校教育の平等性(学校助成金の平等)などを考えて、『目的効果基準』による厳密過ぎない程度の政教分離が行われています。政教分離原則を重視して政治に宗教をできるだけ関与させないほうが良い根拠としては、批判精神を封殺する独善性(狂信性)と価値観の相違に対する偏狭性(排他性)、政策の合理的根拠(功利主義的政策判断)の欠如、基本的人権(個人の生命と自由)に宗教教義(絶対的な信仰)が優越する危険、特定の宗教や集団の不当な優遇を考えることが出来ます。政教分離の目的効果基準は、1971年にアメリカの連邦最高裁判所でLemon v. Kurtzman事件に対する判決の中で定義されレモンテストと呼ばれています。


Wikipediaの政教分離原則の項目

裁判所は、津地鎮祭訴訟以降、いわゆる「目的・効果基準」に従って国の宗教的活動の違憲性を判断してきた。この判断基準は、その「行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になる」か否かをもって、憲法20条3項にいう「宗教的活動」に抵触するかどうかを判断するものである。

(中略)

アメリカ連邦最高裁判所は、いくつかの判決を経た上で1971年にLemon v. Kurtzman事件において、修正第1条との関係で合憲とされるためには、

1. 政府の行為は適法で世俗的な目的をもつものでなければならない。
2. 政府の行為はその主たる効果が宗教を助長または抑制するものであってはならない。
3. 政府の行為は政府と宗教との「過度の関わり合い」をもたらすものであってはならない。

の3要件を充足することが必要と判断した。この基準は、当事者の名前をとってレモンテストと呼ばれている。



■関連URL
C.G.ユングの集合無意識とドイツロマン主義の思想潮流に投射された『普遍性・永続性への願望』

“世俗の儒教思想”と“隠遁の老荘思想”の中庸を探った古代中国の処世術

孔孟思想の『陽(世俗)』の原理と老荘思想の『陰(脱俗)』の原理2:ニーチェの力への意志と社会道徳

自我(エゴ)中心の精神分析学と自己(セルフ)の相補性を重視する分析心理学:無意識の補償作用

■書籍紹介
歴史のなかの政教分離―英米におけるその起源と展開
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