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help RSS 時津風部屋の暴行事件とスパルタ教育(しごき)の注意点:“いじめの空間”を拡大するネットいじめの問題

<<   作成日時 : 2007/09/30 16:46   >>

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集団による暴行や脅迫、虐待、嫌がらせによって被害者が死亡するという事件が神戸市の私立高校と相撲部屋で6月〜7月にかけて相次いで起こった。6月末に大相撲の名門とされる時津風部屋で起こった傷害致死事件は、時津風親方自身が17歳の新弟子・時太山(ときたいざん)に対する暴行の口火(ビール瓶での殴打)を切って主導したという特異な事件である。『閉鎖的な集団内部』『特定の個人』を執拗に攻撃するという意味では『しごき型のいじめ(制御を失って犯罪化したしごき・体罰)』と言える部分もあるが、死亡した日のぶつかり稽古の前日に、金属バットなどを用いて集団暴力を振るっているのでいじめというよりはリンチ(私刑)に近いかもしれない。

時太山に対する集団暴行のきっかけとなったのは『相撲部屋からの逃走』であり、『逃走に対する懲罰(制裁)』という形で親方がビール瓶で殴ったところから凄惨な事件が進展していった。根性や度胸を重視した連帯感のある集団では、『根性がない人間』は問題視され『帰属集団からの逃走』は裏切り行為と見なされて制裁の対象となることがある。時津風部屋の事件でも、『逃走した時太山の根性を叩きなおす』という名目で兄弟子の暴力が始まったというが、日本では『暴力や体罰によって軟弱者・不心得者の根性を叩きなおす(根性・ヤキを入れる)』という体罰肯定論のような信念を持っている人は武道(格闘技)やスポーツの世界に限らず結構いるような印象がある。戸塚ヨットスクールの戸塚宏氏には非行少年に対するスパルタ教育で有罪判決が下ったりもしたが、現代の日本でも、マスメディアで取り上げられた長田百合子氏の長田塾(長田寮)など『非社会的・反社会的な若者(非行・ニート・ひきこもり・不登校)の根性(性根)を実力行使で叩きなおす』ことを喧伝するスパルタ教育式(しごき方式)の指導方針を是とする人たちは少なくない。

現在でも未だ残っている『体育会系型のしごき』とは、先輩−後輩の厳しい上下関係(序列秩序)のある競技集団で見られる特訓形態・指導方法である。本来の意味でのしごきとは、『競技の実力や身体能力が劣っている後輩部員(選手)』に対して、先輩がその能力を引き上げるために時間を割いて行う集中訓練のことであり、『身体的な限界状況』まで相手を追い込んでそれを克服させることに効果があるとされる。野球の1000本ノックとか、陸上のグラウンド100週とか、格闘技の休みなしの30人ぶつかり稽古とかいうように『精神主義的な特訓・相手を心身ともに追い込む訓練』のことを一般的にしごきと呼び、相手が苦痛(負荷)や不快を感じる刺激に徹底的に晒してそれを精神力で突破させようとするものである。

こういう体育会系型のしごき訓練やスパルタ教育に対しては、人道的・実証的立場から批判意見もあるが、一つ言えるのは『しごきを受けたくないと思っている個人・しごきを回避したがっている個人』に対しては、しごきの訓練効果や教育効果は全く期待できないということである。しごきが正当な訓練法として有効性を発揮するためには、『本人の目的意識としごきへの同意・しごきをする指導者の愛情と本人との信頼関係・しごかれている者の健康と安全を判断できる指導者の観察力』が絶対必要条件となる。しごき特訓への同意のない者に対してしごきをすることは一方的な『体罰』となり、集団でよってたかってしごきをすればそれは『いじめ』に他ならない。しごかれている者の体力の限界や安全の確保を無視すれば、それは非人道的な『拷問』という傷害罪に該当する犯罪行為である。

時津風部屋のように、逃走の意志が明らかな者を連れ戻して建物・施設に閉じ込めれば『拉致監禁』であるし、心身ともに限界状況に近いところまで追い込むしごきやスパルタ教育というものは『本人の明示的な同意』がなければ犯罪行為と紙一重(もしくは同等)なのである。故に、『根性を叩きなおすためのスパルタ教育』というのは合法的な教育活動では有り得ないし、『制裁・懲罰のための恣意的なしごき(痛めつけるが最後は本人の利益になるというエクスキューズ)』とは端的にいじめ(暴行・強要・脅迫)であり、下手をすれば危険な私刑へと変質してしまう。

民主的な自由主義の国では、『特定の集団組織への参加・離脱の自由』が尊重されなければならないが、学校に限らず、しごきやいじめというのは『本人が離脱困難と認知する集団関係の内部』で発生するのである。相撲部屋が離脱困難か否かという問題は、年齢や立場(地位)、(少年であれば)家庭環境によって異なるだろうが、学校のクラスは正規の学歴キャリアを踏みたい生徒にとっては一般に離脱困難と考えられている。厳密には、中学や高校に行かなくても大検を受けて大学に進学するルートもあるので、絶対に学校を離脱できないわけではないが、学校に通えないほどのいじめや体調不良など特別な問題がなければ普通に通学したほうが高卒資格を取りやすいのは言うまでもない。

神戸市の滝川高校で起きたいじめによる自殺事件では、高校三年の生徒が自殺した当初はいじめの存在を学校側が否定していたが、いじめをしていた加害生徒の一人が恐喝未遂容疑で逮捕されたことから全容が明るみになり始めた。いじめと自殺の因果関係を否定するという学校の保身的な隠蔽体質は、いったんいじめ事件が起こってしまうとどこの学校でも大差ないと思われるが、滝川高校のいじめ自殺事件では『ネットいじめの要素』『メールによる執拗な金品要求』が話題になっていたようである。『ネットいじめ』というのは、学校内での上下関係やいじめ関係がウェブスペースにまで延長され、メールで脅迫や悪口を言われたりウェブサイト(掲示板)に実名で中傷や侮辱を書き込まれたりするいじめの形式である。

神戸市須磨区の高校のいじめ事件では、無理やりに撮影された下半身の写真がウェブに掲載されるなど陰湿で卑劣ないじめが横行していたというが、ウェブいじめでは『侮辱や攻撃を受ける場所が拡大する』という特徴があり、自尊心の傷つきや逃げ場がないという絶望感が深刻化しやすい。『メールによる脅迫』もメールを無視すれば良いという意見もあり得るが、毎日学校でいじめを仕掛けてくる加害メンバーと顔を合わせなければならない状況を考えると、無視をすれば次の日に学校で暴力が激しくなるというリスクがあるだろう。

ウェブいじめの悪質さの本質は、『学校でのいじめが、学校外の生活時間にまで拡大延長する』という要素にある。ウェブいじめ以前のいじめでは、学校での嫌がらせや脅し・暴力を何とか乗り切れば家で一息つけたが、メールやウェブサイト(掲示板)を使ったいじめでは『いじめの明確な区切り(終わり)』が無くなってしまっているのである。また、教師がウェブ全体を監視したり生徒個人の携帯メールを検閲することは現実的ではないので、ウェブいじめの舞台になっている“裏サイトなどのURL”を知られない限りはウェブいじめはリアルのいじめよりも発覚する可能性が低いとも言える。

いじめという集団加害行為は、マスメディアでもウェブでも結構手厳しく叩かれていて、いじめが犯罪であるという認識も広まっているが、それでもいじめという現象は無くなりそうにもない。『子ども社会のいじめの心理と大人社会のモラル・ハラスメント』という記事でも書いたように、厳密には、子ども社会だけでなく大人社会の集団にも多種多様ないじめ(精神的な嫌がらせ)が存在している。いじめは複数の人間が集まる『固定的・閉鎖的な集団関係』の中で起こりやすい集団加害行為で、多くの場合、いじめ行為に参加する人の数の多さによっていじめ状況が維持される頻度依存行動としての特徴を持っている。

頻度依存行動によるいじめ現象の分析では、『いじめの発生原因・いじめる生徒の個人的要因』ではなく、『発生したいじめの存続原因・いじめの傍観者問題』に焦点が当てられている。『なぜ、いじめが悪いと分かっていても傍観者は制止できないのか?』といういじめ問題の問いかけは、『何もせずに見ていた傍観者も同罪である』という極端な連帯責任論にまで行き着くことがある。しかし、いじめのリーダー格の人間の権力を緩やかに承認している同一集団では、『自分が正しい行動を取ることによって受ける不利益が大きい場合』には、傍観者は自己防衛のためにほとんどいじめ制止の行動を取らないと推測される。

もし仮に、『お前達、いじめとか下らないことはやめろ』と厳しく注意するだけでいじめが収まる場合には、はじめからその注意をした傍観者に強い権力(いじめる側を恐れさせる何らかの要素)が備わっていたということであり、そういった人物が強い権力(発言力)を握る集団ではいじめが深刻化することは初めから有り得ない。大人社会であっても、政治・経済・地域活動など様々な場面で頻度依存行動が見られ、優勢な意見(集団)に反対することで自分ひとりだけに責任や危険が覆いかぶさってくるような行動は大多数の人が取れない。

大人社会でも頻度依存行動に反対して自分独自の正論(正義)を貫くことは困難なのだから、子どもだけにハイリスクな正義執行能力を期待するのは酷といえば酷なのである。傍観者が、積極的にいじめ制止の行動を取るケースというのは、いじめに反対する傍観者の中にいじめる側のリーダーよりも強い権力(暴力・弁論・集団動員力)を持った人物がいるケースか、クラスの保護責任者である教師がいじめ撲滅の姿勢を明示化していて、実際に実効性のある制止(処罰)をしてくれることが期待できる場合であろう。

あるいは、いじめる側の正当性(暴力性)が全く通らないような『いじめ否定(いじめる側への蔑視)の空気』がクラス全体に張り巡らされている場合など極めて理想的なケースに限られる。しかし、小学生〜中学生くらいまでの年代では、既に階層的な序列関係ができあがっていることが多く、いじめ状況ではいじめる側のほうに『数的優位(いじめを維持する相補均衡)』が働きやすくなる。

学校におけるいじめのメカニズムといじめ加害者の元型的(“影”的)な精神構造について、次回の記事でもう少し加筆しようと思います。



■関連URL
頻度依存行動として発生するいじめ現象:『望ましい行動』を取るコスト・リスクによる葛藤

子ども社会のいじめの心理と大人社会のモラル・ハラスメント:集団内での示威と防衛の葛藤

福岡県筑前町と北海道滝川市のいじめ問題1:教師・生徒・親の信頼関係の再生といじめ対処の見直し

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いじめの構造 (新潮新書 (219))
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ユング心理学の“影(シャドウ)”の元型から見る“いじめる人間”のコンプレックス:いじめと笑い
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