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戦後の日本は、『軍事闘争における敗退(屈辱)』を『経済競争における優越(成長)』に転換して、精神分析的な昇華(sublimation)を実現してきたわけですが、現在の日本は経済の成熟期と少子高齢化社会に入ったことで『経済競争における優越(右肩上がりの生活水準・一億総中流社会)』という戦後アイデンティティを失いつつあります。更に、経済格差の拡大や国民のライフスタイルの個別化によって国民の経済次元の階層分化が進み、教育格差や価値観の多様化で「国民一般に共通するような関心事(価値規範)」というものも急速に失われつつあります。 経済のグローバル化や政治の影響力の低下も合わせた非常に大きな時代の流れが、日本人が安心して帰属できるようなコミュニティの基盤を揺るがしており、日本国民が集合無意識的にアイデンティティを帰属できる観念として『歴史(物語の記憶)・民族(血縁)・文化(習慣)』に魅力を感じる人が増えているのではないかと思うのです。日本人に限らず、世界のあらゆる国や地域に生きる人々も、自分が何処にも帰属していないような「根無し草」になる不安を抱えており、精神的に依拠できるコミュニティや他者と共有できる価値がない実存的な空白を恐れているのではないかと思います。日本の場合には、戦後の経済的な豊かさで『実存的な空白』を埋めていたのですが、経済成長(人口増加)の限界に達したことで経済活動だけに没頭できる個人が減り、『自分は一体何者としてここに居るのか?』という実存的な疑念が表面化してきたのかもしれません。 更に踏み込んで言えば、ある程度の経済的な豊かさ(個人単位の将来への希望)がないと『自己責任を伴う無際限の自由の重圧』に人間は耐えられないものであり、他者と情緒的・実存的に強く結びつくために『自由からの逃走(多数派の空気を読む努力)』を企てることになります。歴史的に見ても、『自由主義の価値観』にシンパシーを感じる国民や、『他者に干渉されないプライバシー』を重視する個人主義の国民が多数派を形成するというのは極めて奇跡的なことであり、最低でも、他者との相互干渉を最小化して生活できるだけの社会インフラや経済基盤、豊かな情報娯楽環境がなければ自由主義や個人主義というのは伝統社会に浸透しないのです。 歴史認識の対立や過去の世代の道義的責任の追及というのは、確かにいつの時代においても『政治の道具』として使われるわけですが、現代社会における規模の大きい国家は運命共同体的なコミュニティではないので、『歴史・民族・政治に対する興味やこだわりの程度』に相当に大きな個人差があるわけです。そこには当然、生まれてから全く近代以降の歴史を学ばないままに成人を迎えたような人も含まれますし、十分に近代史を研究したが現在の自分には深くコミットする必然性がないというような人も含まれます。 多国間関係を含む政治次元のイシューを取り扱う『国政の政治空間』と生活次元のイシューを取り扱う『国政の生活空間』の乖離が大きくなり過ぎた為に、民意が政治空間に反映される可能性が小さくなっています。更に、政治や歴史に対する無関心層の増大が『生活空間に閉じた民意』を生み出していて、あらゆる世代を通して、国家の外交政治(歴史解釈)と自分の生活との無関係性を意識する国民が増えている感覚があります。全ての人の関心が『生活空間(経済問題・社会保障・生活環境・自然保護)』だけに閉じていれば「平和状態の均衡」が生まれますが、ごく一部の政治(歴史)に造詣・関心が深い人たちが『政治空間(歴史認識・民族問題・安全保障・外交戦略)』の総体的判断を担うようになると、『意志表示(有効な議論への言及)のない無関心』がマクロな次元で同意と見なされることになってしまいます。 日本でもアメリカでも、政治やマスメディア主導で大多数の人が気にしていなかった過去の戦争に関係する事件・問題を掘り返して、過去の戦争の責任問題をもう一度『現在の政治駆け引き』に持ち込もうとする動きが活発化しています。日本と中国・韓国・北朝鮮の間であれば、過去の戦争責任の問題が持ち上がることが今まで度々ありましたが、戦後60年の間強力な経済的・軍事的パートナーシップを維持していた日本とアメリカの間で、こういった歴史認識の対立がクローズアップされてきたことに外交戦略上のターニングポイントを感じます。戦後の日米関係では、『対米従属外交の否定・地位協定の不平等・米軍駐留による地方住民の基地負担』という観点からアメリカとの関係の見直しが言われることがありますが、詰まるところ、『結果としての利益の確保』を取るか、『プロセスとしての自主独立』を取るかの葛藤なのかもしれません。 この記事は初め、憲法改正問題における憲法9条の平和条項についてとりとめのない思索をメモしておこうと思って書き始めたのですが、書きかけている途中で久間章夫防衛相の原爆発言による閣僚辞任や初の女性防衛大臣となる小池百合子防衛大臣の就任という事件が起こったので、原爆問題や日米関係についての言及が長くなりました。憲法9条や憲法改正についての記事は過去にも幾つか書いてきたのですが、また近いうちに簡単な雑感をまとめてみたいと思います。アメリカ下院では、民主党のマイク・ホンダ下院議員が中心となって、従軍慰安婦問題に関する日本糾弾決議(謝罪要求決議)が提案されるなど日米間の歴史認識の食い違いが浮き彫りになる問題が起きていますが、これは、日米の同盟関係を支える妥協的な歴史観がつい口を突いて出てしまった久間防衛相とは対極的なポジション(日本の歴史観に迎合しない立場)にありますね。慰安婦問題については過去に何度か触れたのですが、現在では、日・米・中・韓などを含む複雑な外交カードとしての意味合いを強く帯びてきている観があります。 ■関連URL 原爆発言による久間章夫防衛相の辞任と戦後の日米関係を支えた歴史との距離感:1 個人の権力(暴力)を禁止する法治主義国家における加害者と被害者:アメリカ国民の武装権の問題 国家権力の行使と目的を問う憲法改正論の本旨:“固有の意味の憲法”と“立憲的な意味の憲法” アメリカの戦後処理の難易度を分けた“イスラームの宗教性”と“日本人の宗教性” 国家の栄光・挫折の歴史の情動的継承と国民アイデンティティ:靖国神社参拝が象徴する理念的価値 ■書籍紹介 戦後日本外交史
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大江健三郎の『沖縄ノート』の記述を巡る訴訟と近世以降の沖縄の歴史から考えたこと
ノーベル賞受賞作家・大江健三郎氏の著作『沖縄ノート』にある沖縄・座間味島、渡嘉敷島での住民集団自決の記述を巡って、元守備隊長と遺族らが慰謝料・出版差し止めなどを求める損害賠償裁判を起こしていたが大阪地裁は原告の訴えを退けた。裁判の焦点は『集団自決に日本軍の命令・関与はあったのか?』ということであるが、大阪地裁は軍の『深い関与』があったことを認め、軍(軍人)の『直接的な命令』については合理的な推測の範疇にあるというやや曖昧な見解を示した。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2008/03/30 17:13 |
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