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過去の記事では、現代社会で子どもを持つことの責任や意義について触れましたが、現代社会では『育児の喜び・育児の負担・家庭(夫婦)の安定・経済生活の安定』のバランスが崩れているところに種々の問題が起こってきている印象があります。未婚化・晩婚化・核家族化が進み子どもを産み育てることが必ずしも標準的な人生の課題でなくなりつつある社会では、子どもの出産・育児に対する責任を地域社会や親族・友人で緩やかに分有することが困難になります。大多数の人が近い将来に出産・育児をすることが確実であれば、『相互的依存(お互い様の心理)』によってある程度近しい他人に育児の支援をして貰うことも出来ますが、価値観とライフスタイルが多様化している現代では、他人に自分の私生活に関する援助や関心を期待することは基本的に難しいのです。 また、子どもを持っていて育児に悩んでいる夫婦の側でも、他人に自分の家庭領域に入ってきて欲しくないという人や自分の育児に干渉や意見をして欲しくないという個人主義的な人が増えており、『家庭の密室化(プライベート領域の聖域化)』が改善する方向性は非常に見えにくいです。今の日本にも、近隣関係が密接な一部の農村共同体(ゲマインシャフト)には近しい親族・友人・知人が毎日のように自宅に出入りして、食事やお酒を共にしているような地域もありますが、都会部に住む人の大多数は『私生活の平穏(プライバシーへの無干渉)』を強く望みますから『自己と他者のしきりの弱いライフスタイル(日本家屋的な開放的なスタイル)』が復権することは今後もないでしょう。 現代人の多くは、『癒されない孤独感』と同時に『干渉されたくない欲求』をアンビバレンツに抱えているので、家族関係や居住空間を開放的にするとしても一定の限度があり、昭和40〜50年代くらいまでの地方部や社宅コミュニティなどに見られた密接な近隣関係には戻りにくいと思われます。この相矛盾するアンビバレンツな欲求というのは、結局のところ、『相手に気を遣わなくても良い育児支援(保育園など公共サービス・育児支援金など公的給付)』に行き着くのであり、個人的・心情的な人間関係を含む育児支援よりもビジネスライク(専門特化的)な育児支援を選好する人が多くなります。 少子化対策を計画する行政担当者や育児・人口問題の識者は、お互いに実際的に助け合う地域社会の再生、相互扶助の人的ネットワークの再建などを目標に掲げることがありますが、都市部では多数派の本心が、プライベート領域を削減する地域社会(密接な近隣関係)の再生にコミットしていませんからその目標を達成することは困難です。核家族化による大家族(直系家族)の減少と都会化に伴う個人主義指向による地域社会の衰退によって、夫婦二人で子どもを育てる心理的・経済的負担は過去に比べて格段に重くなっています。出産育児の負担と責任が増える一方で、世帯所得400〜500万円以上の経済的な中流階層が緩やかに瓦解していること、(「子どものための出産」を意識する人にとって)子どもを持つ目的が心情的満足(夫婦生活の充実・老後の孤独感の緩和・対外的な承認)のみに限定されてきていることが少子化の流れを後押ししている状況があります。 未婚化・晩婚化の現象に関しては、平均初婚年齢の上昇と『家族・恋愛・結婚』に関する価値観の変化に書きましたが、その原因の中心は『家族を扶養できない職業状況(経済格差)・人生に対する価値観の多様化・性愛の自由化』にありますが、価値観の多様化で未婚化に影響を与えているのは『他者への無関心(社会的圧力の低下)』であり、性愛の自由化では『結婚生活と性生活の分離の促進』が大きく影響しているでしょう。 現代では、世間体や体裁を気にして結婚することに抵抗や無意味さを感じる人が増えており、『一定の年齢で結婚していないと世間に顔向けできない(恥ずかしい)・結婚しないと社会的信用が担保できない・一人前の社会人になるには結婚・育児の通過儀礼を踏まなければならない』という社会的圧力が通用しない人が多くなっています。厳密には、そういった結婚しないと落ち着かない社会的圧力が強い生活環境(コミュニティ)や人間関係の中にいる人と、そういった圧力が弱いコミュニティや人間関係の中にいる人とで、『非意図的な棲み分け』が起きているのが現状ではないかと思います。 この数の論理に裏打ちされた社会的圧力は、『差別・偏見にさらされるマイノリティ(少数者)にはなりたくない』という不安や恐怖を喚起できないと効果がありませんが、個人主義・自由主義の社会では、結婚している人もしていない人も『自分は自分・他人は他人』という考え方をすることが多いので、他人の私生活や価値観に必要以上に干渉する人は余りいません。価値観及びコミュニティの多様化は、『共通点のない他者への無関心』へと必然的につながっていき、結婚や育児に興味がある人はある人とコミュニケーションを取りやすくなり、それらに関心が乏しい人は同じ価値観の人とコミュニケーションを取りやすくなります。 基本的価値観(人生設計)を共有する個人が構成する社会であれば、『みんなと同じような人生を生きなければならない』という同調圧力が掛かり、それに反発することは実際的な不利益を招くので、大多数の人は『社会的・政治的な望ましさ』を反映した同調圧力を内面化していきます。現代の未婚化・晩婚化の原因として、スタンダードな価値観の揺らぎ(無規範なアノミー状態)とマジョリティ(多数派)の他者への無関心を挙げることが出来ますが、マイノリティ(少数派)がマジョリティ(多数派)を無視するだけでなく、マジョリティの側もマイノリティに特別な関心(同調圧力)を持つことがなくなってきています。この現象は、個人主義・自由主義の擁護やマイノリティの差別是正という観点では好ましいことですが、『継続可能な社会人口の維持』を担保する世代間倫理をどう伝えていくのかという点では困難な問題を抱えています。 30代以上の女性が結婚しているかしていないかによって『勝ち犬・負け犬』のラベリングを貼る言論・報道が一時期流行しましたが、これはアノミーな現代社会で忘れ去られているかつての『ゲマインシャフト的な同調圧力(異端者を蔑視する集団圧力)』を取り戻すことで、未婚化・晩婚化に“まった”を掛けたいという運動でもあったように思います。しかし、大衆の娯楽として既婚者・未婚者が自虐的な応酬を繰り返すエンターテイメントの域を出るものではありませんでした。 ここでは詳細に論じませんが、事実婚と法律婚(非嫡出子と嫡出子)の待遇格差の是正という問題が最近マスコミでクローズアップされましたが、この問題は究極的には『戸籍制度の存廃』に関わってくるテーマであり、夫婦別姓制度や離婚後300日以内の子の父親認定と合わせて『結婚する意義(貞操義務・親権の推定・血縁と戸籍)』を再考させるテーマでもあります。 恐らく若い人の多くは、親子関係の認定に関して『法律的な戸籍制度』よりも『科学的な血縁関係(DNAの遺伝性)』の方に妥当性や客観性を感じるでしょうが、性道徳・婚姻規範の厳しい明治時代に制定された民法772条(嫡出の推定)は基本的に、「貞操義務違反となる婚姻外性交(不倫)」や「離婚後間もない再婚の可能性」を度外視(あるいは罪悪視)しているところに盲点(法の不備)があったと言えます。そういった事が道徳的に善いのか悪いのかの意見は別として、現実に離婚後300日以内に別の男性との子を出産する事例が無視できないほどに多い以上、(産まれる子の福祉の観点から)民法を改正して現状に適切に対応する必要があります。 こういった離婚・再婚の増加や事実婚(内縁関係)に対して法的な補足や恩恵を与えることが家族制度(結婚制度)の崩壊につながるという意見も一理ありますが、「離婚・再婚をする人」は「結婚をしない人」よりも積極的に『婚姻制度の存続意義』を認めて活用している人とも言えるのですから、ある意味で結婚制度の実質的な存続及び評価に貢献しているとも言えます。離婚の自由がない社会と離婚の自由がある社会のどちらが良いかと言われれば、双方の心身の安全を確保して人生のやり直しを可能にする為に、離婚の自由がある社会のほうが好ましいことは確かです。しかしそれと同時に、離婚の自由が過度になり過ぎると最終的にはヨーロッパ(北欧)のような事実婚やシングルマザーの増加へとつながるので、婚姻にまつわる社会制度の抜本的な見直しが迫られることにも留意しなければなりません。 国家(政治権力)が結婚(固定的な男女関係)の公的認定や所得控除に何処まで関与すべきなのかという議論は非常に複雑なものがありますが、日本においては結婚しないよりも結婚したほうが子どもを育てやすく、配偶者控除など経済的な恩恵も得やすいということが結婚を選択するベネフィットになっています。それと同時に、シングルマザーや非嫡出子の法的・実際的な利益が現行の戸籍制度によって侵害されている面もありますが。 ■関連URL 配偶者間・恋人間のDVと共依存的なパートナー選択の問題 ゲマインシャフト(地域共同体)の衰退と家族問題(DV・児童虐待)の非社会的な密室化 三歳男児が預けられた熊本市・慈恵病院の赤ちゃんポスト:家族の変質と養育責任の所在 ■書籍紹介 パートナーシップ・生活と制度―結婚、事実婚、同性婚
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『自分のために生きること』と『誰かのために生きること』のバランスの崩れと機能不全家族の問題
過去の記事では、現代の日本をはじめとする先進国のように、子どもの人権が確立されて子どもが親よりも道徳的・実際的に優位に立ちやすい社会では、積極的に複数の子どもを持とうとするモチベーションが高まりにくいといった話をしました。『子どもの成長・教育・幸福』のために親が全身全霊を注いで尽くす度合いが大きい(過去と比べて)過保護な傾向がある社会では、育児に掛かる心理的・経済的コストが一般に大きくなり、子どもの心理社会的自立に擁する時間は20年以上かかることが珍しくなくなります。国家や地方自治体の育児... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2007/06/09 11:07 |
“子に対する親の保護・支援”の過大評価と子どもの独自性の尊重:家族・個人の“生きるという前提”
前回の記事では、『親と子の自他融合感(心理的境界線の曖昧化)』が強くなり過ぎて、子ども独自の人生(生命)を尊重できなくなる危険について書きました。しかし、一定の年齢に達した子どもに対して『この子は、私がいないと何も出来ない』というほど過保護・過干渉ではなくても、『暫くの間は、私たち(親)の経済生活面での支援がないと、経済力のない子どもが路頭に迷ってしまうのではないか』というような心配をしている親は多いでしょうし、それは養育責任を果たそうとする健全な意志(愛情)の現れでもあります。子どもが学... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2007/07/08 00:58 |
自殺を“個人の問題”に還元しない自殺対策と自由主義社会におけるアトミズム(個人化)の問題:2
他人からの干渉を排除して、自分が選好する最低限の相手とだけ付き合えば良い自由主義の価値観は、他人の援助を必要としないほどに心身が健康な個人、一定の経済力がある個人にとってはそれ以上ない最高の価値観ですが、当然、行き過ぎた自由主義と個人主義には幾つかの副作用が生まれてきます。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2007/10/28 11:02 |
育児・子どもへの苦手意識に対する母性神話の影響:母親アイデンティティの受容と間接的な承認欲求
保育・教育政策の話から育児不安の話題に戻りますが、もし子どもに何かあったら私の責任(自分の育て方の間違い)にされてしまうのではないかという母親の養育責任に対する不安は、夫が育児に関与せずに『お前に全部子どものことは任せている』というような態度を取るほど強くなります。子どもに何か問題が起きたらという不安は、子どもが乳幼児の時には『健康上(病気や事故)・発達上(言語や知能の発達)・しつけ上(マナーや行儀)の問題』について感じ、子どもが児童期以上の年齢になってくると『学校の成績や不登校・友達との... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2008/02/26 23:38 |
桜庭一樹『赤朽葉家の伝説』の書評1:戦後から現代に至る社会の世相を反映した“三世代の女性”の物語
桜庭一樹という作家の小説は今まで読んだことがなかったが、『赤朽葉家(あかくちばけ)の伝説』は日本社会の規範と世相(流行)の変化を『三代の女の歴史』を通して描いた小説で結構楽しく読むことができた。戦後間もない時代を生きた女性から、現代を生きる女性へと移り変わる歴史は、『戦後の貧しさとイエ制度の名残・高度経済成長と女性の専業主婦化・政治(全共闘)の季節の終わり・記号的な消費文明と性道徳の緩和・男女同権と価値基準の多様化』によって目まぐるしい価値観の変化を体験させられた歴史であった。今でも昔なが... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2008/05/17 16:59 |
ワンルームマンションでの隣人関係とセキュリティについての雑感:地域社会におけるコミュニケーション
東京都江東区潮見のマンションで起きた事件について書きましたが、その後に警察の捜査・聴取が進み犯行の具体的な時系列も明らかになっているので追記しておきます。女性がピアスと血痕を残して行方不明になった当日(4月18日)の午後11時、警察が初めて星島容疑者の部屋を訪問した時には、女性はまだ生存していたという自供が為されていますが、再度、翌19日の午前2時頃に警察が訪問した時には亡くなられていた可能性が高いようです。マンションの防犯カメラの解析が終わっていない段階での任意の事情聴取(家宅捜索)だっ... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2008/06/02 12:21 |
河野稠果『人口学への招待 少子・高齢化はどこまで解明されたか』の書評3:人口転換論が示す人口動態
『第4章 人口転換−「多産多死」から「少産少死」へ−』では、人口統計学のグランドセオリーである『人口転換論』についてイギリスの事例などを元に解説しているが、人口転換論とは簡単に言えば『経済活動の発展・教育水準の向上・安定秩序の確立』によって多産多死の段階が終わって少産少死の段階へと転換するという理論である。人口転換論では、政治・経済の近代化に成功して経済的に豊かになった社会は必然的に『死亡率の低下→出生率の低下』という人口動態の変化を経験することが示唆されているが、工業化・都市化・教育制度... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2008/07/25 00:49 |
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