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人間の心の機能や精神病理を『脳の構造と機能』に還元するという生物学主義の影響は精神医学でも臨床心理学でも強くなっているが、人間の精神を物理的な基盤である「脳」と同一視する心脳一元論は近代科学との相性が良い。要素還元主義を原則とする近代科学は、世界にある全ての対象(現象)を物質やエネルギーの構成要素へと還元して分析することで、科学的パラダイム(仮説‐実験系)において普遍的に通用する一般法則を定立することが出来る。 人間個人の自由意志や社会的権力が直接的に通用しないのが科学的な一般法則であり、科学は一般的な基礎理論を元に利用可能なテクノロジー(科学技術)を開発して普及させていく。自然科学は時に『学問的な客観中立性』を理想として掲げるが、ここでいう客観中立性とは、政治権力を利用しないという意味でもなければ、技術利用の結果が道徳的に好ましいという意味でもなく、市場経済で利益を上げないという禁欲主義を標榜するものでもないだろう。自然科学と雖も(いえども)先立つ資金と設備がなければ、幾ら優秀な研究者が頭の中で仮説理論や研究手法を構築しても検証することが出来ないので、資金・予算調達や人材獲得の面では市場経済や社会制度を巧みに活用せざるを得ないのが現実である。 ここで問題にしたい自然科学の客観中立性とは、理想的な環境条件(技術条件)を満たせば予測した通りの結果(効果)が再現できるという『客観性』であり、主体的・政治的な意志決定(自由意志)と無関係に化学物質に曝露すれば身体に生理的反応が必ず出るというような意味での(人間の個体差に対する)『中立性』である。 その意味では、神経心理学や生理心理学などで解説される『脳の器質的損傷による精神機能(身体機能)の障害』というのは、個人の能力的個別差に対する中立性と再現性を強く持っている。脳・脊髄の中枢神経系の損傷や異常があれば、精神機能や身体機能に何らかの障害が出るという一般法則性は常に成り立つ。神経心理学とは、原則的に例外のない『中枢神経系‐精神機能の対応関係』を明らかにしていく学問分野であり、脳の器質的損傷の治療と高次脳機能(精神の働き)の異常の治療との一元的なソリューション(解決)を導き出そうとする性格を持っている。 言語表出を困難にするブローカー失語症や言語理解に問題が起こるウェルニッケ失語症、相貌失認や妄想を引き起こすカプグラ症候群など神経心理学的な障害理解は、脳神経科や精神神経科など臨床医学の診療方針に大きな影響を与えたが、脳疾患(後遺症・脳障害)による精神機能の欠損・障害に対する有効な治療法(リハビリテーション)の開発はまだ十分とはいえない状況にある。発達早期の乳幼児の脳の可塑性は非常に高いが、年齢を重ねるにつれて脳の可塑性や復元性は急速に低くなり、成人が脳の損傷(疾患・萎縮)で精神機能(言語機能)や身体機能に深刻な障害を負うと、完全に元通りの機能を取り戻すことはなかなか容易ではない。 ブローカー野(運動性言語中枢)やウェルニッケ野(聴覚性・感覚性言語中枢)に深刻なダメージを受けてもなお、正確に他者の言語を理解して流暢に自分の言葉を話せるというような『特殊な個性(自然法則性に支配されない特性)』を持つ人というのはまず存在しないが、人間の言語機能や言語獲得(言語発達)が全面的に大脳皮質に依存し切っているのかといえば必ずしもそうではない。自分の思考や感情、イメージを言語化する機能を発揮するためにはブローカー言語野が必要であり、相手の話している内容や意味を理解するためにはウェルニッケ言語野が必要であるが、それらの大脳皮質領域は『言語的コミュニケーションの可能性』を発現するために欠かせない物理的前提でしかない。 『損傷・異常のない大脳皮質』というのは言語機能を獲得する為の必要条件ではあるが、大脳皮質の高度な言語学習機能を発現させるためには十分条件として『共感的なコミュニケーションのある豊かな言語環境』が必要なのである。 ヒトの意思疎通(記述・記録)の道具である『言語(話し言葉・書き言葉)』は生得的・先天的に獲得されることが保障されているものではなく、他者との相互的な関わり合いから経験的(学習的)・後天的に獲得されるものである。ノーム・チョムスキーが仮定した生成文法は生得的言語論の立場に立つと言われるが、チョムスキーは言語能力(潜在的な脳の言語機能)と言語運用(実際的な言語の使用)を厳密に区別している。 生成文法において正常な大脳皮質を持つ個人が生まれながらに持っているとされる普遍文法(UG:Universal Grammer)は、飽くまで言語環境への曝露があって初めて機能するものであり、『何故、ヒトが乳幼児期の極めて短い期間に、ほぼ完全な言語の文法規則を学習できるのか?』の疑問に発生論的見地から答えるものとなっている。チョムスキーの生成文法では、普遍文法という生得的(遺伝的)に脳内に刷り込まれた言語理解のフレームワーク(枠組み)を仮説することにより、言語獲得の短期性と効率性を上手く説明しているが、『潜在的な能力である普遍文法』と『中枢神経系の成熟レベル』とを実験的方法によって判別することは原理的に出来ないのではないかと思う。 普遍文法の有無には反証可能性が乏しいので、科学的仮説としては一定の限界があるが、胎児・乳児の神経学的研究によって言語獲得は『聴覚中枢・視覚中枢の成熟』を起点にして始まることはほぼ確かだと考えられているようだ。物理的な音を聞かなければ言葉を発音できず、言葉の仕組みを何となく理解しなければ、文法規則に従った他者への意味ある発話(言語表出)ができないというのは言語獲得の順番としては当たり前のことである。生物学的には、胎児期の中枢神経系の成熟過程において、『生まれて初めて接する第一言語の文法』を習得しやすい文法知識の原盤(普遍文法)が既に備わっていると考えることも可能である。チョムスキーの生成文法の発想の価値は、『共時的・分類学的な言語学(現時点における言語の構造分析と要素の分類)』を脱構築して言語の発生起源を追究しようとしたところにあるのではないかと思う。 『乳幼児期の言語獲得のプロセス』や脳科学(認知科学)研究から導かれる『人間の知覚世界と客観世界のずれ』について書き足りなかった部分があるので、また、精密かつ曖昧な各種の脳機能について考えながら補足したいと思います。 ■関連URL 物理的な脳と心理的な意識の並行関係と機械論的生命観の限界:『心とは何か?』を定義することの困難 脳の構成要素である“ニューロンの創発性”と行動の発現:ニューロンの分類 『言語的アプローチによる心への影響』と『物理的アプローチによる脳への作用』:情動の表現・特定・制御 ■書籍紹介 自然科学としての言語学―生成文法とは何か
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乳幼児の精神発達と言語獲得のプロセス1:新生児の音声の知覚と反射的な模倣
乳幼児は『然るべき時期』に『必要な刺激(愛情)』を与えてあげれば、健全な心身発達と能力の発現を示すことになる。特に、言語機能が完成に近づく『新生児〜幼児期(0〜5歳)の期間』の言語環境・視覚環境は(感覚器官を傷める余りに過剰な刺激は逆効果だが)豊かであればあるほどに良いといえる。自然環境から人工環境まで含めてありとあらゆる対象を指差して質問する子供には、『共感的な声かけ』と『モノの名指し(名前・概念を教えて上げるコミュニケーション)』が言語発達にとって非常に重要な効果をもたらす。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2007/06/21 16:33 |
ジョゼフ・バビンスキーの自己暗示による神経症論(ヒステリー麻痺形成)とバビンスキー反射
自分が致命的な重い病気であることをしきりに訴えるヒポコンドリー(心気症)や手足が振るえたり身体がけいれんしたりするヒステリー反応も、自分の周囲に他人が存在する場面のほうが起こりやすいという傾向があり、他者からの認知・承認を求める心理が大きな要素となっています。前回の記事の続きになりますがS.フロイトやP.ジャネ以前の神経精神医学では、『神経学的異常(脳障害)あるいは身体的原因があって精神症状が発生する』という器質因論(身体因論)が主流でしたが、ジャン=マルタン・シャルコーの催眠療法によって... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2008/06/22 04:52 |
科学的な認知心理学の誕生と情報処理システムとしての人間の精神
ウィルヘルム・ヴント(Wilhelm Max Wundt, 1832-1920)が1879年にドイツのライプチヒ大学に心理学実験室を開設したことで、科学的な実験心理学が誕生しました。実験心理学の研究手法は、『感覚・知覚の量的研究』を行うE.H.ヴェーバーやG.フェヒナーの精神物理学、『客観的な行動の法則化』を行うJ.ワトソンやB.F.スキナーの行動主義心理学を経て、脳科学(神経科学)とリンクした認知心理学(認知科学)へと発展してきました。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2008/07/09 06:14 |
認知心理学における高次知覚の考察と人間の顔認識機能(個体・表情・言語情報の識別)の複雑さ
ゲシュタルト心理学では『事物の全体性(ゲシュタルト)』を認識する知覚の体制化が重要視されましたが、プレグナンツの法則によって断片的な情報が全体的な意味ある情報に体制化されると考えました。プレグナンツの法則は『最も簡潔・単純な秩序を持つ形態(全体性)』を知覚する法則であり、『近接・類同・共通運命・閉合・よい連続・よい形・客観的態度』などの要因によって知覚を体制化(群化)して意味ある形(良い形態)を見出すことができるというものです。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2008/07/16 09:53 |
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