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help リーダーに追加 RSS 近代の朝鮮半島の歴史と日本・韓国・中国の民族アイデンティティの揺らぎ

<<   作成日時 : 2007/05/02 16:28   >>

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過去の記事で、日本と中国・朝鮮(韓国)の間にある歴史認識の対立と戦後補償の問題について書きましたが、日本と中国の戦後関係の障壁となっている歴史は、多数の被害者を出した日中戦争(1937-1945)と関東軍の策謀(満州事変)による満州国建設(1932)をはじめとする清王朝の利権化です。20世紀初頭から中国も朝鮮も国家主権を侵害されて帝国列強(日本・ロシア・イギリス・フランス・ドイツ)から植民地同然の扱いを受けていたのですが、中国(蒋介石の中華民国・毛沢東の人民解放軍, 八路軍)と日本とは武力衝突の過去があるものの、朝鮮(韓国)と日本とは正規軍が直接ぶつかり合う戦争状態になったことはありませんでした。

朝鮮半島は第二次世界大戦後に日本統治からは解放されますが、冷戦構造を作り上げたアメリカ(資本主義)とソ連(共産主義)の戦略的な思惑によって南北に分断されるという受難に直面します。日本による統治を脱却して、朝鮮民族で一つの独立国家を建設するという民族自決の悲願が挫折させられたことは、朝鮮半島全体にとって非常に大きな負の遺産となりました。1948年、ソ連が軍事占領した北緯38度線より北に、中国共産党やソ連共産党に深くコミットしていた金日成(1912-1994)を代表とする朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が生まれました。同時にアメリカが戦後統治した南には、上海の大韓民国臨時政府で名声の高かった軍人・李承晩(1875-1965)を大統領とする大韓民国が建国されました。

アメリカの資本主義(自由主義)とソ連の共産主義というイデオロギー対立から、大韓民国と北朝鮮の建国の歴史を理解するほうが分かりやすいですが、日本統治を打倒しようとする抗日運動による朝鮮独立という観点では、大韓民国は独立運動家として名の知られた金九・李承晩・呂運亨などが結成した「大韓民国臨時政府」の後継的な国家として位置づけることが出来ます。それに対して、満州で抗日闘争を戦った共産主義者(ソ連親派)が中心になって作った北朝鮮は、朝鮮民族の独立そのものよりも国家主席(金日成)に全権力が集中する独裁的な社会主義国家と見なすことが出来ます。

朝鮮半島の南北分断は、冷戦下における悲惨な朝鮮戦争(1950-1953)をもたらし、対極的な政治体制にある二つの国をまとめる南北統一という極めて困難な民族の課題をもたらしました。アメリカとソ連の冷戦と両大国の国内情勢を取り巻く歴史の流れは急速であり、北朝鮮建国を扇動したソ連は既に地上から姿を消しました。永世の国家主席となった金日成の政治権力と朝鮮労働党内の地位を世襲した金正日は、国際社会の中で孤立と反目の度合いを深めながら、極東地域の軍事的緊張を煽ることで北朝鮮の体制を何とか延命しています。北と南の政治体制とイデオロギー(行動原理)の違いや国民の経済的な生活水準の格差、朝鮮戦争によるトラウマにより、朝鮮半島の平和裡の南北統一や韓国が一方的な経済負担を強いられない統一は依然として不可能な状況にあります。

朝鮮半島全体を指す場合に「韓国」と「朝鮮」という呼称の厳密な使い分けは日本では余り意識されていませんが、「朝鮮」という呼び方には中国を宗主国として仰いでいた冊封体制(中華主義的な宗属関係)の時代の名残があり、南の韓国人は特に朝鮮よりも韓国と呼ばれることを好む人が多いようです。英語では“Korea(コリア)”であり、1392年に滅亡した高麗(こうらい, 918-1392)の名前を用いて朝鮮半島を呼んでいますが、高麗という呼称が日本からオランダに伝わってヨーロッパ諸国(やアメリカ)でその名前が定着したと言われます。高麗は、三韓時代(高句麗・新羅・百済)以降の朝鮮史における朝鮮統一国家の象徴であり、儒教・仏教・陶器を核とする文化的な成熟や学術的な発展を遂げた時代ですから、韓国人の民族自立の自尊心と深く共鳴する部分もあります。

高麗の後には、武将の李成桂(1335-1408)が恭譲王を退けて李氏朝鮮(1392-1910)を打ち立てますが、李氏朝鮮は当時の中華王朝・明の冊封体制(さくほうたいせい)に組み込まれており単一の独立国家というよりは、中華帝国の恩恵を受ける属国としての位置づけが為されていました。日本の場合は、自主的に中華文明圏の冊封体制に組み込まれることに応諾したことはありませんが、江戸時代末期まで中国や朝鮮を文化的・技術的・道徳的な先進国と見る中華思想的な風潮は儒学者や知識階層の中に色濃く残っていました。

朝鮮の三韓時代以前に相応する古代王朝の時代(奈良時代以前)になると、地方豪族が勢威を張っていた日本も未だ独自の中央集権的な政治機構と法制度を持っていませんでした。仏教国・百済を大和王朝が支援して、唐・新羅の連合軍と戦い敗れた「白村江の戦い(663)」は、倭国(大和王朝)が古代朝鮮と深い交流があった一つの歴史的証左ですが、それ以前の時代には朝鮮半島最南部の任那(加羅, 369-562)に多数の日本人が移住して現地人とほぼ同化していたといいます。

奈良時代辺りまで朝鮮と日本は言語の壁も余り感じさせないほど緊密な関係にあったと見られ、中国文明の影響を強く受けた朝鮮からの渡来人は高級官吏(法律家)や技術者、知識人(朝鮮経由の儒教・仏教・道教の伝来)として重用されました。話が古代にまで遡り過ぎたので近代史に戻すと、李氏朝鮮は、清王朝が日本に敗退する日清戦争(1894)後に、中国の冊封体制から離脱したことを国際社会に明示する意図を持って、1898(明治31年)に国号を「大韓帝国」に改めました。

日本と朝鮮半島、中国大陸を巡る近代史についても、少しずつ内容や意見を書き足していきたいと思います。韓国併合をもたらした歴史的な背景や併合後の反日感情の高まりまで書き進められませんでしたが、韓国統監府の初代統監を辞してすぐに安重根に暗殺された伊藤博文の思想とロシア外交、満州に利権を伸ばしたい軍部の地政学的な思惑を考えることで韓国併合に至る政治過程が浮かび上がってきます。

日本の文官の最高位者である伊藤博文を撃ったということで朝鮮半島で英雄視されることの多い安重根ですが、伊藤博文自身は日本による韓国(朝鮮)の直接支配(併合)には否定的であったといいます。安重根の捨て身のナショナリズムと儒教的な正義感の結びつきによってハルビン駅での伊藤博文暗殺が起きましたが、安重根は大韓帝国の自主独立や韓国皇帝の地位を脅かす日本外交の象徴として伊藤博文に強い敵意を燃やしていました(その一方で、日本の皇室には強い尊敬の念を持っていたといいます)。

現代の日本や韓国、中国でも他国を否定しようとするナショナリズムが高まる恐れがありますが、排他的ナショナリズムの裏面にある『民族アイデンティティの傷つき』というのは、安重根的な『民族国家の自主独立(保護的な内政干渉の徹底排除)』への強いこだわりであり、自国で自国の命運を決定できなかった『過去の歴史(敗戦やGHQの戦後統治, 連合国介入による独立回復)』に対する忸怩たる思いの現れなのかもしれません。

戦勝国であるアメリカ(連合国)から『戦後復興・日本国憲法・安全保障・個人主義(自由主義)』を片務的(一方的)に与えられた戦後日本の歴史や戦後民主主義をどのように評価するかによって、政治的なポジショニングや自己アイデンティティの安定感が変わってくるということです。功利的な損得勘定を度外視して『国民国家の自主独立性(保守的な価値観)』にこだわる人はやはり、戦後日本の歴史に自己アイデンティティの傷つきと不満を感じるでしょう。この日本の戦後史と自己アイデンティティの問題を朝鮮半島の戦後の歴史に置き換えれば、大日本帝国によって侵害されていた韓国・北朝鮮の主権回復にアメリカやソ連といった他国のパワーが深く関わりすぎたことをどう解釈するのかという問題になってくるのではないかと思います。


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日本・中国・韓国の“歴史的物語性のあるナショナリズム”と歴史認識の対立の先鋭化

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想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行
想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (ネットワークの社会科学シリーズ)

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