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help RSS C.G.ユングの太母(グレートマザー)とバッハオーフェンの『母権論』が紡ぐ女性原理の宗教性

<<   作成日時 : 2007/02/18 20:41   >>

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分析心理学の始祖であるC.G.ユング(1875-1961)は、父権主義に偏ったフロイトのエディプスコンプレックスの仮説を否定して、母性の元型的イメージである『太母(グレートマザー)』がもたらすクリティカル(決定的)な影響を示唆しました。S.フロイトの精神分析体系は、過去のトラウマティックな記憶や反倫理的な欲求が抑圧される個人的無意識を前提として組み立てられたものですが、C.G.ユングの分析心理学では、個人の経験的な養育歴やトラウマからは説明することのできない人類全体に共有される普遍的無意識(集合無意識)を前提にしたものです。

フロイトとユングの訣別につながった理論的対立は、汎性欲説に裏打ちされたリビドー発達論を肯定するか否かということであり、フロイトのように父性原理(男性原理)に基づいた世界観を持つか、ユングのように母性原理(女性原理)に基づいた世界観を持つのかという対立でもありました。フロイトは知性優位の科学的合理主義を理想としていましたが、キリスト教に由来する家父長制と禁欲道徳の影響が根強く残っていたヴィクトリア王朝期(及びオーストリア=ハンガリー二重帝国期)の文化・慣習の影響を受けており、父親を権威者とする近代的家族像を元に精神分析の研究を進めました。

フロイトは、権威主義的な父親への敵対心と原父殺害の罪悪感を振り返る自己分析によってエディプスコンプレックスの着想を得ましたが、ユングは、神秘性と現実性の二面性を持つ母親との関係を想起することによってグレートマザー(太母)の着想を得ました。精神分析と分析心理学には、フロイトとユングの個人的な経験や主観的な内省に依拠した仮説概念が多くあり、科学的な実証性に乏しいという批判もありますが、精神生活(精神発達過程)における社会的権威との葛藤や元型的なファンタジーの影響を分かりやすく理論化したところに意義があります。

人類に共通する普遍的無意識(collective unconsciousness)の元型である太母(グレートマザー)とは、家庭において子供の成育に大きな影響を与える母性の象徴的なイメージであり、豊穣と寛容を象徴する女性(大地)が秩序と規律を象徴する男性(天空)に優越する母権制社会の力のイメージです。太母(グレートマザー)とは生命を再生産する潜在能力をもつ神秘的な女性性のイメージですが、生命力と神秘性を彷彿させる太母のイメージは、多産豊穣を祈願する古代社会の宗教祭祀の源泉になりました。

ヨハン・ヤコブ・バッハオーフェン『母権論』によると、歴史的な記録が現存していない有史以前の時代には女性が権力を握り支配的な地位を占める母権社会があったといいます。『母権論』では、『野蛮(未開社会)→母権制社会→父権制社会』という普遍的な人間社会の発達段階が推測されています。野蛮な原始時代には、配偶者を特定せずに性交する『乱婚制』が自由に執り行われていたとし、母権制社会の段階になって初めて、特定の配偶者と婚姻関係を結んで親子関係を明確化する『排他的婚姻制』が生まれたとしています。

記録や遺物が残っていない太古の時代に、男性原理が支配する父権社会よりも女性原理が支配する母権社会が多かったという歴史的証拠は存在せず、バッハオーフェンが仮定した原始乱婚制社会については実証研究によってその実在が否定されています。女性の権利や地位を向上させようとするフェミニズムで、バッハオーフェンが仮定した先史時代の母権制を歴史的事実として強調する場合もありますが、実証主義的な研究では母権制社会が一般的であった時代の実在は認められていません。

マルクス主義では、カール・マルクスの共同研究者であったフリードリヒ・エンゲルス(Friedrich Engels, 1820-1895)が、バッハオーフェンの『母権論』を参考にして『家族、私有財産、国家の起源』(1884)の中であらゆる財の分配において平等な原始共産制のユートピア論を展開しました。エンゲルスは、人類の発達早期における母権制社会では、性的パートナー(配偶者)を特定の一人に限定しない乱婚制が実現していると考えましたが、バッハオーフェン自身は、原始的で野性的な未開時代(野蛮時代)における乱婚制の存在の可能性を指摘しただけです。

共産主義(科学的社会主義)の理論的な啓蒙家であるエンゲルスは、資本家(搾取者)と労働者(被搾取者)が利害を争って戦うという階級闘争史観を持ち、社会の生産力の増大によって歴史が必然的に進歩するという史的唯物論を信奉していました。エンゲルスは、資本主義社会の不平等が未だ存在しなかったユートピア(原始共産制)のモデルとして母権制社会を援用したわけですが、不平等の原因となる私的所有権の存在を否定するために、母権制社会における乱婚制を強調したと考えられます。何故なら、排他的な婚姻制度の存在は、私的所有権の主張を前提にしているからです。

父親から男子に財産が相続される「父系相続」であれ、母親から女子へ財産が継承される「母系相続」であれ、自分の子を特定するための婚姻制度は、個人が財(富)を蓄積してそれを子孫(血縁者)に相続させるという私的所有権の意識を内包しています。マルクスやエンゲルスは、最終的に貨幣経済と私的所有権を廃絶した共産主義社会を夢想していましたから、共産主義(社会主義)の原初的形態である原始共産制(母権制社会)に、財産相続(私的所有権)を肯定する排他的婚姻制度はなかったと思い込んだのです(思い込みたかったのです)。

エンゲルスは、配偶者を特定しない乱婚制であれば、産まれた子供が誰の子供であるか特定できないので、資本主義社会(父権制社会)に見られる財産制度(私的所有権・縁故主義)が生まれにくいのではないかと考えたわけです。しかし、現在のところ、血縁的な親子関係を完全に無視する乱婚制が一般的に見られた時代は実在したことがないと考えられています。

私的所有権があまり意識されない未開文明社会(原始共産制類似の社会)は歴史上に実在していますが、それは、狩猟採集段階にあったエスキモーやアボリジニ、アフリカ原住民のような集団(部族社会)でした。生産物の余剰が少なく獲物が獲れる日もあれば獲れない日もあるので、集団の生存率を高める為に収穫物を平等に分配していたのです。原始共産制が成立する為には、集団の生産力や技術力が『価値の蓄積』を許さないほどに十分に小さいこと、つまり、余剰生産物が存在せず階級分化や貨幣経済の成立する余地がないことが必要なのです。

現在の文化人類学や歴史学では、先史時代も含めて母権制が支配的であった時代は存在しないと考えられていますが、日本の古代史に卑弥呼のような女王が見られたことや平安時代の貴族階級に女性居宅への「通い婚」の風習があったこと、世界各地に女神崇拝の神話や女王支配の歴史、シャーマニズムの儀礼が残されているところから、局所的(地域的)には女性が社会的優位に立つ文化規範が生まれていた可能性があります。

宗教的世界観を信仰する人類の精神性は、アニミズム(精霊崇拝)やシャーマニズム(霊媒信仰)、女神崇拝のような母権宗教からユダヤ教・キリスト教のような父権宗教へと変遷しましたが、現代の先進諸国では、再び女性優位の無神論的な段階へと社会情勢が変化してきています。母権宗教は食物を再生産する大地崇拝に根ざしたものであり、農業社会における子孫繁栄や五穀豊穣の祈願を聞き届ける『母性的な神秘』に畏敬を感じる宗教です。母権宗教の中核にあるグレートマザー(太母)とは、大地のように食物を再生産して生命を養い育てる『大いなる力』なのです。

キリスト教やイスラム教に代表される父権宗教は、人間をメタ次元から支配(監視)する天空崇拝に根ざしたものであり、秩序維持や来世の救済を約束する『父性的な権力』に従属する宗教です。母権宗教は人間を養い育てるという『生命力の強化』に重点が置かれますが、父権宗教は社会に規律(道徳)を与えて自由を制限するという『共同体の秩序』に重点が置かれるので、父権宗教は一般的に公共の福祉のために個人の自由を明文化して規制する法治主義との相性が良いと言えます。

男性原理と女性原理、ユングのグレートマザーについてもう少し補足する記事を書こうと思います。


■書籍紹介
古代世界の女性支配に関する研究 その宗教的および法的本質

哲学の誕生―男性性と女性性の心理学

イスラームとジェンダー―現代イランの宗教論争
母権論 古代世界の女性支配に関する研究 その宗教的および法的本質(3)

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男性原理と女性原理の二元論(dualism)が相対化する現代社会:C.G.ユングの無意識の二面性
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