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幼少期から思春期の子供の育児をするにあたって最も重要なことは、自立心と依存心のバランスの取れた親子間のコミュニケーションを心がけることです。家族関係からの切り離しの作用を持つ『父権主義的なアプローチ』によって子供の自己愛(self-love)は対象愛(object-love)へと転化されやすくなり、家族関係への包み込みの作用を持つ『母権主義的なアプローチ』によって子供の基本的信頼感が培われ自己愛と対象愛のバランスをとりやすくなります。 自立心を促進する父権主義的(男性原理的)なアプローチと、信頼感を促進する母権主義的(女性原理的)なアプローチのどちらがより優れているかという問いには答えがなく、どちらが過剰になり過ぎても、人間の健全な精神発達が阻害されて『偏りのある人格構造(社会活動・対人関係・感情生活に適応できない人格構造)』が形成される恐れがあります。ここで父権主義的・母権主義的と言っているアプローチは、子供を養育する親の性別とは直接の関係がなく、『規則・論理・命令・罰則に依拠した養育態度』を父権的、『共感・情緒・相談・保護に依拠した養育態度』を母権的と定義しています。 厳格な規範や権威的な命令によって自立心を促進する父権主義的なアプローチが過剰になると、他者への共感が乏しくなって自己の感情を抑圧しがちになり『自分に厳しく他人にも厳しい人格構造』が形成されます。その結果、完全主義的な自己愛や癒され難い孤独感に苦悩することが多くなり、社会環境への適応に問題が起きてくると他者を信頼できない不安から『反社会的な問題行動』の発生リスクが高くなります。 寛容な態度や保護的な共感によって依存心を促進する母権主義的なアプローチが過剰になると、自立への意志が乏しくなって他者の援助を期待しがちになり『自分に優しく他人にも優しい人格構造』が形成されます。その結果、依存主義的な自己愛や社会的な自立心の欠如に苦悩することが多くなり、社会環境への適応に問題が起きてくるとストレスに対処できずに『非社会的な問題行動』の発生リスクが高くなります。 厳格さや社会性を特徴とする父権主義的なアプローチは、社会規範・道徳原則・知性主義を子供に教育する作用を持ち、人間関係を『家族内部の馴れ合いの関係』から『家族外部の相互自立的な関係』へと押し開いていきますが、利他的・共感的な人間関係を軽視し、情緒的な甘えの自己表現を批判する傾向を持ちます。 父権主義を包括する男性原理は、『社会的自立や自主独立を可能とする強さ』を最高の価値とするので、一般的に、社会的自立を達成するための経済活動や社会参加への適応性は高くなります。しかし、男性原理の影響が強くなりすぎたり仕事への適応にいったん失敗すると、他者への基本的信頼感が障害されて、『短気・不寛容・天邪鬼・気難しさ・頑固・支配的・攻撃的・孤立』といった好ましくない性格特性が前面に出てくることがあります。 寛容さや保護性を特徴とする母権主義的なアプローチは、信頼関係・共感感情・感性主義を子供に教育する作用を持ち、『自己対象(母親及び家族)に対する安心感』を『人間関係全般に対する基本的信頼感』へと敷衍しますが、対立的・競争的な人間関係を軽視し、社会的な自立への自助努力を阻害する傾向を持ちます。 母権主義を包括する女性原理は、『共感的関係や相互扶助を可能とする優しさ』を最高の価値とするので、一般的に、社会的自立を達成するための経済活動への適応性よりも個人的(家庭的)な人間関係への適応性が高くなります。しかし、女性原理の影響が強くなりすぎて外部環境への適応に失敗すると、行動に対する責任感や社会参加への積極性が障害されて、『優柔不断・自信喪失・依存性・甘え・責任転嫁・決断の先延ばし(モラトリアム)』といった好ましくない性格特性が前面に出てくることがあります。 シグムンド・フロイトの精神分析では、男性原理(去勢不安・男根羨望)に基づくエディプスコンプレックスの体験と克服を重視して、幼児期(4-6歳頃)の正常なリビドー発達と超自我の形成に欠かせないものと考えます。母親への愛情欲求を断念して父親の権威に屈服するという意味合いを持つエディプスコンプレックス(エディプス葛藤)は、自分の思い通りにならない『社会的な他者の原型』である父親によって、子供の持つ幼児的な全能感や魔術的な思考が打ち砕かれる経験です。 全てが自分の思い通りにコントロールできるという幼児的な全能感は、S.フロイトが定義した自他未分離で自体愛的な特徴を持つ『一次的ナルシシズム』に付随するものです。エディプスコンプレックスは、『快楽原則(pleasure discipline)』を支える一次的ナルシシズムの充足を阻害して、現実的な諸条件によって欲求の充足が制限される『現実原則(reality discipline)』を子供に教える役割を持っています。一方的な依存や甘えを期待できない社会的な他者である父親は、善悪の判断基準となる倫理規範(現実原則)を子供に呈示して、無意識領域に超自我(罪悪感を伴う良心)の形成を促すのです。 父・母・子の情緒的な三者関係によって内在化するエディプスコンプレックスでは、一次的ナルシシズムを充足する母性的な保護(世話・愛情)はどちらかというと、超自我(社会性)の形成を阻害する精神発達にとって有害なアプローチと見られていました。精神分析の創始者であるS.フロイトは、対象愛に移行しない自己愛を未熟で病的なものと認識していて、エディプスコンプレックス以降に残存するナルシシズムを性倒錯の一種と考えていました。S.フロイトの精神分析が隆盛していた20世紀初頭には、発達早期の母子関係に関する調査研究が進んでおらず『母性的なケア(共感的なかかわりあい)』の重要性が意識されることも殆どありませんでした。 発達早期の母子関係や母性的なケアの大切さが精神分析や臨床心理学で意識されるきっかけを作ったのは、愛着理論(アタッチメント理論)を提起したジョン・ボウルビーやホスピタリズム(施設症候群)を研究したルネ・スピッツ、分離‐個体化期の発達段階で生じる分離不安を指摘したマーガレット・S・マーラーでした。彼らの研究成果を一言でまとめれば、『人間の健康で安定した精神発達には、発達早期の母性的な愛情・保護・ケアが必要である』ということですが、病理的な情緒障害や人格障害との関係では、『情緒的な見捨てられ感や孤立した状況での無力感に長時間さらされない事』が重視されるようになっています。S.フロイトは、母親と乳児期の子供の相互的な関係性には余り関心を払っておらず、非言語的コミュニケーションに対する発達早期の乳児の能動性や主体性を実際よりも低く評価していました。 イギリスの精神科医ジョン・ボウルビーは、母親と子供の間に形成される対象にぴったりとくっつくアタッチメント(愛着)が、その後の精神発達に大きな影響を与えると示唆しました。世界保健機関(WHO)の依頼で世界中の子供たちの発達環境の調査をしたボウルビーは、母親が不在となりアタッチメントが形成できない状態を母性剥奪(母親剥奪, mother deprivation)と呼び、母性剥奪が子供の心身発達に悪影響を与えることを多数の観察事例から確認しました。 発達の早い段階における乳幼児期は外部環境や他者との関係に上手く適応する為に、母親を『安全基地(security base)』として利用するのですが、母性剥奪の状態にある子供は『安全基地』としての母親を持たないので抑うつ感や見捨てられ感を生じやすくなり実存的な孤立の恐怖(不安)にさらされやすくなります。母親(養育者)との間で形成される愛着(アタッチメント)は、他者との安定した人間関係を実現する『基本的信頼感』の原点であり、見捨てられ(孤独感)に対するストレス耐性を高める働きをしてくれます。 小児科医で発達心理学の分野にも強い興味を持っていたルネ・スピッツは、孤児院や児童福祉施設の乳幼児の行動を観察して、養護施設の子供達に起こりやすいホスピタリズム(施設症候群)の研究を進め、母性剥奪(mother deprivation)の影響を検証しました。その結果、発達早期に母親(特定的な養育者)から引き離される母性剥奪が「5ヶ月以上」の長期にわたって起こると、身体疾患や精神疾患の発症リスクが上がり、身体の発育や知能の発達、性格の形成にも好ましくない影響があることが分かりました。ホスピタリズムは、過度のしがみつきや対人関係への執着心を見せる強迫神経症的な性格形成とも類縁性があり、情緒的な見捨てられ不安とそれに基づく「アナクリティックな抑うつ感」を発症しやすくさせます。 スピッツの研究した母親剥奪によるホスピタリズムの問題は、マリー・マイアホーファーが定義した『見捨てられ症候群』と重複する部分が多くあります。マイアホーファーは、子供が母親剥奪のフラストレーション状況に置かれるとまず『怒り・攻撃・抗議・抵抗』といった能動的な反応を見せる『急性見捨てられ症候群』が現れるといいます。そして、次第に『諦め・抑うつ・自閉・無力感』といった受動的な悲嘆反応が多くなり、『慢性見捨てられ症候群』という状態に移行していきます。慢性見捨てられ症候群が発症すると、自発的な運動や発話が殆ど見られなくなり、身体の発育や知能の発達が妨げられて広汎な領域に及ぶ精神的・行動的な問題が起こってきます。慢性見捨てられ症候群になった子供は、『自発的な努力や積極的な行動では、事態を良い方向に変えることはできない』という学習性無力感の状態に陥っていると解釈することができ、表情や運動が乏しくなって自発的なコミュニケーションを行うことが少なくなっていきます。 ボウルビーとスピッツの発達心理学的な研究の中心概念は愛着と母親剥奪ですが、ボウルビーは母親から拒絶的・否定的な態度を取られる『部分剥奪』と母親が死去したり子供を見捨てたりする『全剥奪』を区別して、全剥奪の場合には『見捨てられ不安に基づくしがみつき』よりも『感情鈍磨による対人関係の拒絶(失望して傷つけられる前に近寄らない)』が見られやすいとしました。 母性的なケアというのは、子供の生存に必要な最低限の食事や排泄の世話をするだけではなく、子供の感情や興味に共感的に寄り添ったり、孤独感や見捨てられ不安を和らげる心理的なケアを必要に応じて与えることを意味しています。D.W.ウィニコット(1896-1971)の言う『ほどよい母親(good enough mother)』とは、理論的には子供の依存性と自立性をバランス良く伸ばせる母親ということですが、実際的には完璧な育児に強迫的にこだわることなく、自然な愛情表現と楽しいコミュニケーションができる母親のことを意味しています。ウィニコットは、母親の子供に対する自然な愛情と保護の表現として『抱きかかえ・抱っこ(holding)』を提起していますが、このホールディング(抱きかかえ)の欠如は、境界性人格障害や自己愛性人格障害といった『見捨てられ不安を軸とする他者との関係性の障害』に非常に大きな影響を及ぼしています。 母親・父親との密接な依存的愛情関係を必要とする乳幼児期において、心理的なホールディング(抱きかかえ)の体験を持てないと、『守られている・愛されている・認められているという感覚』の基盤になる対象恒常性が形成されず、依存的な愛情欲求(過度の承認欲求)が成人期(青年期)以降にも遷延する恐れがあります。心理的なホールディングや発達早期の母子関係とは、自尊心(自己評価)の原初的な基盤であり、他者への信頼感を保障する経験的な根拠です。 S.フロイトは、自分自身を自体愛的に愛する自他未分離な一次的ナルシシズムを精神病理(性倒錯)の一種と見なしましたが、自他が区別された自己愛(二次的ナルシシズム)は『他者に自分の価値や魅力を認められたいとする欲求』であり、誰もが持っている正常な欲求の一つです。ボウルビーは自己対象(母親・父親)への愛着(アタッチメント)を、自己保存的な生存欲求(食欲)と区別して一次的な生得的欲求と定義しました。S.フロイトの段階では、生存を維持するミルクを飲む為に母親の乳房を求めるといった解釈をしていましたが、ボウルビーは母親とのスキンシップや感情交流そのものを求めて愛着(アタッチメント)を形成しようとすると考えました。 乳幼児は受動的に母親の愛情や保護を受け容れるだけではなく、能動的に『微笑み・抱きつき・喃語・泣き・吸い付き・ハイハイ』などによって母親との間に愛着(アタッチメント)を形成しようとするのです。この能動的な愛情欲求の表現は6ヶ月目くらいから見られるようになり、3歳くらいまでは強い愛着(アタッチメント)を母親との間に維持しようとします。その後も愛着形成への欲求は完全に消滅することはなく、青年期以降にも恋人や配偶者、親友との間にその人特有のアタッチメントを形成しようとします。 精神分析理論では、青年期以降の成人が配偶者・恋人・家族に見せる愛着行動にも、発達早期の母子関係や愛情体験が強く反映されると考えます。発達早期の愛着の形成は重要なものですが、生涯発達の観点に立った現在の心理学では、幼児期・児童期以降の共感的な人間関係の経験でも性格傾向や行動特性を適応的に変容させられると考えられています。 承認欲求や自己実現欲求を含む自己愛は、生産的な社会活動や相互的な対人関係、意欲的な日常生活の原動力となるものです。しかし、自己愛そのものが目的化したり自他未分離の病的な自己愛に固執し始めると、情緒的な不安定や対人関係の葛藤、見捨てられ不安を特徴とするクラスターBの人格障害(自己愛性人格障害・境界性人格障害・演技性人格障害・反社会性人格障害)の問題が生まれてくることがあります。 C.G.ユングは、人間の基本的な性格類型をリビドー(欲動のエネルギー)が自己の外部に向かう『外向型(extraversion)』とリビドーが自己の内面に向かう『内向型(introversion)』に分類しましたが、外向型の性格の人に自己愛の障害が起こると『顕在型自己愛障害』といった状態になり、内向型の性格の人に自己愛の障害が起こると『潜在型自己愛障害』といった状態になります。集合無意識を想定したユングの元型概念との関係性でいえば、自己愛性人格障害は、自分の無意識的な人格像である『影(シャドウ)』の抑圧や社会適応的な見せ掛けの人格像である『ペルソナ(仮面)』の過剰と深い関係があり、母親剥奪による自己愛の障害という観点では『太母(グレートマザー)』のイメージを意識領域にどう取り込んでいくかがカウンセリングのポイントとなります。 ナルシシズムと自己愛の障害、各種人格障害の問題については、改めて考えてみたいと思います。ハインツ・コフートの自己愛理論と自己愛性人格障害については、下記のウェブサイトのリンクを参照してください。 ■関連URL 自己愛性人格障害(Narcissistic Personality Disorder) 自己愛と対象愛によって満たされる私:健全な自己愛と病的な自己愛 ■書籍紹介 自己愛と境界例
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エディプス神話は「近代」の所産ではないか?
ここのところ、仕事で忙殺され、なんかこう余裕がなくなってしまって、本もろくに読めていない。 本だけじゃなく、ブログも飛ばし読みの飛ばし読みといった感じで、正直ダメだなーという感慨ばかりが募っている・・・ 眠りが浅くなり、明け方に仕事の夢を見るようになってしまった。やれやれ。 眠りが浅いせいで疲れがとれないというサイクルがついてしまったので、昨日は一念発起して病院で安定剤をもらってきた。 なので、今日の朝は眠ったという充実感を久々に感じた。 といっても、昨日の晩は発泡酒3リットル飲んでるから、なん... ...続きを見る |
人生、消去法 2007/02/11 19:01 |
自尊心を求めるH・コフートの自己愛の発達理論とS・フロイトの病的なナルシシズム
「発達早期の母親剥奪(mother deprivation)とナルシシズム(自己愛)の歪曲の問題」では、ジョン・ボウルビーの愛着理論とルネ・スピッツのホスピタリズム(施設症候群)を例に挙げて、健康で正常な精神発達に必要となる母性的なケア(共感的な母子関係)について言及しました。育児の目的である子供の自己アイデンティティの確立と心理社会的な自立を達成するためには、父性的な規律(相克的な父子関係)と母性的なケア(共感的な母子関係)の調和を上手く保つことが有効ですが、社会適応的な自己アイデンティ... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2007/02/14 02:50 |
自己愛障害(自己愛性人格障害)に見られる“自己中心性・承認欲求・脱価値化・カリスマ性”
広場恐怖をともなうパニック障害の病理学の記事で、精神疾患全般に共通する中核的症状として『不安・緊張・抑うつ・恐怖・混乱・強迫性』を上げたが、性格傾向の過度の偏りや対人関係が上手くいかない問題で重要になってくるのが『自己愛の障害』である。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2007/04/16 03:16 |
自己顕示的なパーソナリティ障害における“虚言癖・演技性の心理”と“他者操作・場の支配の影響”
古典的な性格心理学では、カール・ヤスパースなどが相当な無理や演技をして『自分を現実の自分以上の存在として顕示すること』をヒステリー的な自己顕示と定義したが、これは演技性人格障害の特徴に近い自己顕示のやり方であると言える。しかし、他者危害性の小さい演技的(オーバー・おおげさ)な自己顕示の問題が“病理的”であるとまで言えるかは微妙であり、自己顕示の最も病理的な現れとしては『欺瞞・虚言・犯罪に基づく顕示的な言動』などを想定することができる。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2008/07/11 12:32 |
精神分析的なエロス論と大人の性愛コミュニケーションに内在する“退行・依存”の要素
S.フロイトはエロス(生の欲望)の原点として『口愛期』における口唇周辺の快楽を仮定しましたが、エロスとは単純な自己保存(生存維持)の目的を超えた『他者への欲望』です。『エロス』に基づく精神分析の汎性欲説(性一元論)や無意識の決定論には多くの反論異論がありますが、汎性欲説が科学的理論ではなくても『人間がパンのみにて生きるにあらず、人間は一人では生きられない』ということについては大半の人が実感として同意できることだと思います。エロスを大人の性欲の次元だけで捉えると問題は矮小化しますが、普遍的な... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2009/01/27 04:50 |
S.フロイトの“エディプス・コンプレックス”とM.クラインの“原始的防衛機制”に基づく発達的な病因論
『前回の記事』では、S.フロイトの無意識概念に基づく精神分析の病因論と作用機序を考えてみたが、精神分析の病理学の特徴はエミール・クレペリンの生物学主義を否定して『精神症状の心理学的意味(欲求の抑圧のメカニズム)』を探求したところにある。フロイトは『偶然の産物・脳神経系の機能異常』に過ぎないとも解釈できる『失錯行為・夢・神経症(精神疾患)』のすべてに独自の理論体系に基づく意味を求めたが、これは『自然な病的過程・生物学的な原因』に批判的なスタンスであった。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2009/05/25 21:04 |
慈恵病院の“赤ちゃんポスト”の検証結果と匿名の相談体制についての雑感:子どもの福祉と大人の倫理
熊本市の慈恵病院が運営している『こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)』の利用状況・意義を検証した熊本県の最終報告書が公表されましたが、赤ちゃんポストに子どもを預ける理由は『戸籍に入れたくない・生活困窮(経済的理由)・不倫・未婚・世間体・性犯罪の被害』などが上げられていました。自分の子どもを育てられない理由として、常識的にイメージされるのは『仕事がなかったり所得が極端に少なかったりという経済的理由』ですが、『戸籍に入れたくない』という理由が一位に来ていることはやや意外な印象を受けます。 ... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2009/12/01 02:55 |
赤ちゃん(新生児)の視覚・聴覚の発達とヒトの乳幼児期の特殊性1:ベビーフェイスと保護本能
人間の赤ちゃん(新生児)は、他の動物と比べても非常に無力・未熟な状態でこの世界に産みだされますが、A.ポルトマンの生理的早産の理論にあるように、『未熟であるが故の成長可能性(脳機能・認知行動パターンの可塑性)』こそが、ホモ・サピエンス・サピエンス(知恵ある人)である人間の最大の特徴になっています。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2011/06/29 04:46 |
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