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help リーダーに追加 RSS 平野啓一郎『顔のない裸体たち』の書評1:ウェブ世界でバーチャル化する出会いの特徴

<<   作成日時 : 2006/12/08 00:50   >>

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平野啓一郎の『顔のない裸体たち』の具体的な感想を記述する前に、現代の多様化する『バーチャルな性愛事情』について若干の解説をしておきたい。ここでバーチャルな“恋愛事情”と書かずに“性愛事情”と書いたのは、『顔のない裸体たち』では精神的な信頼や敬愛を前提とする恋愛感情ではなく、『匿名的(バーチャル)な出会い』から始まる支配と服従の倒錯的な性愛関係を中心にして物語が進展していくからである。

そして、最後には、二人だけに閉ざされた『肉体的な関係』を社会(他者)に開かれた『精神的な関係』へと転換しようとした男のまっとうな恋愛感情によって、物語は最悪の悲劇的な結末を迎える。バーチャルなアイデンティティとリアルなアイデンティティの融和に失敗した男(片原盈=ミッチー)は、女(吉田希美子=ミッキー)と普通の恋愛(結婚)をする未来が実現しそうにない予感に絶望した。バーチャルなアイデンティティに依拠した「遊びの男女関係」から現実の自分に戻り損ねた女(ミッキー)は、微かに根ざした情愛から男(ミッチー)と縁を断ち切るタイミングを見誤って教師としての社会的信用を失った。

『顔のない裸体』を欲求するバーチャルリアリティから始まった関係であっても、一度、『顔のある裸体』を抱いてしまうと匿名性のヴェールが揺らいでくる。社会的な現実生活に踏み込まず割り切った性愛関係だけで終わらせようと思っても、ウェブの人格と現実の人格を完全に使い分けようとする男女の意志と希望がある程度一致していなければ、お互いの未来に責任を負わないドライな「遊びの男女関係」を長期間にわたって継続することは至難なのである。

インターネット(ウェブ)という仮想世界の出現は、それまでの人間関係・男女関係の形成方法に劇的な変化を与えた。インターネットが誕生する以前の世界では、私たちは自分の日常生活や社会活動の文脈から完全に切り離された『他者』と出会う方法や技術を具体的に持っていなかった。テレクラやナンパ、講演会、ワークショップなどイレギュラーな出会いの場は確かに存在していたが、基本的に私たちが取り結べる人間関係は、学校・職場・地域などで直接知り合った相手に限られていたといっていいだろう。

故に、インターネットと携帯電話が一般に広まる以前の男女関係の始まりは良くも悪くも、『地理上の物理的な距離』『リアルな出会いの機会』に大きく制限されていた。情報化社会が進展する前の世界にも、地理的な距離を隔てた遠距離恋愛というものは確かに存在していたが、その場合にも『元々近くにいた相手(学校・職場・地域などが一緒だった相手)』であることが多かったし、『地域を問わない不特定多数の異性』を相手にしてコミュニケーションを図るというような情報インフラ自体が存在していなかった。

かつて、といっても今から10年ほど前になるだろうか、全く面識のない異性に話しかけて親しくなろうとするには、街角や車でのナンパしか手段がなかった。ナンパ(軟派)というのはその言葉の響きから感じ取れるように、巧言令色を用いたコミュニケーションで女性を楽しませて、刹那的な付き合いのきっかけを掴もうとするものである。無論、ナンパでも性愛的な快楽のみを目的とするものもあれば、きちんとした男女交際へと発展させようとするものもあり、それはネットでの出会いも同じである。

ネットや携帯が普及する以前には、深夜に若い男女が車で集まり、女性が乗っている車の前に男性の車(無理してローンで買ったような中古のVIP系高級車)が列を為して順番待ちをするナンパの名所的な風景が地方都市には見られた。あるいは、ナンパよりも匿名性の高い出会いの方法としてテレクラと呼ばれるものもあったが、インターネット時代の出会い系よりもそのハードルは高く、何処かアングラなイメージがあって一般の人々の利用率は低かった。冷やかしでテレクラを利用する高校生などもいることにはいたが、援助交際という言葉さえ存在しなかった時代には、極端に年が離れた男性と実際に会うような高校生は殆どいなかった。

物理的な現実社会でのナンパにも『匿名性』は確かにあるが、ファースト・コンタクトでお互いの『身体性(容姿・外見・ファッション・メイク)』を確認できるという意味で、電子的な仮想社会における『匿名的な出会い』とは質的に異なる。

ナンパで全く言葉を交わしたこともない異性に、突然声を掛けて食事や遊びに誘う場合には、話題の選択や趣味の共通性よりも、容姿や外見、年齢の要素が重要になってくる。つまり、ナンパでは話し掛けた時点の数秒間でその成否はほぼ決定していることが多く、自分の趣味や性格、価値観などをアピールするための十分な時間を与えて貰える可能性は極めて低い。また、飛び込み営業のような物理的なナンパでは、話し掛けた時点の女性が暇なのか忙しいのか、彼氏がいるのかいないのか、性的に貞淑なのか開放的なのかなどの付帯情報を手に入れることが難しい為、初めから全く親密になれるチャンスのない相手に声を掛けてしまうことも少なくない。

容姿・服装・スタイルなどの外見的要素による第一印象でほぼ全てが決まる『ナンパ文化圏』は、ここ10年ほどで急速に拡大した『広義の出会い系文化圏』よりも明らかに狭い。ネットの出会い系文化圏では、そこに参加する年齢層や社会階層の幅が広く、外見や職業による無条件の拒絶などの心理的な参加障壁が低いので、ナンパ文化圏よりも多種多様な属性と個性を持つ人間が集まりやすいのである。異性との出会いや刹那的な快楽を求めてネットに接続する人には、医師や教師、作家、学者といった知的な職業に就く者もいれば、会社経営者や投資家、資産家といった経済的に裕福な者もいるだろうし、一般の会社員や公務員、フリーター、無職などまで非常に広範な領域に属する人たちがいて、気軽にあるいは真剣にコミュニケーションしている。

『リアルのナンパ文化圏』では基本的に年齢層が若者に限定されていて、外向的な性格傾向の人でないと数打ちゃ当たる式のナンパを継続することは難しいが、ネットを利用した『広義の出会い系文化圏』は容姿やファッション等の視覚情報が乏しい為に、年齢差を意識せずに話し掛けることができ、初対面の相手から返事が返ってこなくても受ける精神的ショックが小さい。現実社会では、『継続的にコミュニケーションできる関係性』を築くまでが難しいが、ウェブでは初めから話を聞いて貰える可能性が高いので『暫くコミュニケーションをして好意・信頼を得た後で会う』という方法を採用することが出来る。

平野啓一郎の“顔のない裸体たち”というフレーズを借りて表現するならば、顔のある現実社会では『会ってから関係を深めるという方法』しか採用できないが、顔のないウェブ世界では『関係を深めてから会うという方法』を採用できるので、相手の興味や好意を惹きつける文字(音声)ベースのコミュニケーションスキルが影響する度合いが大きくなる。バーチャルな人間関係であっても、いったん形成された情緒的な結びつきや心情的な好感は関係性を発展させる強力な要因となるので、「ウェブでの男女関係」は「現実での男女関係」よりも内面的(言語的)要因に影響される割合が大きく、最低限の基準での門前払いのリスクが小さくなる。

また、仮想世界のウェブにおける出会いの最大の特徴は『膨大無数な異性のカタログ(プロフィール)』を一覧してから、コミュニケーションを取る相手を選べるということであり、明確な出会い(恋愛・結婚・性愛・遊び)の意志を持って登録している相手にメッセージを届けられるということである。現実社会では、幅広い年代層の異性をカタログ的に一覧することは不可能であり、話し掛けられるチャンスのある相手も限られているが、日本全国からアクセスできるウェブでは何十人、何百人という相手に対してアプローチをかけることが技術的に可能である。

そういったあからさまな男女の出会いでなくても、趣味や価値観の合う相手とブログやSNSでコミュニケーションをしている内に親密な関係に発展することもあるだろうし、何より社会的属性が捨象されるウェブでは、年齢や地位、経歴に捕われない対人関係のフラット化が進みやすい。その結果として、ウェブでのコミュニケーションは『内面的な話を聞いて貰いやすい・共通の関心を持つ相手を見つけやすい・現実の自分と異なるアイデンティティを確立できる・公然と話しにくい話題でもストレートに話せる』という特徴を帯びてくる。

不特定多数の匿名者と出会ってリアルでの関係につなげられるウェブは、気軽に異性や仲間を探せるメリットがある一方で、悪意ある人間と知り合って犯罪に巻き込まれたり予期せぬ裏切りに遭うリスクもあるので、面識のない相手と実際に会う場合には、相手を理解するための時間を十分に取ったり、初めは友人と一緒に会うなど慎重な配慮と警戒が必要なのは言うまでもない。

長くなったので、小説の本編の感想と人間のバーチャル化(アイデンティティが複数化)する異性関係の問題については次の記事に書きたいと思います。


■関連URL
相手の愛情や好意を惹きつける“対人魅力”と遠距離恋愛を困難にする“単純接触機会”の増加
『同じ穴の狢コミュニケーション』と『尊厳保持のコミュニケーション』:人の本能と倫理の価値承認を巡って
平野啓一郎『一月物語』の書評


■書籍紹介
顔のない裸体たち (単行本)

ウェブ人間論 (新書)

生物進化とハンディキャップ原理―性選択と利地行動の謎を解く (単行本)




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