カウンセリングルーム:Es Discovery

アクセスカウンタ

help リーダーに追加 RSS 『行為の法的責任』を何処に求めるか?:道義的責任(主体責任)と社会的責任(結果責任)の比重

<<   作成日時 : 2006/10/13 22:01   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 7 / コメント 0

理性的抑制と本能的欲望が葛藤する脳の構造:『認識能力』と『行動制御』で構成される責任能力の記事で、脳の生理学的機序と刑法の責任能力について雑多な感想を書きましたが、それと関係して、近代法の理念や少年法の問題について書きかけていたので公開しておきます。
環境と遺伝に関係した性格心理学などの問題にも踏み込みたかったのですが、時間がなかったのでまた心理学やカウンセリング関連の記事を書く時に、性格理論・行動原理と遺伝などについても考えてみたいと思います。

近代法では、刑罰を求める刑事訴訟においても損害賠償を求める民事訴訟においても、社会秩序を維持する法規範の原点は『個人の自由意志(合理的思考)に基づく責任能力』にあると見なします。しかし、2001年に起きた大阪教育大付属池田小の児童殺傷事件で死刑を執行された宅間守元被告が、心神喪失状態を惹起する精神障害を装って複数回の不起訴処分を受けていたことなどから、精神鑑定の不完全さに対する批判や心神喪失に関する裁判所の判断への不信感などが高まってきている状況があります。

それ以外にも、単発的に起こる重大な犯罪事件において、心神喪失や年齢条項(14歳未満)による不起訴処分が言い渡される事例は少なくなく、『加害者の人権』『被害者の人権』のバランスが崩れているという指摘の声も大きくなってきています。

具体的には、少年犯罪や心神喪失者による犯罪の被害者は、メディアスクラムを受け、被害者の人生の経歴や交友関係などの個人情報が洗いざらいテレビ報道されて、プライバシー権が著しく侵害されることがあります。その一方で、犯行時に少年だった加害者や心神喪失状態にあった加害者の場合には、実名・職業・顔写真・生活履歴が公開されず、法律によってその個人情報や施設出所後の生活の安寧が守られているという状況があり、この事に対する不平等感や不条理感が高まっているように思えます。

心神喪失状態にある触法精神障害者の問題と未成年者の少年犯罪の問題を同じ次元で語ることは出来ませんが、善悪を分別して行動を制御できるという意味では、特別な精神障害のない16歳以上の未成年者のほうがより認識能力と行動制御能力は高いと推測されます。

犯罪行為の責任阻却事由を規定する刑法39条と刑法41条の最大の違いは、刑法39条は、個別的な精神機能や責任能力を鑑別する余地があるが、(少年の更生可能性と社会への再適応という政策的な意図がある)刑法41条は、年齢のみを判断の根拠にして、少年(14歳未満)には一律的に責任能力がないとする為に、個別的な精神機能(判断能力)を考慮する余地がないということです。

16歳以上20歳未満の殺人等重大犯罪に関しては、改正少年法の条項にあるように、一定の責任能力を認めて刑事罰の可能性を考慮せざるを得ないと考えている人が多いようですが、これは、16歳くらいの発達年齢であれば、自分の取った『違法行為の意味』と『結果の予測』がある程度は出来るはずだという経験的判断が働いているためです。

実際に、現行少年法では、20歳未満であっても16歳の年齢に達している少年が、故意の殺人罪など重大犯罪を犯した場合には、原則として家庭裁判所から検察官に逆送致されると規定されていますから、簡易裁判所などで刑事裁判を受けて、少年院送致・保護観察といった『保護処分』ではない『刑事罰(少年刑務所収監)』を受ける可能性が想定されています。

現行少年法でも判断が分かれる14歳以上16歳未満の少年に関してですが、善悪の判断能力(行為の結果の重大性の予測)の未熟や社会的経験の不足、家庭環境(養育歴)の悪影響、将来の更生可能性などを鑑みて、余程、罪質の凶悪性や動機の異常性が明らかでない限りは、原則的に、刑事罰は科さず家庭裁判所の審判による保護処分(少年院送致・児童保護施設(児童自立支援施設)・保護観察)に付したほうが良いと思います。

保護処分で少年の行動を穏やかに見守るだけでは不十分なので、実効性のある矯正教育プログラムや精神的問題に対処する治療プログラムを適用していく必要があります。

しかし、少年法に基づく現状の少年審判の最大の問題は、少年の再犯可能性を最小化する専門性の高い矯正教育プログラムが適切に実施されているとは言い難いことにあります。また、少年の判断能力や倫理感覚を鈍磨させる精神障害(発達障害含む)の問題を改善して、社会的脅威を取り除く包括的な治療プログラムと社会適応のための認知行動療法(カウンセリング)やSST(社会生活技能訓練)の充実も求められます。

現行少年法で刑事罰(少年刑務所)の対象になっていない14歳未満の子どもでも、社会的脅威性の高い悪質な犯罪を犯す可能性はありますが、14歳未満の場合にはやはり、現状通り保護主義や教育法の原則に則った寛容な対処をとったほうが良いのではないかと思います。凶悪性や異常性が極端に強い犯罪行為で更生可能性に乏しいケースでは、児童保護施設(医療施設)における長期的な矯正教育や措置入院を考慮する必要はあるとは思いますが、14歳未満の少年に少年刑務所への懲役(禁固)などを科す厳罰化の加速化は、適切な対処ではないように思えます。

少年犯罪に関しては、『厳罰化による犯罪抑制効果』『保護主義による教育更生効果』との比較衡量がポイントとなります。国民世論が、少年を厳しく処罰して懲らしめる(復讐する)ことで犯罪が抑制できると考えるか、少年の人格・行動の更生と社会への再適応を支援したいと考えるかによって、少年法の可罰年齢や虞犯少年の処遇などは緩やかに変化していくと予測されます。

14歳未満の子どもの場合には、生物学的な成熟の不完全性(医学的な精神発達上の問題)や異常な家庭環境(機能不全家族・被虐待状況)からのストレス、“行為の意味”と“結果の予測”に関する判断能力の不全が影響する度合いが大きい一方で、社会的行動の可変性や価値観の可塑性が高いという特徴があります。その為、子どもが養育されるのにふさわしい生活環境と善悪の認識能力を培える人間関係に基づく教育環境を準備することが出来れば、健全な行為規範を持つ人間へと更生して社会生活に再適応できる可能性があると考えます。

無論、犯罪加害者が健全な人格の再構成に成功し、正常な行為規範の習得をして人間的に更生しても、被害者遺族の怨恨に基づく復讐感情が慰撫される保障がなく、犯罪加害者が適切な倫理観念を身に着けて再犯をしないと誓っても、殺された被害者の人権(生存権)は永久に救済されないという問題は依然として残ります。

『加害者の人権保護と被害者の人権保護の不平等』という問題は、応報刑の立場を原理的に突き詰めていけば、『目には目を、歯には歯を』のハンムラビ法典的な同害復讐法に行き着くしかありませんが、行為者の年齢や責任能力、生活環境、動機・理由、罪質といった要因を完全に無視して『復讐としての刑罰』のみに偏ると、情状酌量の余地を排除した復讐原理が支配する国家となる恐れがあります。

また、被害者や被害者遺族の性格・気質類型や人格特性・価値観によって、『加害者に対して、どの程度のレベルの復讐的制裁を実行したいか』は大きく変わってくることや、遺族のいない被害者が出た殺人事件の場合には、復讐感情を量刑にどの程度反映させるべきなのかなどの問題がでてくることが予測されます。『被害者遺族の復讐感情』を中心に量刑水準を決定することには、被害者の親族関係や復讐の意志の強度などによって『量刑の格差』が生まれるなど幾多の困難があります。

被害者の復讐感情を国家権力が代行して刑罰を与える『復讐法』の要素を、近代法の原則に違背しない形で織り込むには、情状酌量の余地が殆どない身勝手極まりない重大犯罪、人を殺害する動機に共感の余地のない凶悪犯罪への厳罰化が中心になると思います。それと並行して、心神喪失者や心神耗弱者といった責任無能力者・不完全な責任能力者の処遇をどうするのかという困難な問題が依然として残っています。

私は、『善悪を弁別する認識能力とそれに従って行動を選択する行動制御能力が完全に欠如している場合には法的責任を追及できない』とする近代法の原則を大きく踏み外すことに対しては、現在のところ批判的であり、責任能力と刑罰の意味、受刑能力に関する議論は慎重に行うべきだと考えます。

仮に、責任能力の有無を全く問わずに刑罰を科す段階まで厳罰化すると、罪刑法定主義の仕組みを理解できない『法的な責任無能力者』を、行為の結果のみで処罰することになりますが、これは『責任がなければ刑罰は無意味である』とする近代法の基本原則から大幅に逸脱することになります。

カントやヘーゲル、フォイエルバッハといった刑法の古典学派では、『善悪を判断して行動を選択できる自由意志の存在』が、権力が刑罰を科す意味(有効性)と責任能力を保障しますが、ロンブローゾやフェリーといった近代学派では、責任能力は受刑能力(刑罰適応性)と同一のものであり、自由意志の存在は重要なものではないと考えます。

『犯罪者の責任をどう問えるのか?』という問題について、古典学派は犯罪者が自由意志によって選択した行為に対する『道義的責任』を問えるとし、近代学派は犯罪者の自由意志とは無関係に、反社会的な行為の社会的危険性(社会防衛上の危機)に対して『社会的責任』を問えるとします。

行為の重大な結果である『社会的危険性(社会的有害性)』に着目して、社会防衛の目的を持って『目的刑(教育系)』の刑罰を科す場合には、近代学派の『社会的責任論』に立脚することになりますが、近代学派では自由意志の存在を認めないので、行為の主体者に応報刑を与えて社会防衛をすることは適切ではないということになります。

現行の刑法は、行為の主体者の道義的責任(古典学派の立場)が重視されていて、古典学派では、刑罰は違法行為の悪性の度合いに対応して与えられる罰則であるという『応報刑』が重視されます。

しかし、近代的な『応報刑』は、被害者の復讐感情を代理執行する『復讐法』とは異なるので、目的刑(教育刑)のように社会的危険性に対して加えられるものではなく、責任能力のある個人の犯罪行為に対する『応報(必然的な罰)』として加えられるものになります。

近代法は、前近代的な自力救済の復讐(仇討ち・決闘)を禁止し、国家権力の濫用による国民の権利・自由の抑圧を防止する為に、被害者の復讐感情を代理するという『復讐法の原理(加害者・被害者の図式)』の大部分を捨象してしまっていると見ることが出来ます。

現在、『被害者救済の不十分さ』や『被害者遺族の権利侵害』『加害者の行き過ぎた権利保護』などが問題視される場面が増えていますが、それは近代国家が、社会秩序の維持を目的とした応報刑と教育刑(目的刑)以上の刑罰を加害者に科すことに慎重であり、『社会(国家)と加害者という図式』にこだわっているからかもしれません。

これには、被害者遺族の心情を忖度した司法の行き過ぎた懲罰を防ぎ、社会防衛や秩序維持に必要な刑罰の重さを越えた罰則を与えないという利点もあるので、『加害者に対する怨恨・復讐の感情を量刑にどの程度含めるべきなのか?』の問題について一義的な回答は容易には出せないと思います。

何故、『行為の結果(社会的危険性)』ではなく『行為の意図(主体の責任)』によって処罰可能性が決まってくるのだろうという疑問が湧いてきますが、それは、犯罪行為を有効に非難する為には、行為者に責任能力(善悪・規範を理解する能力)が必要だと考えられている為です。

人間社会における責任の履行は、『物理的現象(自由意志が関与しない結果)』ではなく『主体的な人間(行為の選択・過失・故意)』に求められるべきであるという前提に立てば、道義的責任論に立つことになります。そうなると、善悪の弁別や行為の意味、規範の意義を理解できない責任無能力者の道義的責任を問うことは、無意味であり無効ということになります。

行為の責任を問うべき法的な責任主体(合理的人間)がいないということは、地震・台風・落雷などの自然災害のような非人格的な現象による被害に類するものと見なすことも出来ますが、実際には、責任能力がある人とない人とが、綺麗に二分法で線引きされているわけではないでしょう。

個人の行為に対する『自由意志の清明度と関与度のレベルの違い』がグラデーションを描いていて、ある閾値を越えると責任能力を問うことが出来ないレベルに到達すると考えるのが自然かもしれません。犯罪行為を行う際に完全に責任能力を喪失することがどの程度有り得るのかということについては、精神医学的・脳科学的な研究の知見をもとに議論を深めていく必要があると思います。

どのくらいの精神障害の重症度や現実検討能力の低下があれば心神喪失・心神耗弱と見なせるのかという司法精神医学的判断については、どの医師が鑑定してもほぼ同じ結果が出ることが望ましいことは言うまでもありません。しかし、連続幼女殺害事件の宮崎勤被告やオウム事件の麻原彰晃被告の精神鑑定の結果が専門家によって大きく割れたことなどを見ても、精神鑑定において結果の再現性(客観的な検証性)の高い判定基準を確立するのは相当に難しいといわざるを得ないでしょう。


■関連URL
山口県光市母子殺害事件が問いかける社会正義と人権:1

山口県光市母子殺害事件が問いかける社会正義と人権:2


■書籍紹介
新・日本近代法論

少年犯罪-ほんとうに多発化・凶悪化しているのか-

累犯障害者
新・日本近代法論

設定テーマ

関連テーマ 一覧

月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(7件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
学校教育システムの機能不全の露呈と生徒が所属する集団(グループ)の発達変遷過程
愛国心や規範意識、学校再建、教員教育(教員免許更新制)などの問題を巡る教育基本法改正の議論が盛んになっているこの時期に、いじめや学級崩壊、世界史の履修不足、保護者の非常識な振る舞い、教員の指導力不足といった学校教育が抱える諸問題が一気に噴出してきて現場と世論が紛糾している。 ...続きを見る
カウンセリングルーム:Es Discov...
2006/11/13 07:17
三権分立を前提とする近代法の原則:心神喪失者等医療観察法の理念と処遇について
『行為の法的責任』を何処に求めるか?の記事で、重篤な精神病などで善悪の判断能力を障害された場合や年齢が成人に満たない場合の道義的責任と社会的責任について考えましたが、自由意志の有無と刑罰の有効性(適法性)の関係というのは非常に難しい問題です。 ...続きを見る
カウンセリングルーム:Es Discov...
2006/11/19 18:35
反社会性人格障害の診断と社会防衛的な精神医学の視点の問題
前回の記事と関連する内容ですが、行為障害と反社会性人格障害のアクティング・アウトとしての側面と精神医学の対象疾患が増えることによる“過度のラベリングの問題”について触れておきたいと思います。 ...続きを見る
カウンセリングルーム:Es Discov...
2006/12/21 12:51
スティーブン・J・グールド『人間の測りまちがい』の書評3:ロンブローゾの決定論に基づく刑法思想
イタリアの医師チェザーレ・ロンブローゾは、刑法学のテキストに掲載されるほど犯罪心理学に大きな影響をもたらした歴史的人物ですが、ロンブローゾの構想した『犯罪人類学』というのは単純にまとめれば、『犯罪者は、生まれながらに犯罪者としての解剖学的特徴を持つ(サルに先祖返りした身体的特徴を持つ人間が、原始的本能を制御できずに犯罪を犯す)』という生得的犯罪説を肯定するものでした。 ...続きを見る
カウンセリングルーム:Es Discov...
2007/01/14 07:13
大泉実成『人格障害をめぐる冒険』の書評:1
司法精神医学に基づく精神鑑定の重要な鑑定事項として、『加害者の法的な責任能力』の判定と『刑罰の適用可能性』の判定があるが、現在の日本の刑法では心神喪失者や心神耗弱者と鑑定されれば刑罰の量刑が減免される可能性が高くなる。私も本書『人格障害をめぐる冒険』を読むかなり前に、過去の幾つかの記事において(最後に挙げる関連URL参照)重篤な精神障害と法的な責任能力の問題について考えてきたが、刑法の責任原理が有効になるためにはその人間に『善悪を判断する自由意志』が存在しなければならない。 ...続きを見る
カウンセリングルーム:Es Discov...
2007/07/02 06:30
山口県光市母子殺害事件の死刑判決・“当事者の応報原理”と“社会的な秩序維持”を代理する死刑制度の考察
1999年の山口県光市母子殺害事件の被告に対して広島高裁の差し戻し控訴審で『死刑判決』が出されたが、前回の最高裁審理における差し戻しの理由が『特に酌むべき事情がない限り、死刑を選択するほかない』とするものだったので今回の判決は十分に予測されたものであった。現行の刑法規定のみから考えると18歳以上の殺人犯には死刑が科されてもおかしくはないが、日本の判例から考えると20歳未満の少年が起こした被害者二人の殺人事件としては異例の判決であるとされる。犯行当時18歳になったばかりの少年だった被告(27... ...続きを見る
カウンセリングルーム:Es Discov...
2008/04/25 07:24
『裁判員制度』の選任方法・設立趣旨と国民を刑事司法に参加させる方法について
来年5月から裁判員制度が実施されることを受けて、最高裁判所が11月28日に各地方裁判所の『裁判員候補者名簿』に載ったことを知らせる『通知書』を全国の約29万5000人に一括送付しました。裁判員候補者名簿に掲載される確率は352分の1でかなり高いものであり、一生涯に一度くらいは誰もが(最終的に裁判員に選任されるかどうかはともかく)候補者名簿には載るのではないかと推測されます。 ...続きを見る
カウンセリングルーム:Es Discov...
2008/12/01 12:46

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コンテンツ&本の紹介

Es Discovery's Encyclopedia(百科事典的なアーカイブ)

ESD ブックストア(インスタントストアで色々なジャンルの本を紹介しています!)

心理学の事典や臨床心理学の概説書

S.フロイトとC.G.ユングの書籍