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フロイトは、無意識に自然的本能や動物的欲求としてのエスを想定し、エスは『非言語的で無構造なもの』と考えていましたが、ユングは集合的無意識を『言語で翻訳し得る物語性と人類共通の構造を持つもの』と考え、その集合的無意識のパターン化された内容である元型は、イメージとして意識に顕現してくると述べました。 正統派精神分析の『無意識の非言語性・無構造性・本能性』を否定して、無意識に言語体系(イメージ体系)の構造性を持ち込むという意味では、ユング心理学の無意識概念は、言語的体系を無意識に想定するラカン派の無意識観に似ている部分があります。 精神療法(心理療法)としてのユング派を精神分析と比較すると、『無意識の意識化や生育歴(転移感情)にまつわる記憶の整理』を重視する精神分析に対して、ユング派は『無意識と意識のバランスの取れた統合』や『人生の物語的な再構築(ナラティブな要素)』を重視するという特徴があります。 精神分析だけでなくカウンセリング一般では、現実検討能力と環境適応機能の中核である『自我機能の強化』が重視され、理性的な働きをする自我は一般的に、原始的反射や動物的本能よりも人間の精神的健康や社会活動への適応にとって大切なものと考えられています。 ユング派の精神療法でも自我の強化や成長は重視されますが、フロイトの説く自我がエスや超自我を適度に調整するという『自我の特権的地位』に対しては批判的であり、『無意識のイメージや物語に注意を向けて、無意識からのメッセージを現実生活に活用する』という特殊な精神療法の治療機序を持っています。 ユングは『自己(セルフ)』という元型を考えて、それを無意識と意識の両方を合わせた精神内界全体の中心に位置するものと定義しましたが、この自己が、意識と無意識の力動を統合して自己実現的な本来の人生を生きようとする原動力になるといいます。 自我(エゴ)と自己(セルフ)の最大の違いとは、現実的な自分の立場からの判断や知覚を最優先してそれ以外の精神内界のイメージや感情を否定する機能が『自我(エゴ)』であり、外的現実性以外の内的現実性も受け容れて精神内界のイメージや情緒の意味を読み取ろうとするのが『自己(セルフ)』であるという事です。 意識領域の中心にある自我(エゴ)は、無意識領域から侵入してくる強烈なイメージ(元型)や圧倒的な欲望を否定して抑圧しようとしますが、意識と無意識の中心にある自己(セルフ)は、無意識から生起してくるイメージ(元型)の持つ意味を解釈し、圧倒的な欲望を現実世界に合わせた形で充足させようとします。 実際の事例で考えると、職場や学校に過剰適応して周囲の期待や願望に応え続けている人は『強い自我』を持っていますが、無意識と意識を統合調整する『自己』のバランスを欠いていますので、精神的ストレスを受けやすくなり、消化器潰瘍や頭痛などの心身症やアレキシシミア(失感情言語症)を発症するリスクが高くなります。 精神分析学や分析心理学では、無意識領域の記憶や情動、欲求への洞察による『人生の精神的歴史の再体制化』が重要視されますが、アサーティブ(自己開示的)なカウンセリングでは、『抑圧された感情や気持ちのカタルシス(情動の浄化)』を促進することでハンス・セリエの汎適応症候群の長期化や重症化を抑止しようとします。 心理社会的ストレスを蓄積し過ぎないようにするストレス・コーピングの一つが、自分のありのままの気持ちや自然な感情を大切にして、不満や怒りがあればその愚痴や雑談を誰か信頼できる人に聴いて貰うことなのです。 誰でも他人が不愉快な思いをした話や理不尽な対応をされた話を聴くのは気持ちの良いものではないかもしれませんが、心理専門家でなくても夫婦で率直な話し合いの時間を持ったり、友達同士で気楽に自分の悩みを話せる関係を持つことは、メンタルヘルスを維持するためにとても大切なことなのです。 自然科学確立以前の人間の精神世界には、人に勇気や愛情、希望、恐怖といったさまざまな心理的効果を与える無数の幻想的ファンタジーが錯綜していて、象徴的なイメージが集まって神話的物語を構築していたとユングはいいます。 フロイトは夢に出現するイメージの全てを無意識的な性的願望の現れとして『置き換え』や『象徴化』、『圧縮』といった防衛機制で解釈します。しかし、ユングは蛇を男根の象徴化とのみ見なすような精神分析的な夢解釈を否定して、キリスト教的な罪悪感と知恵のイメージとして蛇を捉えたり、大地を這う蛇を母性原理(大地の生命生産)の象徴と見たり、ギリシア・ローマ神話に登場する医学と魔術の神ヘルメス(メルクリウス, マーキュリー)の持つ『癒しの杖』に絡まる二匹の蛇と解釈したりしました。 ユングは蛇のみを取り上げても、そこに『知恵・生命・死・回復・治癒・女性性・罪悪感』といった様々な心理的意味を読み解いていくのであり、分析心理学を体系的に極めて臨床応用する為には世界各地の神話・伝承・歴史・風習に精通する必要があるとさえ言われることがあります。とはいえ、各人の心の中で生起してくるイメージと物語性の多くは、その人が帰属している文化社会の影響を受けますから、文化結合的な神話伝承を中心に学習を進めていくことが最も効率的な方法といえるでしょう。 そういった学習方法を考えると、分析心理学に深く入り込んでいくことは、比較宗教学や文化人類学、社会民俗学などの周辺領域の知見や理論を幅広く包括的に学んでいくことと同義であるといえる側面があります。 ユング心理学では、シジミーという男性性と女性性が対になった元型イメージがあり、このシジミーは生物学的なセックスや伝統的なジェンダー(社会的性差)の影響を受けやすいものでもあります。 しかし、ユング心理学の心理臨床では、『無意識の補償(compensation)』の働き(エナンティオドロミア)を重視しますから、過度に一面的なジェンダーの行為規範に従属したり、社会的な性別役割を無批判に実践することに対しては否定的な立場であるといえます。 エナンティオドロミアとも呼ばれる意識に対する無意識の補償作用あるいは心のエネルギーの大きな振幅(揺り戻し)とは、物事のバランス感覚を欠いた一面的な生き方や固定的な行動パターンを修正するように働く無意識からの補償作用です。 エナンティオドロミアの語源は、四元素説でこの世界の絶妙なバランスを説明した古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスにありますが、一面的な硬直した行動パターンや人生の生き方に対する反動現象のようなものと考えられます。 ■書籍紹介 創造する無意識―ユングの文芸論
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牧師と生涯学習(3)
「自我(エゴ)中心の精神分析学と自己(セルフ)の相補性を重視する分析心理学:無意識の補償作用」について うちらみたいな罪悪深重・煩悩熾盛の衆生は、日常生活において「自我」と「自己」という二つの言葉をいちいち区別して使ってはおらず、こうした気取った言い方よりも「自分」という言葉だけで事足りる気がする。インテリというのは物事をやたら区別し細分化したがる。ほどほどのところでとどめれば考えが整理されて良いこともあるが、行き過ぎると却ってワケのわからない話になる。フロイトの「自我(ego)」と「自己... ...続きを見る |
牧師の友 2006/08/30 17:26 |
カール・グスタフ・ユングの人生過程と分析心理学に関するコンテンツ
ウェブサイトで、分析心理学の創始者であるカール・グスタフ・ユングの生涯と思想を大まかにまとめたコンテンツを作成しました。興味のある方は読んでみてください。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2007/09/01 02:39 |
世俗と宗教の“ダブルスタンダード(二重基準)”によって支えられた前近代の秩序と近代国家の政教分離原則
過去の記事では、孔孟思想と老荘思想の違いについて考えましたが、儒教とはアニミズム(精霊信仰)と祖先崇拝から派生した一つの宗教であり、基本的には『今よりも昔を尊ぶ』という保守的な伝統復古の教えです。近代日本では儒教道徳(忠孝・仁義の徳)が大きな力を持った時期もありましたが、孔子という個人が創始した思想体系に過ぎないので、逐語的に『論語』や『孟子』の文章を規範化して受け止めても得るべきところは少ないでしょう。自分の日常生活や人間関係を豊かにするために儒教的な世界観や徳目を振り返ってみる場合には... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2007/10/31 13:30 |
エリザベト・ルディネスコ『ジャック・ラカン伝』の書評
『ジャック・ラカン伝(河出書房新社)』はエリザベト・ルディネスコの原書を藤野邦夫が翻訳した本だが、邦訳されたジャック・ラカンの伝記ものでは最も詳細な解説が為された作品だと思う。『ジャック・ラカン伝』は本そのものの版型が大きく内容も重厚長大で、ラカンの私生活の細々した部分や当時のフランス思想界の時代的背景の解説にまで踏み込んでいるので気軽に持ち運んで読めるような本ではない。また、ジャック・ラカンの思想や精神分析のアウトラインをざっと読みたいというような読者に向いている本ではなく、どちらかとい... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2008/11/02 10:54 |
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