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首都モスクワと並ぶロシアの大都市サンクトペテルブルグに屹立するエルミタージュ美術館での窃盗事件が先日報じられていたが、ロマノフ王朝の歴代皇帝と縁の深いエルミタージュの警備も、王朝崩壊後100年が経過しようとする現代ロシアでは、意外に杜撰なものになってしまっているのだろうか。 美術品の保管庫の管理をしていた女性職員と共謀して、絵画や彫刻、イコン(聖人画)など221点の所蔵品を盗まれてその大部分が闇ルートで売り捌かれたようだ。数人の職員を巻き込むだけで容易に盗まれてしまうという不十分な防犯システムは、エルミタージュに収蔵されている現代では複製することが不可能な美術品の歴史的価値を思うと意外に感じたが。建築物の偉観と美術館としての価値では、エルミタージュ美術館は他の世界的な美術館を圧倒する特異な存在感を持っている。 エルミタージュ国立美術館の原型となる冬宮や小エルミタージュは、帝政ロシアにおいて啓蒙主義思想に感化されて近代化(専制主義国家化)を精力的に推し進めたエカテリーナ2世(1729〜1796)という女帝によって作られた。 エルミタージュ美術館は、イギリスの大英博物館やフランスのルーブル美術館と並べて評価される世界三代美術館の一つだが、エルミタージュの原義が『隠れ家・隠棲の庵』にあるように皇帝個人の心を癒すプライベートなコレクションの空間として建設された歴史を持つ。 皇帝一族が寝起きする住居としての役割も果たしており、エカテリーナ2世の時代には彼女自身の私室を通らないとエルミタージュのコレクションを閲覧することは不可能な造りとなっていて、彼女自身や他国の王族、側近の重臣以外にはそのコレクションを目にする機会はなかった。 エカテリーナは大帝と称されることもあるが、ロマノフ王朝の皇帝の地位自体は、結婚当初から不仲であった夫ピョートル3世をクーデターで打倒することによって手に入れたものである。 ドイツ貴族の公女であったエカテリーナは、ロシア・ロマノフ王朝第8代皇帝として、絶大な権力と財力を背景にロシアの国土をウクライナやポーランド方面にまで拡大しただけでなく、女帝個人の裁量によって世界各国の芸術品や貴金属、工芸品を金に糸目をつけずにコレクションした。その結果として、冬宮を拡張した現在のエルミタージュ国立美術館の基礎が出来上がったのである。 贅の限りを尽くした豪壮な宮殿を建設し、世界中から名だたる高価な美術品や稀少な大型の宝石(貴金属)、優雅で繊細な陶磁器(セーブル窯・ウェッジウッド窯)などを蒐集し続けたエカテリーナ2世。彼女は、同時代の民衆や家臣からすれば、民衆の生活を省みない稀代の浪費家、散財の君主にしか映らなかったかもしれない。 実際、エカテリーナは病院建設などの公共事業は行ったが、弱者救済のための社会福祉行政や自由主義的な社会改革にはあまり熱心ではなかった。また、『自由・平等・友愛』のスローガンを掲げて勃発したフランス革命に対しても、専制君主政体を維持する保守反動の姿勢を明らかにしただけでなく、封建制度や専制主義を否定しようとする自由主義改革者を抑圧したとも言われている。 しかし、政治家としてのエカテリーナ2世の評価は、国益の確保と国力の伸張という観点では十分に合格点を与えることができる。ヨーロッパ諸王国と比較して後進国だったロシア帝国の勢力版図を拡張し、国際社会での発言力を増すことに成功した女帝として評価されている。 その一方で、民衆の生活水準の向上やフランス革命に起源を持つ民主的な政治改革という見方に立つと、絶対専制君主としての支配力を強めたエカテリーナ2世の政治は、民衆にとって搾取や抑圧の厳しい苛烈なものであったと言える部分が多くある。 オーストリアのハプスブルク家に栄光をもたらした女帝マリア・テレジア以上に強力な指導力を発揮したエカテリーナ2世は、封建的なロシアの政治風土の基盤を確固としたものにしたが、その長期にわたる統治期間を通してロシアの富国強兵と文芸振興を成し遂げ、ロシアを西欧列強に並ぶ専制君主国家へと押し上げた。 18世紀のヨーロッパとロシアは華やかで贅沢な貴族文化の最盛期にあり、各国の君主は当時一流の学者や芸術家を集めたサロンを開設したり、莫大な財産を投じて歴史的価値のある芸術品や工芸品、貴金属のプライベートなコレクションを充実させていた。 豪華絢爛なバロック様式から精細優雅なロココ様式への移行期にあって、絵画・彫刻・建設が絢爛豪華の精髄を極め尽くしていた時代でもあった。貴族的な嗜好や奢侈な装飾的趣味を満たす新たな芸術様式が探求されるようになった原動力は、専制主義国家の確立によって国土の財力が君主や政権中枢に一極集中するようになったからである。 ルネサンス(文芸復興)の風潮に倣う新古典主義(18世紀以降〜)と呼ばれるような伝統回帰の芸術思潮も生まれ、躍動的な生命力に満ちた古代ギリシアやローマの力強い作風の芸術作品が再評価される気運も生じた。 五つの豪壮で雄大な建築物(冬宮・小エルミタージュ・旧エルミタージュ・エルミタージュ劇場・新エルミタージュ)から成り立つエルミタージュ美術館は、新エルミタージュだけがエカテリーナ2世とは無関係に彼女の死後にドイツ人建築士の手により建設されている。皇帝一族のプライベートな私邸であり特権階級だけに閲覧が許された美術品の展示室であったエルミタージュが、公共建築の芸術館として一般公開され始めるのもエカテリーナの死後の1852年からであったようだ。 個人的なコレクションの充実と贅沢な趣味嗜好のためにはじめられたエカテリーナの芸術品収集であったが、後世になってみると、歴史的価値の高い芸術作品の保存・管理・集積に結果として貢献することになった。 その意味で、彼女は『文芸作品の保護者』『啓蒙思想の信奉者(政治的実践は伴わなかったが)』として好意的に評される事もあり、現在のエルミタージュ美術館の礎石を築いた人物としてその名を刻んでいる。 政治権力を縦横に駆使した女帝としてのエカテリーナ2世の功績は、『近代専制国家ロシアの国力増強』であり、芸術の保護者としての成果は、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエッロ、レンブラント、ルノワール、ゴッホ、マチスなどヨーロッパの芸術の歴史を網羅する『美の殿堂としてのエルミタージュ建設』にある。国家の財力を結集して建造されたロマノフ王朝期の建築物の豪壮と威厳は、他国の王朝と比較しても群を抜いた威容を誇っていた。 ロシア帝政の中興の祖ともいえるピョートル大帝(1671-1725)は、都市建設に適していないじめじめとしたネヴァ河畔の湿地帯に、人工の近代都市サンクトペテルブルク(聖ペテロの都市)を膨大な労働力を召集して建設した(1703年)。 強大な権力と財力を皇帝に集中させていたロシア帝政下では、民衆や奴隷は非常に重い税や労役の負担を強いられて貧困に喘いでいた現実も忘れてはならない。 ピョートルの大いなる覇権にせよエカテリーナの豪奢なコレクションにせよ、そういった民衆・農奴階級の苦難と困窮の上に成り立ったものであるという認識は必要だと思うが、エカテリーナ2世を女帝ではなく一人の女性としてその生涯を見直す時、彼女ほど恋愛の自由と性の奔放を死ぬまで貫いた女性も珍しいと感じる。 また、彼女は後年には頑迷固陋な政治を行う保守反動の構えを示したが、その前半生は、非常に熱心な政治思想書(モンテスキューの「法の精神」)や歴史書(タキトゥスの「年代記」)などの読書家であり、先進的な啓蒙思想を積極的に学ぶ開明的な知性と進取の気概を持っていたという。 エカテリーナの知的好奇心を満たす為の文芸サロンに集まった知識人のメンバーを見渡してみても、フランスを代表する啓蒙家ヴォルテールや百科事典派のディドロをはじめとして錚々たる面々が顔を揃えていた。 ヴォルテールもディドロも、哲学や文学といった狭小な分野に限定された教養を持つ人物ではなく、歴史・政治・経済・芸術などに関しても深い造詣を持っていた博覧強記の知識階層である。 目まぐるしく情勢が移り変わる政治の指揮を執る毎日に倦み疲れた女帝が精神の救済を求めたのが、華やかで煌びやかな芸術と文学の世界であった。その華麗典雅な芸術の素晴らしさをエカテリーナに知らしめたのが、頻繁に彼女と手紙のやり取りをしていたグリム、実際にどの芸術品や宝飾品を買うべきかをアドバイスしたのが美術品の知識と鑑識においても権威的存在であったディドロであったという。 エカテリーナ自身はコレクションを鑑賞して感想を述べたり、その華麗な目映い美しさを堪能することを好んだが、彼女自身が積極的に購入する芸術品の選別や鑑識を行う事はなく、どの芸術品を購入するかは彼女のサロンに集まるディドロなどの目利きが担っていた。 エカテリーナが何故、ごく短い期間の間に、ヨーロッパ諸国の国宝や重要文化財に相当する稀少な絵画・彫刻・工芸品・宝飾品・貴金属をコレクションすることができたのか。 その疑問については色々な意見があるが、やはり、当時のロシア帝国の財力がヨーロッパ諸国と比較して圧倒的に大きかったこと、貴族主義から専制主義への移行で経済的に零落するヨーロッパ貴族の数が増えており、大規模な個人コレクションがまとめて売りに出されていたことが一番の原因のようだ。また、エカテリーナは芸術や宝石について深い知見と鑑識眼を持つサロンのメンバーに、ヨーロッパ各国を網羅する人的ネットワークを構築させて、自分が欲しいものが売りに出されれば即座に買い付けられるような美術品収集のシステムを作り上げていたともいう。 エカテリーナは、ロマノフ家に嫁いでロシア名を貰う前には、ドイツの貧窮貴族であったアンハルト・ツェルプスト公告の公女であり、その名をゾフィー・フリデリーケ・アウグスタと言った。勿論、エカテリーナ自身はロシア人ではなく、血統的にもロシア王家との関わりも一切ないので、ドイツの小国の公女から広大な版図を支配するロシア大帝国の皇帝へと上り詰めたことになる。 彼女はその人生を通して次々と愛人を取り換え続け、精神的な陶酔と肉体的な快楽を貪欲に求め続けた。死ぬ間際の老年期に至ってもエカテリーナは、頑健で精力に満ちた男性を自らの寝室に招き続けたというから、灰になっても熾火のような性の欲望を燃やした一代の女傑、怪女であった。 しかし、仮に、女帝エカテリーナ2世が男に対して貪欲でなかったら、官能的な性愛への際限ない欲望がなかったとしたら、エカテリーナは、クーデターの主導者グリゴーリー・オルローフの助力を得られず皇帝の地位に就くこと自体がなかったし、壮麗な景観を誇る美の宝庫としてのエルミタージュ美術館も存在していなかったであろう。 エカテリーナにとって若々しい異性を求める強烈なエロスの衝動は、そのまま、政治権力を維持して帝国を統治する精力のエネルギーであったと言い換えることも出来るが、その起源を遡ると、エカテリーナの結婚相手ピョートル3世との徹底的な相性の悪さ、ピョートル3世の男性的な魅力の無さに辿り着くのかもしれない。 実際、ピョートル3世とエカテリーナの間には性的交渉はほとんどなく、エカテリーナは愚鈍なピョートルのことを徹底的に軽蔑し、ピョートルはピョートルで勝気で聡明な知性を持つエカテリーナを目障りで疎ましい存在だと感じていた。重症の包茎と性的嗜好の未熟の為に性機能不全に陥っていたピョートル3世のために、エカテリーナは結婚後8年を禁欲的な処女として生活したという。 エカテリーナの多彩で豊かな恋の遍歴を全て振り返る余裕はないが、彼女の性生活の充実と政治生活の躍進は連動していて、彼女が君主としての才知や器量に劣るピョートルに取って代わろうとする姿勢を持ち始めるのもピョートル以外の男性と初体験を済ませた後からであった。 エカテリーナの初恋の相手は、輝かしい絶世の美貌と洗練された学識や知性、恋愛に手馴れた男の持つ色香を持つ侍従のセルゲイ・サルトゥイコフであり、肉体的な快楽と陶酔の経験と同時にエカテリーナは妊娠し、そのサルトゥイコフとの間に出来た子は、彼女の死後にパーヴェル1世として皇帝位を得ることにもなる。 エカテリーナは、他の貴族的な男性からは得られない性の快楽を得るためだけに、筋骨隆々とした強靭な肉体を持つ軍人のグリゴーリー・オルローフと付き合ったのだが、結局、この青年と深い関係を持ったことで、エカテリーナは夫であるピョートル3世を退位させるクーデターに成功することになる。 グリゴーリー・オルローフは軍事行動の才覚や鉄の忠誠心、性的なパートナーとしての魅力には優れていたが、頭脳明晰なエカテリーナと哲学・政治・芸術・思想をテーマとするような知的な会話をする相手としては向いていなかった。無論、自らを女帝とするクーデターの際に最大の貢献をした人物なので、グリゴーリーをはじめとするオルローフ5兄弟は彼女の政権下でははじめ厚遇されたが、彼女の寵愛が冷めるにつれて次第に宮廷内の権力は違う男性へと移っていくことになった。 次から次へと新たな刺激と快楽を求めて魅惑的な愛人を探し続けたエカテリーナが、その生涯で最も真剣に誠実に愛した相手が、男性としての魅力だけでなく、政治的才能や軍事的指導力にも優れたグリゴーリー・ポチョムキン将軍であったという。 隻眼で巨躯を誇ったグリゴーリー・ポチョムキンは、気分や感情の変化が激しい躁鬱病的なパーソナリティの持ち主であったが、その予測し難い行動パターンと怜悧で的確な政治的頭脳がエカテリーナの心を強く惹きつけた。 エカテリーナの果てしない欲望を存分に満足させる頑健な肉体、国家の難事を相談するに足る明晰な知性、余人に妥協することのない偏屈な人格、他の愛人にはなかった政治家としての才能が、エカテリーナをポチョムキンの悪魔的な魅惑の虜囚とした。それまで全ての愛人を使い捨てにしてきたエカテリーナだったが、ポチョムキンに対してだけは彼に対する性的欲求が衰えた後も、国政の重要事項を任せる重臣として取り扱った。 エルミタージュ美術館の窃盗事件の話から敷衍して少しロシアとエカテリーナの歴史の話を書いて終わろうと思っていたが、ロシア帝政の歴史的変遷の話や女帝エカテリーナ2世の色恋沙汰のゴシップにまで話が拡散してしまった。 ドイツからロシアへと嫁いできたエカテリーナという女性は、『プライベートな性愛』と『パブリックな国政』を混同するかのような振る舞いをしながらも、決してプライベートな男女関係によって政治判断を誤ることがなかった稀有な女性君主である。 帝政ロシアを西欧列強に匹敵する専制国家として強大化するという彼女の政治理念が決して揺らがなかったことを考えると、エカテリーナが生涯、正式な配偶者を持たなかったことも、専制君主としての絶対権力を二分化させないための彼女の政治戦略であったように思えてならない。 自由奔放に様々なタイプの男性との「逢瀬の快楽」を求め続けながらも、帝政ロシアを指揮する政治権力の手綱だけは愛する男に握らせなかったエカテリーナ。恋愛や性の快楽に溺れて政治理念を見失う事がなかったエカテリーナは、皇帝の職責を担うに十分な強かな(したたかな)女傑であったようである。 『北のヴェニス』や『百橋百塔の街』と呼ばれる優美な景観の都市サンクトペテルブルクは、前近代的な後進国家であった帝政ロシアが、西欧列強の政治・経済・文化を精力的に輸入するために建設した人工都市であり、ロシア革命以後は政治権力の中心であるモスクワ・クレムリンに比して文化芸術の中心地と呼ばれている。 ソ連時代には、ロシア革命の指導者レーニンにちなんでレニングラードと呼ばれていたが、やはり、ロシアの聖なる古都を意味する名前、西欧文明化を象徴する都市名であるサンクト・ペテルブルクのほうが優美で荘厳な都市のイメージにしっくりとくる。 エルミタージュ美術館に収蔵されている個別の美術品や工芸品、宝石類については、文章では伝えきれない部分があるので、エカテリーナやエルミタージュのコレクションに興味がある方は、実際にサンクト・ペテルブルクのエルミタージュ美術館を訪ねるか、カラー写真が豊富な美術写真集を参照してみると良いと思います。 エカテリーナの恋愛や政治を巡る生涯について楽しく読みたいという人には、中公文庫から出版されている『女帝エカテリーナ 上下巻』が読みやすいのではないかと思います。 ■書籍紹介 エルミタージュ美術館 秘匿の名画
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