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社会心理学の知見をもとにして書かれた山岸俊男氏の『心でっかちな日本人』では、アメリカ人の個人主義と日本人の集団主義のステレオタイプの欺瞞を幾つかの実験を元に反駁し、いじめ現象の心理学的還元に対して『人間は集団内で自分の心(判断)に従った行動を必ずしも取るわけではない』ということを“頻度依存行動と相補均衡”の概念を元にして説得力のある考えが展開されます。 日本経済の雇用慣行であった終身雇用制や年功序列制が何故、かつてほど企業で採用されなくなったのかということを『外部労働市場の拡大により関係特殊的投資(その企業内だけで通用するスキル・知識・人脈への投資)をするメリットが小さくなった』という観点から説明し、『人間は、何故、自分の所属する内集団をひいきするのか?』という人類誕生以来の疑問をゲーム理論を用いて解説していきます。 扉書きには、以下のような読書子の興味をそそる引用がなされています。
この本で言う『心でっかち』とは、全ての社会問題や人間関係の原因を『個人の心理へと還元してしまおうとする原因帰属の誤謬』のことを指しています。 厳密には、人間は、内面で考えている善悪判断やこうすべきであるという倫理感を持っているという心理学的解釈は正しいのですが、社会環境の要因や集団での数の論理によって『自分の心とは異なる行動を取っているケース』が非常に多いということです。 外部から観察する限りでは『その人はそうしたいと考えているからその行動を主体的に選択して取っているのだ』と推測されることが多いのですが、『内面に秘められた本心と観察される行動』には落差があるということです。 『本音の心』と『建前の行動』は違うということは、改めて考えると当たり前のことなのですが、日常生活では意外に、『物事の原因』を人の心に還元する認知のスキーマ(枠組み)を使って判断してしまうことがあります。 例えば、残酷無比な犯罪者を目にすると『彼は元々残酷な性格の素因があり、人を傷つけることを自分で選択したのだ』と判断し、いじめを制止しない傍観者の我が子に対して『お前はいじめが悪いと思っていないから、いじめをしている奴らを止めないのか?』と悲観し、ナショナリズムの熱狂で攻撃的な人々に対して『冷静な理性による判断が出来ないから、全体主義の雰囲気に流されている』といった考え方をしてしまうことがあります。 これを『原因帰属の誤謬』といい、本書では『帰属の基本的エラー』という概念を用いて、原因を人間個人の心理だけに還元する誤謬と危険を実験結果などを踏まえながら述べています。 第一章の「日本人は集団主義ではなかった」では、日本社会にも一般論として流通している『日本人は、個人の利益よりも集団の利益を優先する集団主義者が多い』という考えが間違っていることを、アメリカ人と比較して必ずしも集団主義的でないという実験結果を示して語ります。 現代日本では、それほど集団主義行動を重視する個人が多くないという印象があるので、この実験結果にはそれほど違和感はありませんが、個人主義と集団主義の定義でどこに重点を置くかによって日本人が集団主義的であるかどうかというのは変わってくる可能性があると思います。 この章で示されている実験は、どれもお金という一次性強化子を用いた実験なので、日常的な利害の絡まない生活文脈で個人主義的な振る舞いをするのか、集団主義的な振る舞いをするのかというところまでは明らかに出来ていないかもしれません。 例えば、グループで共同作業をして得られる報酬を平等分配する行動が、集団主義的と定義され、作業能率の悪い仲間と一緒に行動することを嫌ってグループを離脱し「一匹狼としての行動」を取る人が個人主義的と定義されています。 この実験では「一匹狼での行動に、高コストのペナルティを与えた条件」で、日本人のほうがアメリカ人よりも多くグループから離脱したことから、日本人は必ずしも、集団主義的心理特性を持たず、『相互監視・相互制裁の社会環境』によって集団主義の振る舞いをせざるを得なくなっているのだと結論されています。 この結論が示す重要なことは、人間の行動は、環境条件に対して最適化されているということだと私は考えます。 この本全体から提示される人間の行動原理は、人間は自らが置かれている環境において、獲得利益を最大化できるような行動を、心理とは無関係に取りやすいという事です。 かつて日本人が集団主義的であると国際的に認知されていたのは、日本人が元々集団の利益に滅私奉公する先天的傾向を持っているからではなく、同調圧力に合わせた集団主義的な行動を取ることが環境適応的であったという事になります。 しかし、環境適応的な集団主義と自己実現的な個人主義とを比較した場合に、どちらがより本当の自分の心理を反映したものなのかは結局判断することが出来ないものでもあります。 例えば、『会社の発展の為(家族の幸せの為)に一生懸命、自分を犠牲にして働いてきたのだ』とある人が述懐する時、その人は『本当は仕事をしたくないのに、会社(家庭)の為に無理して働いたのだ』という本心を吐露していることになりますが、実際に働くことを選択して行動したということは『働かない事によるデメリットを回避して、苦労や不快はあっても働く事のメリットを得たいと考えたのが本心ではないか』と逆説的に考えることが出来ます。 後で、いじめ問題の社会心理学的な考察の部分にも触れますが、人類の大多数の行動原理は『心理的な快・納得の報酬』よりも『生物学的な生存・繁殖の可能性』に従う傾向があるというおよそ自明な直感的結論と実験結果は一致しています。 ただ、現代社会で増加していると言われる非社会的な問題行動や意欲喪失の精神症状の最大の特徴が、その『生物学的な生存・繁殖を目的とする行動原理』から逸脱している部分にあることには留意が必要でしょう。 例えば、今、マスメディアなどで頻繁に取り沙汰されるNEETやアパシー(意欲減退症候群)などの問題行動の根底には、『生物学的な生存・繁殖よりも心理的な快楽・了解を重視した行動原理』が働いていることが多くあります。 俗な表現でいえば、生物としての本能が壊れているといった雰囲気も察知できるのですが、過去の人類の歴史においておよそ自明だった『生存維持のための快楽原則の放棄』というのがNEETの青年の心理だけでなく、自殺問題の深刻化の流れとも関係していると考えられます。 がむしゃらになって何が何でも生き抜いてやろう、様々な苦労や困難があるとしても子孫を残しておきたいというような生物学的本能というのは、フィジカルな作業の減る文明社会の成熟につれて脆弱化する傾向はあるかと思いますが、『観念的な自我の確立』が先鋭化し過ぎた結果、精神分析でいう快楽原則から現実原則への切り替えがうまくいかないケースが増えたのかもしれません。 自分の気持ちの通りに行動せず、周囲や環境の圧力(制約)に従属するという事(現実原則の受容)は、欺瞞的で抑圧的な人生を生きているというイメージを私たちに与えますが、現実社会において自分の気持ちの通りにしか行動しないという事(快楽原則の保持)は、余ほど卓越した才能か的確な人生戦略を持っていないと不可能なことでもあります。 しかし、自由と華やかさが横溢する現代社会では『本当になりたい自分になる・自己実現の人生を貫く・クリエイティブな職業に従事する・クールにスマートな人生計画を立てる』といった快楽原則をアイデンティティ確立の基盤に置こうとする自己啓発や進路選択が主流になっています。 飽くなき理想的な生の追求は、各人の自由が容認された民主社会の望ましい風潮であると同時に、現実原則に阻まれながらも心理的な要請に応えたい人たちの精神的閉塞感をもたらす一因にもなっていると考えられます。 第二章以下でも、「いじめ行動の生起と抑止を起こす頻度依存行為」や「タジュフェルの社会的アイデンティティ理論の反駁」「ゲーム理論による内集団ひいきの解説」など興味深いテーマについて実証的な研究結果と共に斬新な解釈が加えられていくのですが、また時間を見つけてもう少し感想を書くかもしれません。 ■書籍紹介 心でっかちな日本人―集団主義文化という幻想
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頻度依存行動として発生するいじめ現象:『望ましい行動』を取るコスト・リスクによる葛藤
前回の記事で書いた『心でっかちな日本人―集団主義文化の幻想―』の感想の続きを書きながら、集団の中で起こる個人の相互作用について考えてみます。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2006/03/31 13:20 |
ヘンリー・タジュフェルの『社会的アイデンティティ理論』:集団間に働くインセンティブの行動原理
『心でっかちの日本人』の書評の補足記事として、『タジュフェルの社会的アイデンティティ理論の反証実験』の概略について記事を上げておきます。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2006/04/06 17:44 |
福岡県筑前町と北海道滝川市のいじめ問題:教師・生徒・親の信頼関係の再生といじめ対処の見直し
福岡県筑前町の三輪中学校2年生だった男子生徒(13)が、いじめを受けたという遺書を残して自殺した事件が取りざたされているが、このいじめに学級の担任教師が関与していたことが大きな問題となっているようだ。この福岡県のいじめ事件の前にも、去年の9月に、北海道滝川市で江部乙小学校6年生の女児が、いじめを苦にして教室で首を吊るという事件があり、一年近くに及んで、学校側と遺族側がいじめの存在の有無を巡って意見の食い違いを見せていた。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2006/10/17 14:17 |
福岡県筑前町と北海道滝川市のいじめ問題2:教師の言動が生徒に与える影響と学校心理臨床の課題
前回、『福岡県筑前町と北海道滝川市のいじめ問題1:教師・生徒・親の信頼関係の再生といじめ対処の見直し』という記事を書いたが、福岡県の三輪中学校のいじめ事例で担任教諭が被害者児童にいじめ行為をしていた問題とその心理的背景について補足的に考察しておきたい。自殺問題にまで発展するか否かは別として、教育者が調子に乗り過ぎてしまい生徒を皆の前で揶揄したりからかったりして悪ふざけするという状況は、十年以上前から割とありふれた学校の風景としてあった。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2006/10/17 17:57 |
学校教育におけるいじめの認知件数の増大と関係者全員が連携した危機介入的アプローチの必要性
文部科学省が『いじめの定義』をいじめられる側の心情を中心にしたものに書き換えた影響もあり、学校現場におけるいじめの認知件数が約6倍に急増しました。文科省実施の『児童生徒の問題行動調査』によると、2006年度に認知されたいじめ件数は小・中・高校・特殊教育学校などを合わせて約12万5000件ですが、認知件数が少なかった2006年度以前に実際のいじめが少なかったわけではないでしょう。いじめ件数が急増した要因は、いじめの定義の変更といじめ問題の隠蔽(学校側の責任回避)に対する社会の強い圧力にあると... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2007/11/19 13:42 |
社会的な集団状況における『同調圧力(集団圧力)・役割行動規範』と『個人の判断基準』との葛藤
『前回の記事』で、いじめ問題に対する危機介入アプローチと社会心理学的な集団力学について触れましたが、いじめやモラルハラスメント(精神的嫌がらせ)に限らず『複数の人間が相互作用する場面=社会的状況』には頻度依存的な同調圧力(集団圧力)が掛かります。儒教の祖の孔子は『論語』において『君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず』という同調行動にまつわる行為規範を語りましたが、同調圧力を回避した主体的判断を実践することは相当に困難なことであり、最近の流行キーワードでいうと同調圧力を無視した行動は『KY... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2007/11/27 17:23 |
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