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help RSS 『キャノン・スペシャル ジュラシック・コード』の雑感と精神分析理論とのアナロジー

<<   作成日時 : 2005/06/28 02:16   >>

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6月25日に、『キャノン・スペシャル ジュラシックコード〜人類700万年・封印された脳内恐竜の謎』というテレビ番組が放映されていましたが、偶然、私が過去に書いた『ポール・マクリーンの脳の三層構造仮説』と内容が重複する番組でした。

番組内容は、『脳の進化の過程』『人類の歴史の過程』とには密接な関係があり、人類の生命力と原始的欲望の根源である爬虫類脳が、人間の物質文明社会の発展を進展させ、利権を巡る人間同士の戦争・対立の原動力として機能してきたとするものです。

爬虫類としては最も完成された脳を持つジュラ期の恐竜からのアナロジーで、爬虫類脳(脳幹・大脳基底核)が本能的行動を取るように促す信号を“ジュラシック・コード”と呼び、人間の歴史で快楽・快適・利益をもたらす為の進歩発展の営為はジュラシック・コードによって事前に既定されていたというある種の“決定論的スタンス”を番組では取っていました。

爬虫類脳という自己保存欲求(基本的生命機能の維持)を担う器官を、進化の過程において淘汰せず、脳の内奥に持ち続けている為に私たち人間は『闘争と快楽を求める本能』を完全に超克することは出来ず、それらの本能的欲求に宿命的に突き動かされることで、人類の歴史は紡がれてきたというわけですが、“進化論を根底においた物語”としてはなかなか面白いと思います。
しかし、人間の脳器官の生物学的進化による人間社会の決定論を語って『我々人類の暴力性や残虐性は爬虫類脳の本能的衝動であり、それを完全に統御することは不可能だ』というのでは、自然の摂理である弱肉強食を人間社会に適用しても倫理的におかしくはないという社会ダーウィニズムに似た自然主義の誤謬に陥る危険性を孕んでいます。

これは、よく考えれば行動主義(behaviorism)の始祖であるワトソンが『私に生まれたばかりの赤ちゃんを与えてくれれれば、環境調整による条件付けで思いのままの大人に育ててみせる』と豪語した環境決定論の対極にある遺伝決定論なのかもしれませんが、人間の行動や性格は遺伝と環境の相互作用であるという基本認識を持つことは、人類という種にとってとても大切なことだと感じています。

何故、遺伝と環境の相互作用によって人間の人格や歴史が築かれていくという基本認識が大切なのかというと、それは倫理の根底である人間の自由意志の存在を確信することに繋がるからだと私は考えます。

神を前提とした決定論や既に全ての結末は歴史の始まりから既定されていてどのような行為も必然的にその結末を導く働きをするという宿命論にも、確かに壮大な超越者に対する想像やこの世界の存在意義を考えるという意味で魅力や面白さがあるとは思います。ただ、それを人間の努力や意図が全て無意味だという解釈に繋げてしまうと、ニヒリズムの陥穽につながる恐れもありますね。

しかし、必然的に天国に導かれるとか、最終的には必ず幸福な世界に辿りつくとかいう救済型宗教のドグマとしての決定論を、科学的ではないといって単純に切り捨ててしまうのも早計でしょう。
救済のドグマによって、他者の権利を侵害することなく、反社会的な行動に移さないという前提があれば、個人の信念として持つ分には構わないとは思います。また、人によってはそういった強固な観念によって生きる望みをつないでいる方もいるのでしょう。


『私に健康で五体満足な乳児を12人と、彼らを育てる為に私自身が詳細を決める世界とを与えてくれるならば、私はその内の任意の1人を取り出し、才能や好みや傾向や能力や天職や先祖の人種とは無関係に、私が選んだどんな専門家にでも―医者、弁護士、芸術家、商店主、それに乞食や泥棒にでさえも―育ててみせることを約束しよう』


ワトソンの環境決定論


ワトソンの環境決定論は人間個人の行動・人格が対象なので、倫理的問題はあるものの原理的には科学的な検証・反証が可能な理論ですが、ジュラシック・コードの遺伝決定論は爬虫類の誕生から現在の人類に至る種の長大な歴史が対象なので、厳密には反証可能性がないやや擬似科学によった仮説であるとは言えるかもしれません。

また、話は変わりますが、爬虫類脳である脳幹と大脳基底核が、哺乳類脳(人間脳)である大脳新皮質を無意識的に支配しているというのは、フロイトの精神分析理論における人格構造論(エス・自我・超自我の相互作用による人格の形成)を、脳科学的な構造論に置き換えたものであるという見方も出来て興味深いです。

生命維持と意識水準の維持を担う簡単な脳の構造である“脳幹・大脳基底核=爬虫類脳”に、短期記憶と結びつけて快・不快の情動評価と感情体験を司る“大脳辺縁系=旧哺乳類脳”が加わり、それらの古い脳器官に覆いかぶさる形で人間を特徴づける理性的思考や創造的発想、長期記憶を司る“大脳新皮質=哺乳類脳”が形成されるというのが、ポール・マクリーンの脳の三層構造説ですが、それらを精神分析の人格構造論に対応させると以下のようになります。


『爬虫類脳=脳幹』は、自己の生命維持を目的とする生理的欲求(食欲・性欲・睡眠)や動物的本能(縄張りを守る防衛意識・捕食本能)を司る『エス・イド』に相当する。

『旧哺乳類脳=大脳辺縁系』も、種の保存を遂行する生殖本能を情動と結びつけて、快を求め不快を避ける快楽原則を司る『エス・イド』に相応するが、より人間らしい感情に彩られたコンプレックスによって発動される原始的欲望である。

『哺乳類脳』は、人間を人間たらしめている理性・思考・創造の心的機能を実現する部位であり、精神分析では、私という主体性と現実判断能力を担う『自我(エゴ)』と内在化された善悪の分別としての倫理観・良心としての『超自我(スーパー・エゴ)』に相当する。


フロイトは、第一次世界大戦によって解放された人間の野蛮な暴力性と大量殺戮の悲惨を受けて、人間心理には、野蛮と文明という相矛盾する領域が長い歴史を通じて葛藤し続けていると述懐し、『自我とイド』という著作を書きました。
無論、イド(エス)は、ただ単純に人間を破滅や暴力に導く悪しき生命エネルギーなわけではありません。
番組で言われていたように、爬虫類脳の長所である圧倒的な生きる欲望としての価値、何かを得る為の意欲を亢進させる力がエスにはあります。それだけでなく、創造的な仕事や芸術、荘厳な趣きのある建築物、魅せるスポーツなどにそのエネルギーが転換されれば、偉大な社会資本や人々を感動させるエンターテイメントを作り上げていくことさえ可能になるのです。
精神分析では、その破壊的衝動や攻撃的本能の生命エネルギーを社会的に承認される方向へ転換することを『昇華』と呼び、最も高次の価値ある適応的な防衛機制であるとしました。


イド(エス)は、我々の動物的欲求、我々の原始的願望および衝動が宿っている、人間精神の原始的な場所だと彼は説明した。どの人間にも、この暗いジャングルの場所があって、ここには欲望と憎しみの感情が宿っている。この感情は、かつては人間が動物と同様に、心の中に抱いていたものである。

この精神の部分、つまり、イドの暗いジャングルのなかには、思考は存在できず、ただ、原始的で野蛮な欲望だけが生きている。それは渇望して『私が欲しい』というだけの原始的な傾向で、この傾向ゆえに、かつての未開時代の人間は、動物と違いがなかった。

(中略)

何百万年も前の、これら野蛮で動物的な人間が、安全のために小さいグループをつくって移動していた時、各個人は他の人たちと共同の生活をしてゆくために、自分自身の野蛮な感情を幾分抑制していかねばならなかった。
こうして、原始的な人間精神の原始的なジャングルの中に、小さい場所が切り開かれ、ここに文明化された観念が成長していくという事態になったのである。ジャングルの一隅に開拓地が形成されたのだった。
この開拓地をフロイトは『自我(エゴ)』と呼んだ。

(中略)

全ての人間で、イドと自我の闘争は進行する。常に原始的願望に満ちたイドは、抵抗する自我に向かって原始的願望を押し進めようと試みる。イドの中には人類を生かしておく本来のエネルギーが、全て蓄えられている。
太古の時代に、人間の生活がひどく危険だった時には、本能が非常に強くなくてはならなかった。僅かの人間が生存する為に、多数の子どもを産んでおかねばならなかった。

野蛮な願望がイドから突進してくるとき、心の、思考する場所たる『自我』は、その願望を操作するとかコントロールする。今日でも、人間は怒った時に、原始時代のように、他人を殺すこともある。殺したいという気持ちを持つにちがいない。
これは、イドの原始的な願望である。しかし、『自我』は、この原始的願望を引き戻す。『自我』は、そのエネルギーの方向を何か他のものに向けさせようとする。
敵を殺す代わりに『自我』は言う。『彼を理解するように試みよ』と。

殺害に向かうはずのエネルギー、すなわちイドの本能的エネルギーは、今や新しいレベルに引き上げられ、新しい用途に向けられることになる。他人を引き裂こうとする力は、今や他人を理解しようという知的努力のために用いられる。

原始的な力を新しい利用法に切り替えること、イドの野蛮な力を新しい目的に転じてゆくことを、フロイトは『昇華』と呼んだ。我々が文明の仕事を創り出してゆくのは、我々の原始的願望を昇華させることによるのだと彼はいった。

人々は自分が強力な原始的感情、強い欲望または憎しみの感情、野蛮な願望、圧倒するかに見える欲望をもっていることを恐れねばならないことはないのだ。これらは、飼いならすことのできる自然の原始的な力のようなものだからである。これらは、大河のようなもので、この水を導いて発電所のダイナモを回転させる力になるのだ。

自分の中に強力な感情を持っている人たちだけが、文明の大仕事を創造する目的のために、昇華できる力を持っているのである。大発明家、芸術家、思想家、そして犯罪者や精神異常者も、自分の中に同じく強い力を持っている。それは、荒れ狂ったエネルギーに満ちた、同種の、野蛮で豊富なイドである。


ラッシェル・ベイカー著 宮城音弥訳『フロイト その思想と生涯』講談社現代新書より引用




最後に、番組中では、イタリアを中心に起こった“ルネサンス(文芸復興)”を、秩序構築を願う人間脳が生み出したキリスト教(カトリック)の禁欲的戒律を打ち破る本能的なものと捉えていました。
つまり、爬虫類脳の野蛮な原始的欲望の揺り戻しであるといった形で、ルネサンスの説明が為されていたのですが、私は、神の支配からの解放を目指し人間の能力や身体を讃美したルネサンスの『人間中心主義(ヒューマニズム)の思想・文化・歴史』が必ずしも原始的な爬虫類の産物であるとは思いません。

レオナルド・ダ・ヴィンチの生命力に満ちた絵画や科学的探究心が結実した設計図や解剖図、ミケランジェロの人間身体の美しさを写実的に写し取った威厳と美が調和した彫刻群、ブルネレスキの優美で壮麗な作品と歴史時間によっても摩滅しない建築、ボッティチェリの手による美しく強靭なギリシア神話世界の再現……それらは、爬虫類脳の破壊的衝動や本能的欲求を、最高度の昇華を行う事によってのみ得られるものです。
精細で優雅なルネサンス期の芸術文化の数々は、脳内のビジュアル・メモリーの奇跡的な物質化であり、崇高な美と善を求めてやまない精神性の結晶に他なりません。

“偉大なるロレンツォ(ロレンツォ・イル・マニーフィコ)”と呼ばれたルネサンス期を代表する非宗教的な僭主ロレンツォ・ディ・メディチは、美しき花の都フィレンツェに、文化芸術の振興と発展をもたらしました。
彼の死後、理想主義的な神聖政治を敷いた狂信的なドミニコ会の修道士サヴォナローラは、禁欲的なキリスト教教義の絶対遵守を説いて、それに従わぬ民衆を残酷に粛清し、華美で贅沢な生活の象徴である芸術作品を破壊しました。

勿論、素晴らしい宗教指導者や賢明なローマ教皇、人類に福音をもたらしたような信仰者も歴史上に数多く排出されました。同様に、敬虔な信仰心や特定の宗教を持たない世俗の指導者や民間人にも、歴史に残る人類への偉大な貢献をした者や多大な恩恵を与えたものが幾人もいます。
結局、人間の善悪の区別や創造行為と破壊行為の境界は、宗教か世俗かによって規定されるわけではなく、その個人が世俗権力や宗教権威あるいは経済力を用いて何を実現しようとし、その目的を達成する為にどのような手段をとろうとするのかにかかっているように思えるのです。





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